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女性優位の職場で『お局様』がのさばるのは、管理職がだらしないからだ⑫

 4人目のお局様になる歯科衛生士、Mちゃんは小柄で、女優の黒木華さんのような可愛らしい容姿の持ち主でした。ショートヘアーを内側にクルッと巻き、ツンとすました横顔がまるでトリミングを終えたばかりのプードルのよう。患者にも人気ありましたが、何故か本院の古参スタッフたちとはうまくいってないようでした。そんな彼女をチーフに衛生士2名、歯科助手1名、受付け係1名の計4名をオープニングスタッフとして、私はテナント分院を任されたのでした。前回記事はこちら。

仕事はできるが、不思議ちゃん

 とにかく若々しい分院でした。私とMちゃんをのぞけば、他のスタッフは全員が二十歳そこそこ。それだけでも人気が出そうなものですが、テナントといっても田んぼのど真ん中にあるような、無歯科医地区を狙った開業。やってくるのは、農家のお年寄りがほとんどでした。近くに分譲して間もない住宅地もあるにはありましたが、如何せん昼間人口がゼロに等しい。これも、よくわからないコンサルタントの口車に乗った理事長が悪いのですが、「任す」と言われて張り切っていた私も、苦戦はある程度は覚悟しておりました。
 あんな場所に開業しても売り上げは高が知れている──理事長にそう諫言いたしましたが、とうとう翻意することは叶いませんでした。当時の理事長は、コンサルタントの弁舌を信じ切っておりましたから、きっと広告宣伝でなんとかなると思っていたフシがあります。看板だけでも半径5キロ円のなかに十数個。路線バス、FM放送、なんでもあれのローラー作戦を展開していたのですから。
 で、結果的には私の予想どおり、患者数は伸びませんでした。1日あたりの患者数が10人に満たないこともしばしば。それならば濃厚に治療すればよかろうものですが、なにせ、やってくる患者の口腔内に歯が無い! 年金暮らしの農家のお年寄りが殆どですから自費も無い! だから一向に患者数は増える気配すらありませんでしたが、それはそれでスタッフにとっては幸せだったのだと思います。

彼女と二人きりで、よくスキーに行った

 超絶ヒマでしたから、スタッフたちとの雑談タイムも増え、自然と和気あいあいな雰囲気ができあがってしまいました。開業は晩秋、すぐに初雪の季節となり、みんなでスキーにでも行こうか? なんて話が出ましたが、乗ってきたのはMちゃんだけでした。
 じゃあ、やめにしようか、そう言いましたら彼女、
「べつに先生と二人きりでもいいですよ」
 ときました。そして私も、どういうわけか(弁解がましいですが、ホント、その時なんでそう言ったのか覚えてないんです)それを了承してしまったのです。
 今にして思えば、家内がよく許したと思います。子育て中の自分を置いて、若い女性と二人きりでスキーに行くのですから。それも複数回。もちろん、誰と一緒に行くかは正直に話しました。なのに「あっそ。道中気をつけてね」と乳飲み子を抱えながら笑顔で送り出します。私が浮気をしないと見切っていたかは定かではありませんが、いったいどういう心境だったのか、未だに聞き出せずにいます。(笑)
 折しも原田知世さん主演の映画『私をスキーに連れてって』がヒットし、日本は空前のスキーブーム。ゲレンデに立った私とMちゃんは、そこら辺にいるカップルと同じに見えたでしょう。交通手段は私の自家用車ですから、スキー場までの道中を含め、ほぼ1日を共にします。彼女との間に何かおこるのではないか──次第に、そんな予感が盛り上がっていきました。そして、スキーシーズンも終わりに近い早春、スキー場からの帰り道、Mちゃんに変化が訪れます。

豹変の理由

 それまでフレンドリーだった彼女が、助手席に座ったまま、まったく口をきかなくなりました。唇をつんと突き出して、進行方向を見つめています。そして時々、上体を両手で抱えて、
「ザワザワする」
と何度か口にしました。スキー場かから彼女宅までの2時間半、ずっとそんな様子でした。そして翌日の月曜、その理由がわかりました。

 この頃の私は、理事長とはうまくいっておりませんでした。主要地方道に面した立地とはいえ、農村部のど真ん中。前述のとおり昼間人口は乏しい。そしてなんと、テナント開業した翌月に、ライバルとなる歯科医院が真向かいに開業、ただでさえ少ない通院圏人口を奪い合う事態になっていたのです。
 理事長は強気でした。大量の看板、駅、バスへの広告。テレビやラジオCM──まだネット広告や、有料クチコミサイトによる集客手段のない時代ですから、それらだけで患者は押し寄せてくる、そう思い込んでいたらしいのです。
 しかし患者は増えない。増えるわけはないのです。なにせ新規に同時開業したクリニック同士が競合しているのですから。
 春スキーに行った翌日、私とMちゃんは本院に呼び出されます。年度の締めくくりでなにか話があるのだろう、そんな軽い気持ちで向かいましたが、待っていたのはブランド物に身を包んだコンサルタントと理事長の渋面でした。 

チーママ院長だった私ですが、とうとう耐えられなくなりました

「このまま売上が伸びなければ、分院は閉鎖せざるを得ない」
 そう理事長が切り出すと、横に座ったコンサルタントが一枚の紙を提示して告げます。
「これは分院に対する地域住民へのアンケート結果です。よくお読みになってからご意見お願い致します」
 そこに書かれていたのは、ほとんど言いがかりに近い苦情の羅列でした。覚えているものを挙げますと、
 下の総入れ歯が口から飛び出す
 歯磨きの練習ばかりで治療が進まない
 痛いのにすぐ診てくれない、待たせる
 簡単に抜けそうな歯なのに、先に内科へ行けと言う
 今でしたらGoogleのクチコミでよく目にするポピュラーな悪評ばかりで、歯科関係者でしたらどれも噴飯ものであることがわかります。
「つまり、私が下手くそで患者あしらいが悪いということですよね。でしたら私をクビにして下さい。以前から申し上げておりますが」
 理事長もコンサルタントも口をつぐんでいました。口調は穏やかでしたが、私もかなりキレていましたので、気まずい沈黙が落ち込んできます。
 ひと月ほど前にも理事長に、保険点数の取り方が悪い、と叱責されたばかりでした。
 大臼歯の複雑インレーは5/4冠で算定しろ
 レジン充填で単純1窩洞は存在しない
 腫れているなら切開算定は当然
 どうして全顎スケーリングのあとに全顎P-curの算定がないのか
 しまいには、
「俺が分院を切り盛りしたいよ」
 とまで言い出すに至り、わたしは
 ああ、もう勤務医としての賞味期限が切れたのだ、と悟りました。可愛げのあるフレッシュマンが、いつのまにかベテランに成長し、生意気な口を聞くようになった、ということです。 

 沈黙を破ったのはMちゃんのため息でした。そしてあのときと同じ言葉を呟きます。
「ザワザワする」
 私も薄々は気づいていましたが、衛生士学校を卒業して10年近く本院に勤務していた彼女は理事長のお気に入りでもありましたから、私と理事長の対立を快く思っていないフシがありました。しかしそれは私という直属の上司への尊敬や、同僚としての友愛からではありませんでした。

汚れゆくユートピア

 冒頭に書いた通り、彼女は本院の古参衛生士とうまくいっておりませんでした。そんな彼女が分院のチーフに抜擢されたことを知った同期の歯科衛生士から、
「Mちゃん、今までよく我慢したね、これでやっと報われたね!」
 などと祝福される様子を目の当たりにして、いったい彼女は本院で何に苦しんでいたのだろう、と思ったものでした。そして、分院立ち上げ直前に、頻繁に本院へ足を運ぶようになっていた私の脳裏に、最初の勤務先で目にした光景がフラッシュバックしてきました。

彼女にとっての最悪のシナリオは分院の閉鎖でした

 40代中ごろの衛生士が、若いスタッフを顎で使っている、時には勤務医にまで辛辣な言葉を吐く。まるで、私が最初に衝突したお局様、T衛生士を見るようでした。違っていたのはT衛生士は自ら進んでユニットに取り付くのに、今目の当たりにしている彼女は、でっぷりと肥えた尻でスツールを占有して、仏頂面で指示を出すだけ。
 若いスタッフはしきりと彼女の顔色をうかがうか、遠巻きにしているだけ。まるで当時、中日ドラゴンズ監督だった闘将・星野仙一の、それも怒り心頭に発する彼の周囲には誰も近づかない様を見るようでした。
 M ちゃんが苦しんでいたのはまさに、このような職場環境だったのです。恐らくは彼女、私より先に理事長から仄めかされていたのでしょう。このまま売上が伸びなければ分院は閉鎖──そうなれば彼女がやっと辿り着いたユートピアがなくなってしまう。その恐怖心が、最後のスキーの帰路に口にした、
「ザワザワする」
だったのだと思います。
 この時点で私は。完全にやる気を無くしておりました。それはMちゃんにも伝わっていたはずです。売上さえ上がればユートピアを失わずに済む──そう考えたのでしょうか、そのために彼女が選んだ道は、自らがお局様になることでした。たぶん、自覚はなかったと思うけど。

次回、最終回


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