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【#5】君はともだち

3月24日、卒業式の日。

引き継ぎなどでまだ数日学校には行くものの、児童の前に立つのは最後の日だ。今朝の珈琲はいつもより苦い気がしてミルクを多めに入れたせいか少し胸焼けしていた。

次々に登校して来る児童たちは、いつもと違うスーツやワンピースに身を包み照れくさそうにしている。今年は暖かくなるのが早くて、既に満開になった桜がヒラヒラと舞っている。天気も良く卒業式日和であるにも関わらず、遠慮気味に友達と会話をしている児童の姿を見ると成長の喜びよりもこの時世への恨みが勝つ。一生に1度の卒業式なのに、マスク無しで写真を撮ってあげることもできないのだ。


あの後工藤くんのお母さんから電話が掛かってくることはなかった。工藤くんたちに話した事が伝わったのだと解釈して良いのだろうか。そうであって欲しい。彼らの為にも。

もっと早く勇気を持って向き合えていたら良かった、などと軽率に思う自分も嫌になる。そんなのは後出しじゃんけんだ。話し合いがうまくいったからそう思うだけで、反発されていたらきっと「言わなければ良かった」と思うはずだ。私はそういう人間なのだ。問題から目を背けて、出来ているつもりになっていたツケがこの結末だ。

退職を決めたことにほんの少し後悔が芽生えても、折れた心は簡単には戻らない。これを乗り越えることが出来れば少しはマシな教師になれたかもしれないけれど、母に反対されていたときの情熱はもう微塵もなかった。

チャイムが鳴り教壇に立つ。
最後の出席を取りながら胸飾りを渡す。それを受取りピンを刺す児童たちはいつもより勇ましく見える。ひとりひとりの顔をしっかりと胸に焼き付けよう。弱い自分の事もこの先ちゃんと見つめられるように。


卒業式はたった1時間程で終わった。6年2組代表で卒業証書を受け取った、学級委員の飯坂栞さんのお父さんが体育館に響き渡る声で嗚咽しており、児童や保護者の間からクスクスと笑い声の漏れる微笑ましい式となった。こんな簡略的な卒業式でもやってよかったと思えた。もう二度と歌わないであろう校歌の合唱が聴けなかったのは、少しさみしい気もするけれど。



教室にもどり、卒業証書やプリントなどひと通り返し終わると間もなく解散になる。いつもの私だったら寂しさがこみ上げて涙でも流していただろうが、卒業生たちへの思いとは別に仕事を辞める安心やこれからの不安などの色んな気持ちが渦巻いているのが正直なところだ。それでも辞表を提出した時に比べて、笑うことも食べることも出来るようになった。Wilkins(ウィルキンス)の音楽はまだ聴けないけれど、児童たちの校歌が聴きたいと思えるようになったのは中川くんや工藤くんたちとの交流があったおかげだろう。

6年2組の皆に伝えたいことがあった。昨日は一晩中考えて殆ど眠ることが出来なかった。へっぽこ教師からの、最後の授業だ。

「先生から渡すものは以上です。忘れ物ないようにね。」

相変わらずすぐに切り出せない。

「もうまとめましたー!解散でいいですかー?」

こちらも相変わらず工藤くんが差し込んでくる。工藤くんが言うと本当に皆が帰って良いような雰囲気になるから不思議だ。

「あの!!」

急いで止めようとして声がひっくり返る。

「あの…最後に、先生からみんなに、お話があります。すぐ終わるから、聞いてくれるかな。」

半分立ち上がっていた工藤くん、関くん、山口くんが「はーい」と少し不満そうに座る。

「このクラスでは2年間、担任をさせてもらいました。本当だったら沢山行事があって思い出も沢山作れたんだろうけど、感染病が広がったことで6年生になってからは殆ど交流ができなかったので、最後に少し話しておきたいと思います。
まずは、5年生の終わりに先生が騒ぎを起こしてしまって、みんなには迷惑をかけました。不安な思いも沢山させてしまいました。改めてごめんなさい。」

頭を下げる。みんなの顔を見るのが怖いけれど、今日は逃げないと決めて来た。

「大人なのに情けないですが、みんなに迷惑をかけて学校にも迷惑をかけて、世の中も大変なことになっているし、この1年は先生もどうしたらいいのかわからない、不安で辛い日々でした。先生も自分のことでいっぱいになってしまってみんなに十分なケアが出来なかったと反省しています。
それでみんなに聞きたいんだけど、友達と喧嘩したとき、お母さんやお父さんに怒られたとき、テストで悪い点をとってしまったとき…まあ、何でもいいんだけど、何か嫌なことがあったとき、みんなならどうするかな?」

突然の問いかけに児童たちの目が戸惑いで揺れる。

「喧嘩したら、謝ります。テストの点が悪かったら勉強するし…もうそうならないように気をつける。」

最初に飯坂さんが答えた。学級委員らしい、しっかりものの意見だ。

「とりあえず反省するー!」「いっぱい寝る!」「お母さんに相談する!」

ひとりが答えると言いやすくなったのか次々と手が挙がる。

「俺はサッカーかなぁ。反省はするけどさ、なんか好きなことに夢中になって嫌な気持ちをふっとばす!」

工藤くんが「ふっとばす!」と言いながら両手を左から右にビュンと振ったために椅子が倒れそうになって笑い声が起こる。調子に乗りやすいが、最後までクラスのムードメーカーだ。

「そうだね。ひとりひとり違うと思います。先生は今まで嫌なことがあったり疲れたときは好きな音楽を聴いていました。だから工藤くんの気持ち、良くわかります。」

自分の意見が肯定されて、ヘヘッと照れくさそうに笑う。

「じゃあ、その好きなサッカーで嫌なことがあったらどうする?」

「え…」

数秒考えると小さな声で「落ち込む…かも」と答えるとまた笑い声が起こった。

「そうだよね、ありがとう。多分学校では、飯坂さんが言ってくれたように『反省して次の対策を練ろう』と教えられると思います。もちろん、それも素晴らしいことです。そう出来たら良いよね。でもね、これから中学、高校に行って、早く就職する人もいるかも知れないけど、とにかくどんどん世界が広がっていきます。それはとても素敵で楽しみなことだけど、その中で嫌なことにぶつかる事も避けられません。もちろん立ち向かってどんどん強くなれれば良いんだけど、どうしてもそれが出来ないときもあります。そんな時、頭の片隅に『逃げる』という選択肢も置いておいて欲しいんです。」

「えー?」「そんなのいいのー?」とざわつく。そうだろう。教師のする話じゃないかもしれない。でも私はこの事を学校で教えておいて欲しかった。


「『逃げる』というより『避難する』と言ったほうが良いかな?それはなにも、全部投げ出す事とは限りません。極論、それもアリです。でもさっき皆が言ってくれたような『サッカーをする』『寝る』『お母さんに相談する』これも全部避難することです。たとえばサッカーをして1度嫌なことを忘れたらまた頑張れる、って言う事があるよね?嫌なことから1度離れるというのはとても大切な事なんです。つまり何が言いたいかというと、『好きなもの』や『信頼できる人』を沢山見つけて欲しいの。サッカーをしたいけれど雨が降っていたとき、じゃあ今日は本を読もうというふうに切り替えることが出来るから。いくつか『好きなもの』を持っておくことがきっとこれからの皆を助けてくれるはずです。」

私はWilkinsに沢山救われてきた。Wilkinsがいなければ教師にもなれなかったかもしれない。ところがその避難場所を失った事で心が迷路に迷い込んでしまった。好きなことが多ければ、悩みを話せる人が多ければ、助かることがあるだろう。

今はまだピンと来ないかも知れないけれど、いつか分かってくれる日が来るといい。この話をするのが6年2組の児童に私が唯一出来る事だ。


「はーい」と関くんが小さく返事をするとみんなも返事をしてくれた。

「聞いてくれてありがとう。それではこれで…

話を終わらせようとすると手を挙げている児童が目に入った。

「はい、中川くん」

「あの、先生のお話、いい話だったんですけど、謝るのは違うと思います。」

「え…?」

「前も言ったけど、先生は悪くないじゃん。あの時はまだよくわからなかったし、例えあれで先生が感染してたとしても謝る必要ないよ。先生が謝ったらこれから僕たちが感染した時謝らなきゃいけなくなるじゃん。悪いのはウイルスでしょ。先生もWilkinsも悪くなかったんだよ。」

確かにそうだ。そうなんだけど…。
なんと言えばいいか困っていると「そうだよ!」とみんなが口々に言い出した。

「ありがとう…」と小声で言うと「あん時1番悪かったのは俺らだよなー!先生のことイジメちゃったからー」おどけて工藤くんが言うとまた「そうだよー!」「謝れよー」という声と共に笑い声が起こる。

最後の授業だなんて気張って来たけれど、結局また励まされてしまった。

「ありがとう!先生は、6年2組の担任になれて幸せです。これからもみんなの成長と健康を願ってます。本当に卒業おめでとう。」

今度は大きな声で言ってみる。

「それではこれで解散にします。」

私の言葉を受けて「起立!」と飯坂さんが言うとガタガタと椅子が鳴りみんなが立つ。最後の帰りの挨拶だ。

…の、筈だった。
中川くんが私の手を取ると、教室の真ん中に連れて来られた。驚いているうちに児童たちが教室の壁沿いに円になり、外を向く。私はその円の中心にポツンと立たされている。


「感染対策で小声でいくからよく聴いてね」と中川くんが言うとどこからか音楽が流れた。聴き覚えがある。本当だったら卒業式で校歌と一緒に歌うはずだった、5年生の時の合唱コンクールの課題曲『YELL』だ。


‘’「わたしは今、どこに在るの」と
踏みしめた足跡を何度も見つめ返す
枯れ葉を抱き 秋めく窓辺に
かじかんだ指先で 夢を描いた‘’


一人、一節ずつ歌っていく。教室いっぱいに広がって距離を取り、外に向かって。これも子供たちが考えた感染対策だろうか。マスクを取らずに小さく歌う声は、恥しそうでありながらもひとりひとりに語りかけられている様だった。

5年生の合唱コンクールで課題曲が決まったときに「これは先生が高校生の時に大ヒットした曲なのよ」と話したら「えーおばさんじゃーん」と笑っていたのはパートリーダーだった玉田さんと伊藤さんだった。当時好きだったいきものがかりの名曲が教科書に載っているなんて、嬉しいような少し寂しいような不思議な気分だった。

‘’僕らはなぜ答えを焦って
宛てのない暗がりに自己を探すのだろう
誰かをただ想う涙も 真直ぐな笑顔もここにあるのに

「ほんとうの自分」を誰かの台詞で
繕うことに逃れて迷って
ありのままの弱さと向き合う強さを
つかみ 僕ら 初めて明日へと駆ける‘’



この2番の歌詞の意味が理解できるようになるのはもう少し先だろうか。
中川くんなんかはもしかしたらもう何かを感じているかもしれない。
私には響き過ぎるほど響いて、今ちゃんと立てているのかもわからなくなってきた。

2番のサビが終わると一斉に皆が内側を向く。

‘’永遠などないと(気付いた時から)
笑い合ったあの日も(唄い合ったあの日も)
強く 深く 胸に刻まれていく
だからこそあなたは(だからこそ僕らは)
他の誰でもない(誰にも負けない)
声を(あげて)「わたし」を生きていくよと
約束したんだ
ひとり(ひとり)ひとつ(ひとつ)道を選んだ‘’


ここから全員で歌うことになっているらしく、声が力強くなる。みんなで考えてくれたのだろうか。練習も出来なかっただろうに、感染対策もしながら私へのサプライズを。

全員で最後まで歌いきると同時に工藤くんが「サプライズせいこーう!」と叫び、みんなが拍手をした。泣いているのは私だけで皆笑っていた。飯坂さんだけ、ちょっと目尻が光っていた。



***********************

他のクラスの先生に怒られないうちにと蜘蛛の子を散らすように6年2組は解散した。もう会えなくなる前に、ちゃんとお礼を言っておかなければいけない人がいる。

「中川くん!」

下駄箱を出たところで呼び止めた。

「先生…上履きのままだよ。」
振り返って私の足を見て笑う。

「今日の…歌のサプライズ、中川くんがみんなに声かけてくれたの?」

「あ、わかったー?」とまた笑う。

「うん何となく。あと、音楽…中川くんから聴こえたから。」

「バレちゃった。本当は持ってきちゃいけないのにごめんなさい。」

「ううん、本当に嬉しかったし、感動した。ありがとうね。最後にちゃんとお礼を言っておきたかったの。」

「前に勇気くんたちを説得してるとこ見られちゃったからばれてるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ。」

「え?あ、放課後みんなでモメてたとき?」

「そう。最後まで勇気くんたちが恥ずかしいから嫌だって言っててさ。先生に聞かれてバレたらまずいと思って逃げるように帰ってきちゃったしヤベーって思ってたけど、あのあとうちに勇気くんから『やってもいいよ』って電話かかってきたから結果良かったけどね。」

「そうだったの…」

「なのにさっき1番の盛り上がってるんだからズルいよね!」

「ほんとだね。」

この子と話してるとやはりつられて笑ってしまう。

「そうだ、結局クラスのみんなには言わなかったけど、どうして先生が辞めること知ってたの?」

「ああ、うちのお父さん教育委員会の人で、たまたま電話で話してるの聞いちゃったんだよね。」

「え、そうなの?」

「うん、お父さんにあんま言っちゃだめって言われたんだけど、勇気くんたちがずっとゴネるから最終手段で話しちゃったんだ。ごめんね。」

ニコニコして柔らかい雰囲気でありながらかなりのしっかり者だ。

「ううん、色々とありがとう。あの日、工藤くんたち、先生にバイキンって言ったこと謝ってくれたのよ。中川くんが言ってくれたんでしょう?」

「ああ、それも今回のサプライズ成功させるために、悪いと思ってるなら協力してくれって言ったんだ。それに…弱いものいじめは好きじゃないんだ。ロックじゃないでしょ?」

そう言い笑う。

「ロック?」

「うん。僕、ロックが好きなんだ。だからWilkinsも好きだよ。勇気くんたちには馬鹿にされるけど。」

「凄く…良いと思う!」

「そうだ、中学の文化祭来てよ。僕軽音部に入るからまた先生に歌歌ってあげる。」

「ありがとう、でも…」
「だって、もう先生じゃないんだから友達でしょ?」

屈託のない言葉に答えあぐねていると、校庭から
「蒼ー!」と呼ぶ工藤くんの声が聞こえた。

「じゃあ、約束ね!さようなら!」と中川くんは工藤くん達の中に入っていく。工藤くん達3人も「さようなら」と会釈をする。

「さようなら!」

私も今出せる1番の大きな声で答えた。色んな想いを乗せて。



他の児童達も笑顔で帰っていく。子供たちは逞しい。私が思ってるよりずっと色んなことを感じて、考えている。

最後に沢山プレゼントを貰ってしまった。音楽をちゃんと聴いたのは久しぶりだった。初めてWilkinsのライブに行ったときの感動を上書きしてくれるような合唱だった。


また泣いてしまわないように、職員室へ向かう。まだ仕事は終わっていない。あと数日働いたら晴れてニートだ。何をするかは決めていない。実家に帰る勇気もない。でもわかっていることは、『また歩き出すために休む』ということだ。

「仲村先生、桜がついてますよ」
言われて見ると肩に花びらが1枚乗っていた。
それを取り、手帳に挟む。お守りにしよう。

お先真っ暗なはずなのに不思議と悪い気分じゃない。6年2組のみんなのおかげで春をほんの少し好きになれそうだ。「さよならは悲しい言葉じゃない」と教えてくれたから。


                 終わり


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