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『冷めた串銀杏』 舞神光泰

居酒屋には様々な客がひしめいている、男達は笑い合い酒を飲み交わし、若者はスマホを見せ合い楽しみを共有する。年長者は思い出話に花を咲かせ、辛い事があった人には励ましの言葉を贈っている。どこにでもあるような光景の中で、ただ1つ銀杏だけは皿の上でポツンとつまらなさそうにしていた。
 
 銀杏はヒマで仕方がなかったので客を見ていた。鍋を看板にしている居酒屋で、机に置かれて30分は経っているから、おそらく存在すら忘れられているだろう。出された瞬間が一番の旬だから、銀杏はやる気と旨味を失っていた。所狭しとものが置かれている机の一角で1人皿の上でひたすら食べられるのを待っている。

 あまり知られていないが、T大のイチョウ並木産の銀杏は、溢れ出る賢さを吸収してしまうため、時たま知性を持ってしまう。しかし所詮は余剰分の知性なのでN大卒程度の頭脳しか持たない。じっくり丁寧に炒められたホクホクの体も今じゃ冷めてるし、香ばしい香りも消え失せて、あの臭いに戻ってきている。ゴロゴロ寝転びながら眺めるしかない。当然気持ち視線も冷たくなり客を腐すようになった。
 
「アイツらの声がやたらデカいのは、自分たちの話しが1番面白いと信じてるからだ」
「ああいう大学生は、何者でもないから他人の痛みが分からないんだ」
「出たよ、昔は良かった」
「相手より自分が大変じゃないと気が済まないんだなお前は」
銀杏はありとあらゆる毒を吐いたが見向きもされなかった。所詮は銀杏、毒は出せても言葉は発せ無かった。
 
 仕方なく寝返りを打つと特別やっかいそうな人間が目に入った、銀杏を頼んでおいて放置している子連れとその彼氏だ。親子では無いというのは会話の端々から分かってくる。居酒屋の隅で一際異彩を放っていた。子供は小学校5年生くらいで、夜の10時過ぎに居酒屋にいるのが居心地悪そうで、時折キョロキョロ辺りを見回している。それ以外はスマホを覗きこんでいて、手をせわしなく動かしゲームに励んでいる。その姿を母親は忌々しげに見つめて、怒りをため込んでいるようだ。化粧が濃く、小綺麗で派手な格好をしている30代の母に男の目線は注がれていて手はひっきりなしに鍋をかき回している。銀杏は彼らに釘付けになった。

「コイツがさぁ、ずうっとゲームやってんだよ」
化粧の濃い小綺麗な女は子供を小突きながら言った。
「いたいよ」
子供はさも不機嫌そうな声を出したがスマホから目を離していない。
「人の金でやるゲームは楽しいですか?」
母親が耳を引っ張ると流石に向き直った。
「いいじゃん、これ無料なんだし、オフラインなんだからさ」
「そういう事じゃねぇんだよ!」
「痛いってば! 今は人の事叩いていい時代じゃないんだよ」
「生意気言ってんじゃねぇよ!」

母親が手を振りかぶったので、男がようやく止めた。
「ダメだよ、ビンタは、暴力に頼ったらダメだよ」
男は40後半~50代前半ぐらいで、身なりは整えているが、髪からは白髪がピョンピョンと飛び出している。
「いいかいタケル君、人間は完璧じゃないんだよ。お母さんも完璧じゃない、ボクだって完璧じゃない、タケル君だってそうだろ?」
男はよく分からない事を自信満々にゆっくり話した。平気で机に肘を付きながら喋るからコイツはさぞ育ちが悪いのだろう。
「だからね、今日はボクの話しを聞いて、それで納得したらお母さんの言う事を聞く、それでどうだろう」
「ちょっと」
「まぁまぁ、大丈夫だから、ユキ子ちゃんはそろそろトイレに行きたいタイミングでしょ、こういうのは男同士じゃないと分からない事もあるからさ」

 短い会話の中でだいぶ気持ち悪い事を言った男は、にこやかに母親を送り出した。
そして子供と1対1になり男は語り出した。
「いいかいタケル君、大人でもね完璧な人間はいないんだよ、ボクも完璧じゃない、お母さんも完璧じゃない、分かるかな?」
1分前の再放送を男は始めた。
その間も箸やお玉で鍋をひっくり返している。
「タケル君は英語の授業ってもうやってるの?」
「ちょっとだけ」
「Nobody's Perfectって分かるかな?」
「ううん」
「完璧な人間なんていないって意味なんだよ、ボクの座右の銘」
話しの中身が無い事にしびれをきらした子供が箸を伸ばす。
「お肉もう食べていい?」
「いや、まだ煮えてないね、鶏肉は完璧に煮えていないと危険なんだ」
そういって男は鍋に箸を突っ込んで、鶏肉を食べた。
「うん、まだだね。ボクは慣れてるから平気だけど、タケル君がもしお腹を壊したら大変だからね、ボクには責任もあるし」
男は1人だけ鶏肉を味わいながら、子供に白菜とエノキをよそう。
「野菜はね、体にいいからどんどん食べなさい」
子供は押し黙って、その器を受け取って机に放置した。
「そういえば、お母さんはボクの事なんか言ってたかな?」
「うん」
「なんて言ってたの?」
「ハタノさんはいい人だって、ご飯に連れて行ってくれる人なんかいないよって」
「ふーん」
男はマンザラでも無い様子でニタニタと笑顔を浮かべ、鍋をグルグルと回した。
「タケル君がもしさ、お母さんにハタノさんに優しくして貰ったとかね、伝えたくれたらさ、ゲーム買ってあげるよ」
それを聞いて息子は複雑そうな顔をしていた。普通なら明るくなりそうなものなのに、なんでそんな顔をしたのだろう?

 銀杏は会話から透ける背景を推察してみた、どうやら母親は夜の仕事をしているらしく、男はその客らしい。男の動機はなんだろうか? 夜の仕事をしているシングルマザーに親切をしているという承認欲求なのか、いや男の目は奥底ではギラギラしているから、そんな生半可な気持ちでは無いだろう。もしくはもっと浅はかに息子に取り入って、いい父親になるとでも言って、タダでヤろうとしているのではないのか? 
なんという場面に出くわしてしまったのだろうか、銀杏はすぐにでも母親と子供を逃がしてあげたいと思ったが、冷めた銀杏にはそんな力は無かった。

 母親は戻ってくるとまだスマホを触っていた子供に向かって怒り始めた。
「まだやってるし、あんたいい加減にしなさいよ!」
「ユキ子ちゃんも落ち着いて、ボクはちょっと用を足してくるから、タケル君頑張ってね」
通り過ぎ様に母親の肩を2回ほど揉みながら男はトイレへ向かった。
トイレのドアが閉まる音が聞こえると、母は肩についたゴミを落とすように手で払った。
「ねぇ、ママ早く帰ろうよ」
男が居なくなると、子供は途端に甘え出した。
「もうちょっとガマンして、あいつが酔えばお金出して帰れるから」
「今日は、これで帰れるの?」
「そうだよ、明日学校なのにごめんね」
「ううん、大丈夫。あいつ家に来ないんだよね」
「今日は絶対来ないから、もうちょっとだけね」
母は子供に体重を預けるようにもたれかかった。
「重いよ」
そういいながら子供は笑顔になる。体が大きくなりつつある子供はもう十分に母を支えていた。

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