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ふくだりょうこ『きょうもお高いキミがスキ~さえないハジメくんのヨクボー』

 俺には好きな人がいる。
 その好きな人はいま、ベッドの上で緩めのタンクトップとショートパンツでゴロゴロとしていた。
 うつ伏せになると、タンクトップの下で柔らかそうな胸がつぶれるのが分かる。柔らかそうだと手を伸ばし、指でつつくと意外と硬かった。がっかりしながら舌打ちをすると、鬱陶しそうに手を払われた。「あなたが触っていいものじゃない」とスマホをいじりながらに返される。

「触られたくないなら、もう少しまともな格好をしろよ。せめて下着をつけてくれ」

 好きな女が下着同然の格好をして目の前にいるというのに、グッと堪えている俺を褒めてほしいというのにこの女と来たら。

「イヤ。私が私の家で好きな格好をして何が悪いの」

 確かにその通りなのだが。こいつには恥じらいとか、遠慮とか、それこそムードとかないのだろうか。
 悶々としている俺をよそに、サツキはベッドにうつぶせになり、足をパタパタと上下させがらスマホにくぎ付けだ。
 胸がダメなら、と太ももに手を伸ばそうとしたが、かかとが額に飛んできた。鈍痛が走り、声にならない声を発しながらうずくまった。

「なんなの。触んないで」
「いいじゃん! そのつもりで家ン中入れたんじゃないのかよ」
「別に」

 相変わらずこっちを見ずに彼女は言う。
 気まずい沈黙。彼女に会いたくて、「行く」というメールを入れただけで押しかけたのは俺だ。だから、歓迎されていないのは仕方がない。でも、招き入れられたら、少しは期待する。おまけにそんなに肌色を剥きだしにされていたら「もしかして誘われてる?」なんて思ったりもする。
 でも、今日はこのままいても虚しくなりそうだ。もう帰ろうか、と思い始めたとき、彼女が「あ」と小さく声を上げた。

「なに?」
「あれが食べたい。アレ、アレよ」
「なんだよ」
「甘くてー、ねっとりしていてー、噛むとじゅわっと汁があふれるやつ」
「……?」
「果物だよ、果物」
「それがどうしたんだよ」
「買ってきてよ、そこのスーパーで。そしたらおっぱいぐらい揉ませてあげる」
「…………」

 黙ってにらむと彼女はようやくこちらを見て、どう? と首を傾げた。別にこれと言って美人ってわけでもない、と思う。でも黒い大きな瞳に見つめられると、うん、と頷いてしまう。事実、俺は頷いていた。

「ふふふ、ありがと」

 かわいらしく彼女が笑うと肩まである黒髪が揺れた。けしからん格好で俺を誘惑されてくるくせに、よく手入れされていることが分かる髪はとても艶やかで、なんというかヤマトナデシコっぽさを感じる。きちんとした格好をすればどこぞのお嬢様にも見えそうだけど、このアンバランスも俺的には、いい。

「別におっぱいにつられたわけじゃないからな」
「はいはい」
「本当に、違うからなっ」

 言い訳がましい言葉を口にした俺は、財布を持ってアパートを出た。
 彼女が言っていた近所のスーパーと言うのは、古びたスーパーだろう。やたらとなんでも量が多くて安い。ひとり暮らしには無用の長物だと彼女がぼやいていたのを思い出す。
 さて。「甘くてねっとりしていて噛むとじゅわっと汁があふれる果物」とはなんなのか。
 そう広くはない果物売り場をぐるりと見回す。すぐ目に入ったのはパック入りのスイカだった。じゅわっと汁は溢れそうだが、ねっとりとはしていない。
 バナナ。ねっとりとはしているが、汁があふれだすかというと違う。
 大粒のぶどう。マスカットとやらか。汁もあふれ出しそうだし、甘いが、ねっとりではない。
 思わず、うーん、とうめきながら腕を組み、考え込む。そもそも俺が味を知っている果物自体が少ない。知っていても、すぐに食感が思い出せるかというとそうでもない。
 次第に真面目に考えるのがバカらしくなってくる。おっぱいにつられたわけではないが、彼女に構ってほしかったのは事実だ。
 もう一度、果物売り場を見回す。

「あっ」

 見つけた。これだ。桃だ。
 甘くてねっとりとしていて、かぶりついたら汁があふれ出す。これに違いない。
 ひとつ掴んでから、値段を見て一瞬怖気づく。398円。高い。果物ひとつにしては高い。いやでも、おっぱいを触らせてもらえるなら安い。
 意を決して桃を持って俺はレジに向かった。

 帰宅すると、彼女は嬉しそうに「おかえり」と迎えてくれた。

「買えた? 買えた買えた?」

 ベッドから降り、ぴょんぴょんと体を跳ねさせる。タンクトップからおっぱいがこぼれそうだ。

「買えた。今、切ってやるから」
「わぁい、わぁい!」

 無造作に洗い場に置かれた包丁でカットしていく。

「知ってるか? まずは縦に切り目を入れてー、上下にねじると綺麗にカットできるんだぞ」
「へえ」
「それから、食べやすいサイズにカットして」
「食べやすいより大きめがいい!」
「はいはい」

リクエストにお応えして6等分にするつもりだったところを4等分にカットした。

「で、こうして実を皿の上に置いて」
「うん」
「包丁を寝かせるようにして、実と皮の間に刃を入れる。で、実を回転させて、包丁は皿から離れないようにしつつ、水平に動かすと綺麗に皮がむける!」
「すごいすごい」

 皮をむいたばかりの桃をサツキは一切れつまむとかぶりついた。じゅるっと音がし、唇を汁が滴った。その汁を逃すまいとするように、ズズッとすする。わずかな咀嚼音。大きめの桃はあっという間に彼女の口の中に吸い込まれていく。ゴクリ、と喉が動き、俺がカットした桃は消えた。

「あまぁぁぁい!」

 まるで初めて桃を食べたかのように、足をジタバタと動かし彼女は喜びを爆発させた。わざわざ高い桃を買ってきただけのことはある。

「うまい?」
「うまい! 私が食べたかったのは桃じゃないけど!」
「そうかそうか……えっ?」
「ん?」
「いや、お前食べたいって言ったじゃん。甘くてねっとりとしていてじゅわっと汁があふれ出すやつって!」
「で、つぶつぶした感じがあってー」
「そんなの言ってなくない!?」
「そうだっけ~?」
「言ってない! 絶対に! 神に誓って言ってない!」
「まあ、とにかくハズレー! ブブーッ!」

 手で大げさにバッテンを作りながら、サツキはもう一切れ桃にかぶりついた。

「なんだよ! 俺めちゃくちゃ損しただけじゃん!」
「ハジメくんはいつも惜しいねぇ。でも、ハズしてもおいしいものを買ってきてくれるから好きだよ」
「じゃあ今日こそ」
「ダメー!」

 サツキはそう言いながらバッテンを作る代わりに、俺の頬にチュッと口付けた。甘い桃の香りがふわりと鼻をくすぐる。

「またお預けかよ……」
「はいはい、じゃあ今日は帰って」
「ハァ?」
「そろそろお客さんが来るから着替えないと」
「俺だって客なんだけど? いっつも薄着で……」
「ハジメくんはこういう格好好きでしょ? サービスだよ。それに君は勝手に押しかけてきたんじゃん。だからどっちにしろ、ダメ」
「なんだよ、それぇぇ!」

 見せつけられるだけで触れないんじゃ生殺しだ。

「はいはい、帰って」
「くそーっ! 次こそは勝つ!!」
「期待してる~」

 あっさりと部屋を追い出される。中から施錠の音が響いた。ため息をついてダラダラと歩き出す。
 狭い廊下。向かい側からスーツ姿の男が歩いてくる。ジャケットは腕にかけ、もう片方の手にはレザーの高そうなビジネスバッグと、それとは不似合なスーパーのビニール袋。
 すれ違い、エレベーターのボタンを押してから振り返る。足音を忍ばせて、後戻りをする。スーツの男がサツキの部屋の前に立ち、インターホンを鳴らす。

 ため息を飲みこみ、そうっとその場を離れ、ちょうどやってきたエレベーターに乗り込んだ。

「……客ってあいつかあ」

 ほかにもあの部屋に来ている奴がいるのは知っていた。
 知っていたけど、実際に見ると落ち込む。
 俺よりずっと頭が良さそうで顔もよかった。

「いいなあ……」

 ポツリとつぶやいた言葉はエレベーターの中で妙に大きく響いた。

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