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#5 産地初訪問まで流れ

今回は、コーヒーの輸入をする上で肝心な産地とのアクセスについて。そもそも最初にどうやって産地を訪問したの?という点について触れていきます。

実は一番最初にメキシコへ訪れたのは、株式会社豆乃木を創業した翌年でした。
時系列では、
2011年3月に慶應義塾大学総合政策学部を卒業
2011年10月に株式会社豆乃木を創業
2012年2月、メキシコ初訪問
となります。
在学中、山本純一先生の研究室に所属しており、その研究室では山本先生主導で、JICA(国際協力機構)より資金を調達し、メキシコのコーヒー生産者に対する自立支援プロジェクトを実施していました。
わたしは学生として、そのプロジェクトの一員となったわけですが、わたし自身は山本先生のご指導のもと、大学入学前に関わっていたマラウイでの一村一品運動と、運動発祥の地、大分県の同運動の興りや普及に関心を持って卒業論文を書きました。
アフリカ3カ国で活動した経験のあるわたしが、スペイン語圏の、それもメキシコに関わろうなどとは夢にも思いませんでした。
風向きが変わったのは、卒業生で、同プロジェクトに専任で関わってこられた方が、退任されたことでしょうか。スペイン語も堪能で、生産者とのコミュニケーションにも長けていたはずですし、事務能力だって、わたしの比ではないはずですが、その方の穴を埋めるために、先生からお声掛けをいただきました。青年海外協力隊出身でJICA事業になんとなく関わっていて、28歳で大学に入学し、当時すでに30歳をまわっていた、前任者とほぼ同世代のわたしを「適任」と判断していただいたのでしょうか。
主な役割はJICAに対する報告書類の提出でした。具体的な報告書の作成は山本先生が全てやっていただくのですが、経理事務だけはわたしの仕事でした。一番苦手な分野を任され、四半期に一度の報告がとても苦痛でしたが、JICAの担当者に助けていただき、なんとか役割を務めていました。
そんなわけで、わたしにも産地訪問の機会が巡ってきたのでした。航空券の手配を含めて、資金もすべて大学の研究室(つまりJICAからの資金)で賄っていただきました。わたしのメキシコ初訪問はすべてお膳立ていただいて実現したものでした。

ところで、コーヒー屋として創業する前に、産地にも行っていなかったのか、と皆さんをがっかりさせてしまうかもしれませんが、そもそも2011年10月に株式会社豆乃木を創業したときには、コーヒー販売はわたしがやろうとしていることのひとつの部門でしかありませんでした。だから、先生が熱心に取り組まれているコーヒーの販売のお手伝いができれば、とは考えていましたが、積極的に産地との関わりを持つようなことは考えていませんでした。
その後、思いがけず、銀座三越での催事が決まるなど、徐々にフェアトレードコーヒーが事業の柱になっていったのです。 

次回は、実際に産地に行った上での感想や戸惑いを書いてみようと思います。

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