【全文無料】誠樹ナオ 『保護犬を家族に迎えたり預かったりして暮らしています1』(前編)
高校のクラスメイト、小路町寿々音(こうじまちすずね)ちゃんにビシッと指を突きつけられたのは、まだみんなが登校して来る前の教室でのことだった。
「柏木美芙由(かしわぎみふゆ)!あなたが、いえ……あなたの駄犬がうちのアレキサンダーの宝石を盗ったのでしょう!?」
「えええええ……?」
いきなり過ぎて頭が真っ白になった私は、親友の後ろに隠れて震えていた。
──────────
今思えば、話はその日の早朝から始まっていた。
まあるいお尻にピンと立った尻尾が、歩くたびに左右にぷりぷり揺れる。うちの近所の緑地はあちこちに公園や広場、スポーツ施設やグラウンド、池なんかが散らばっていて、いろんなワンちゃんがお散歩している。うちのシュクレにとっても定番のお気に入りコースだ。
「シュクレ、上手に歩くね〜」
声をかけると、シュクレはちらっと私を見上げてヘヘッと舌を出した。目の上にチョンチョンとついているマロ眉のせいで基本的に情けない顔だけど、こうして機嫌がいいと大きな口が弓なりになってはっきり笑う。
シュクレはフランス語で砂糖という意味だ。名前の通り真っ白な毛並みは、実は額と尻尾にだけ薄い茶色のハートマークがある。アーモンド型の瞳は真っ黒で、眠くて半目になった時だけ白目が覗く。うちでシュクレを引き取って二ヶ月、ワクチンが終わってようやくお散歩ができるようになった。
とことこ一定の歩調でに歩いていたシュクレが、緑道を出たある住宅街でピタリと止まる。
「え、ええ……?」
大きなお屋敷の門の真ん前で、ぺたんとお腹をつけてしまった。
「やっぱり」
なかなか上手くいかないお散歩に、がっくりと項垂れる。シュクレは保護施設出身で怖がりだし警戒心が強いから、お散歩の途中で脱走しようとしたり、飼い主と別の方向に行ったり、止まっちゃったりするかもしれないと獣医さんやレスキューの人たちに言われていた。ちゃんとお散歩できるようになるまでには、根気が必要だよって。
「今日は順調だと思ったのに」
シュクレは顔まで地面に張り付けて、目だけで私を見上げている。何度か小さく吠えて、何かを知らせているみたいだ。
「可愛い」
動かないのは本当に困るんだけど、犬の上目遣いってなんでこんなに可愛いんだろう。
「はっ……いや、見惚れてる場合じゃなくて……ねー、お願い。シュクレ、歩いて〜」
シュクレが座ってしまったのは、ピンク色の壁にベルサイユ宮殿みたいな柱のお屋敷で、お庭にはいろんな薔薇がいっぱい。生垣っていうのかな?住宅街の中で一際目立っている。
「可愛いけど、正直、ちょっと悪趣味かも」
ねじり鉢巻をしたおじさんたちが、庭木のお手入れをしているのがチラリと見えた。っていうか、庭師さんって聞いたことしかなかったけど実在するんだ。向こうからもこちらが見えやしないかとヒヤヒヤする。
「変に見物してるって思われたらどうしよう!」
このお屋敷を見ていると誰かを思い出すような気がするんだけど、今はそれどころじゃない。
「あ、それに、おうちの前でウンチさせてるって思われたらどうしよう!!」
リードを軽く引っ張っても、シュクレはきょろんとまんまるの目で私を見上げるだけ。やっぱり、私のお散歩のさせ方が悪いのかなあ。
「信用されてないとか。ハッ……なんか病気が隠れてたらどうしよう!!!」
「そんなわけないだろう」
淡々とした声が飛んでくる。振り返ると片手にラブラドールレトリバー、片手にボルゾイを連れたちょっと年上の男の人が立っていた。
「あ」
マスクをつけていても分かる。シュクレと一緒にお散歩していて、いつも気になっていた”あの人”だ。緑道でよく見かけるけど、この間はちっちゃめの柴犬とテリアか何か連れてなかったっけ?
「よしよし、何か見つけたのか」
シュクレの側に屈むと、そのお兄さんは下から手をグーにして出してくれた。拳をそっと上げて目線を誘導すると、シュクレがパッと立ち上がる。ラブラドールが優しく近付いて鼻を寄せると、シュクレが尻尾を振り出した。
「わあ」
遊んでほしそうにぴょんぴょん近づくと、ボルゾイもシュクレのするがまま。前足を出したり鼻面で軽く突っついたりして遊んでくれる。
「他の犬のこと怖がってばっかりなのに。この子たち、すっごく慣れてますね」
「伏せるのはいつも同じ場所か」
犬たちから目を離すことも私の呟きに応えることもなく、唐突に質問が飛んでくる。
「え」
お散歩の途中、飼い主同士で話をするのはよくあることだけど、大抵は何歳ですか?とか、男の子ですか女の子ですか?とか聞くのに。
「そういえば、いつもこのお屋敷の前かも」
「だったらルートを変えればいい」
「ルートを?」
「ここを通らないと帰れないってわけではないんだろ」
「そうですね」
「伏せたくらいで病変はないから安心しろ。……ポン助、ロン、行くぞ」
お兄さんの合図で、大型犬たちはするっと身を翻して去っていった。
──────────
『”あの”お兄さんと話せたよ!』
朝のお散歩が終わって、アプリでそんなメッセージを送る。
「美芙由、待ってたぞ〜!」
登校すると、犬仲間のクラスメイト瓜生木綿子(うりゅうゆうこ)ちゃんがハムレタスサンド片手に待ち構えていた。朝のお散歩が終わってすぐ登校して、授業が始まるまでユウちゃんとこうしておしゃべりするのが日課になっている。
私もシャケと明太子おにぎりに、水出し緑茶の水筒を出して向かい合う。いつもお散歩で会うおじさんがおにぎり屋さんで、お母さんが忙しい時とかに買わせてもらっていた。手作りでふんわりした大振りのおにぎりは、具材がみっしり詰まっていて塩加減が抜群だ。シュクレが来てから、ずいぶんいろんな知り合いや友達が増えたなあ。
「ねえねえ、イケメンだった?」
それぞれ朝ごはんを食べながら、話題はやっぱりあのお兄さんのことだった。
「ん〜、マスクしてたけど。背高くてカッコよかったよ」
「どんなどんな!?アイドルで言ったら誰?」
言われて、彼の姿を思い出す。キリッとした涼しげな目元。背が高くて、折目正しくすっと伸びた背筋。短くて真っ黒な髪。
「アイドルっていうより……武士?」
「武士?」
「着物着たら似合いそうっていうか」
あまり表情は変わらないけど、シュクレに話しかける声は低くて優しかった。緑道でお散歩するようになってからずっと、あの人のこと気になってるんだよね。
「ふーん」
ユウちゃんが小首を傾げる。
「それにしても、いつも違う犬ってお散歩バイトとかかな」
「うん……」
本当にそれは不思議なんだよね。バイトのわりにはすごく犬に慣れてるし、扱いも上手だし。いつもああなると動かないシュクレが、お兄さんのおかげで立ち上がってくれて……あ、そうだ。
「ねー、それよりさ。シュクレが全然お散歩できるようにならないんだよ〜。途中でなぜか伏せちゃってさ」
ユウちゃんのところも、うちと同じ保護犬のマティというワンちゃんがいる。
保護犬っていうのは捨てられたり、飼い主が見つからない迷い犬だったり、ブリーダーさんが飼いきれなくなったり、いろいろな事情で保護されたワンちゃんのことだ。近くに動物病院がやってるレスキュー団体があって、シュクレはその『愛育レスキュー』から引き取った。
「伏せちゃうの?それは困るね」
マティも同じレスキューから迎えた保護犬だけど、ユウちゃんちは先に2匹もいるので私にとって大先輩だ。
「やっぱり、私、信用されてないのかな。このままシュクレと仲良くなれなかったらどうしよう!」
「まだお散歩始めて何週間かしか経ってないじゃーん」
頭を抱えると、ぽんぽんと背中を軽く叩かれた。
「マティだって、いまだにすぐ下向いちゃうし、こっち見ないし、あっち行ってパクっ!こっち行ってパクッ!ってやってるよ」
「そうなの?」
「そうだよ〜」
ユウちゃんがスマホを取り出すと、ささっと画面を検索して私の方に向ける。
「ねえねえ、週末これ行かない?」
愛育レスキューの子犬の保育園のお知らせだ。シュクレのお散歩のこと相談したくて、私も気になっていたイベントだった。
「行く行く!あ、でも……」
思わず、キョロキョロ周囲を見回した。こういう話をしてると、いつもあの子がやってくるから。
「ねえ、まだ寿々音に怯えてんの?」
「うーん、シュクレの話してる時の寿々音ちゃんは……ちょっとね」
「美芙由はなんでもビビりすぎだよ」
寿々音ちゃんのお家は、それはそれは立派な血統書付きのワンちゃんたちを飼っている。そのせいかシュクレの躾がうまくいっていないって話を聞かれると『やっぱり血統が分からない犬はね〜』なんて見下される感じが苦手だった。
「保護犬の何がいけないってのさ」
「ありがと」
ユウちゃんと話してると救われる。でも、ちゃんと躾ができてないのは確かかも。
「柏木さん、いらっしゃる!?」
「!!!」
考え込んでいると、噂の主、寿々音ちゃんが教室に飛び込んできた。
「な、なんでしょう……」
それにしたってすごい剣幕だ。いつでも逃げられるように、つい腰が浮く。
「柏木美芙由……あなたが、いえ、あなたの家の駄犬がうちのアレキサンダーの宝石を盗ったのでしょう!!」
予想の斜め上の発言に、思考が完全にフリーズした。
「えええええ!?」
「ちょっと、突然何言い出すのよ!?」
ユウちゃんが庇うように私の前に立ちはだかる。
「あなた、いつもお散歩の時、東町の住宅街を通って帰るでしょう?」
それはその通りなので、無言でコクっと首を縦に動かした。
「あそこの角から二軒目が、私の家なのよ」
角から二軒目って……
「あのピンクの趣味悪い家……」
思わず、口から本音が漏れる。
「なんですって?」
「わー、ウソウソ!ごめんなさいっ。あの、ベルサイユ宮殿みたいな家だよね……」
フォローを試みても、寿々音ちゃんの顔はヒクヒク引き攣っていた。
──────────
そっか、あのお屋敷を見るたびに思い出す誰かって寿々音ちゃんだったんだ。綺麗なくるくる巻き髪にピンクのふりふりリボンを見て、心の中で納得する。
「アレキサンダーの首輪につけてた宝石がなくなってしまったのよ!」
寿々音ちゃんがドンと机を叩く。
彼女の家で飼っているゴールデンレトリバーの中に、ドッグショーのチャンピオン犬アレキサンダーがいるのは、いっつも自慢しているから知っていた。
「えー、あのすごい首輪!?確か、本物の宝石なんだっけ?」
ユウちゃんも覚えていたらしい。寿々音ちゃんのお父さんがアレキサンダーのために、オーダメイドの首輪を作らせたのもよく自慢してるから。濃いブラウンの本革に、名前がスタッズで描かれ、ところどころラインストーンが埋め込まれている凝ったヤツだ。
「本物のアレキサンドライトよ」
スマホを突き付けられると、画面に大きな渋い赤色の石が写っている。光の加減で緑に変わるという珍しい宝石らしい。そんな高価で貴重なものを首輪にしちゃうなんて、寿々音ちゃんのおうちはアレキサンダーをとってもとっても大事にしてるんだと思う。
「お散歩の途中で取れてしまったの」
「だったら寿々音の責任じゃん。美芙由にどう関係すんだよ」
ユウちゃんの言葉に、寿々音ちゃんはキッパリと首を横に振った。
「どこで取れたかはっきり覚えているわ。門の足洗い場で、アレキサンダーの足を洗った時には確かにあったんだもの」
家に入った時には無くなっていたそうだ。
「門の防犯カメラをチェックしたの。そしたら家に入ってからすぐに、あなたとあなたの駄犬がうちの前に座り込んでいるじゃない」
「──っ!」
「うちの前にしょっちゅういるわよね、あなたたち?」
寿々音ちゃんがスマホを差し出してくる。画面には、私とシュクレが寿々音ちゃんちの玄関前で座り込んでいる映像が映っていた。映像を再生しているモニターをスマホで動画撮影したっぽくて画質は良くないけど、私たちだっていうのはしっかり分かる。
「宝石がないことに気付いてすぐに玄関に出たら、もうなかったのよ。ものの数分よ?あなたか犬が持ち去った以外に、何があるというの!?」
「そ、そんなこと言われても……シュクレは赤い石なんて持ち帰ってなかったよ?」
「じゃあ、飲み込んだんじゃない」
「ふーん」
ユウちゃんが頬杖をついて寿々音ちゃんを見上げた。
「美芙由に悪意があって持ってったとは思わないんだね」
「柏木さんにそんな大胆なことができるとは思わないわ」
「ビビリを絵に描いて額縁に入れたようなモンだからねえ」
「…………」
なんだろう。悪意がないと言ってもらってるのに、微妙に悲しい。
「とにかく、シュクレは草とか食べちゃうことはあるけど、硬いものなんて今んとこ飲み込んだことないもん」
「あら、どうかしら」
腕を逆に組み直して鼻を鳴らす。
「しょせんは食べ物にも困っていた保護犬なのでしょう」
「保護犬なのは、それはそうだけど」
「とにかく、あなたの犬じゃないと証明できないなら弁償してもらうわよ」
「証明なんて、どうやって」
「あら、簡単なことじゃない」
寿々音ちゃんがニヤッと笑う。
「レントゲンを撮ればいいのよ」
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不安の中で、お昼休みがやってきた。
『娘が居丈高な言い方をしていたのならすまないね』
寿々音ちゃんがまたずいっとスマホを差し出してくる。彼女の電話で話した寿々音ちゃんのお父さんは、穏やかそうな人だった。
『高価なものを犬につけさせていたのはうちの責任だから、必ず弁償してほしいってことでもないんだよ』
お父さんの穏やかさに、ますます不安になる。
『映像を見る限り君のワンちゃんが持っていった可能性は高いと思う。もし飲み込んでいたなら、まずいだろう?』
シュクレを心配しているのが分かって、午後の授業の間にいても立ってもいられなくなった。
後半は8/5(木)掲載の予定です!
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