見出し画像

妄想軍事評論 「旧日本海軍 大和型戦艦=考察」

 戦艦大和とは、日本(人)にとって−いったい何で有ったのか−−戦争中は、一般国民は=その存在を知らず。戦後−軍事専門家・マニアを通じ=広く、知られるように成り−−現実には、ほぼ活躍する事無く=東シナ海の海底に多くの乗組員と共に没したが、その活躍を夢想する人々により「宇宙戦艦」にまで=成り上がった「大和」。
 「戸高一成氏いわく、大和が活躍出来なかったのは=運用方法の問題」という考察には同意するが−−更に考察を進め=「その形、パッケージデザインに問題が有りはしないか」を僕なりに、考察してみた。
 先ずは「建造時期」−−昭和5(1930)年にロンドン軍縮条約を結ばなければ=昭和9(1934)年頃には、金剛型戦艦代替の新型戦艦が誕生していた訳だが=条約締結により先延ばしとなり。昭和10(1935)年に改めてロンドン軍縮会議を開き−−史実は、そこで日本は条約脱退=それによって昭和12(1937)年1月1日をもって−無条約時代(建艦競争)に突入する事となった。問題は、自ら言い出したにもかかわらず=新型戦艦建造(大和起工は昭和12年11月−竣工は真珠湾攻撃後=昭和16年12月16日=少なくとも事前準備に万全を期し、半年は早く起工すべきだったと考える)で、欧米列強に大幅に遅れをとった事。目先の事象 面子・プライドに囚われ〈長期的国家戦略〉を欠く=今の日本(人)にも通じる〈民族的欠点〉か。
 話は変わり、本題。新型戦艦の形・パッケージデザイン?はどうすべきで有ったか。史実の大和型戦艦は「主砲=45口径46cm3連装✕3基9門(前部6門後部3門)」これは−アメリカ・イギリスの新型戦艦も同様の主砲配置−砲力を前部に厚く、後部が手薄となる。軍人とは敵に後ろを見せる事を嫌い、常に前へ突進する生き物か。僕なら「変な(誤った)プライド」など無いので−手薄な後方へ廻りこんで「有利に闘いを進める」−−当時に限らず=勝てば官軍、負ければ賊軍ープライドより勝利🤔🧐

 という事で、僕が妄想する「大和型戦艦」の主要目を↓2種類。
 《A案》
 船体は、全長273m 全幅37.5m = 幅を約4%減 長さを約4%増で史実の大和型と排水量は−ほぼ同じ?
 装甲は、史実の大和型と同様で。ただ、大和の船体強度には問題(欠陥?)が有った様だが−−(米国潜水艦の魚雷一本命中で、舷側装甲板に大きなダメージ=強度不足?)私見として、リベット留めに+して「電気溶接を併用」して強度UPを図る=日本の未熟な電気溶接技術でも「補強」程度なら役に立つのではないか。更に全体の軽量化の為に「船体強度に影響しない−上部構造物に積極的に採用」※舷側・上部・砲塔・司令塔の装甲板厚をケチる訳にはいかない。
 主砲は、50口径41cm 3連装4基=前・後部に背負式に2基づつ−計12門。※米国海軍の(未成戦艦)モンタナ級の様だが。命中率を高めるには、多数の砲弾−12門12発−で投網を掛ける様にするのが理想と考える。
 副砲は、史実の大和型(前後・両舷に15.5cm三連装4基)と同様に=60口径15.5cm砲を搭載−−多少 全長を延ばしたものの、主砲塔4基搭載ではスペース的に厳しいので、前後砲塔を省略し(この部分の装甲の薄さが弱点=を解消)両舷の2基(6門)のみとする。
 高角砲は、口径8cm前後の連装速射砲を副砲塔を囲むように=上段に4基・前後に1基づつ2基。両舷で12基24門。
 対空機関砲は、20mm高射機関砲4連装(2連装)を(最終的には〈大和、沖縄特攻時のようにハリネズミ状態〉に成るだろうが)完成時は、4連装を=艦橋・後楼廻りに、16基64門。
※「妄想軍事評論 旧日本海軍=艦載−対空機銃・高角砲=考察」参照。
 機関は、この時期の大馬力タービンは「航空母艦 翔鶴型」の「16万馬力」の他に無いので−新規開発が出来れば=例えば18万馬力=理想的−これを搭載。速力は29ノット程だろうか。
 航空艤装や短艇類は、史実の大和型と同様=後部甲板下に格納で良いだろう。
 《B案》
 船体規模・機関・副砲・高角砲他は、A案と同じ。
 主砲は「45口径46cm 3連装2基 連装2基 を前・後部に2基づつ(背負式=1番砲塔−連装 2番砲塔−3連装 3番砲塔−3連装 4番砲塔−連装)4基10門」とする。※普通は船体規模が同じなら=連装4基8門だが、10門は搭載したいので=上部構造物に電気溶接を多用し、鋼材の節約(軽量化)を図りたい。それで、重量的に無理なら=主砲塔の装甲を薄くせざるを得ないが。
 《最後に》
 僕の妄想−大和型戦艦は如何か? 皆様も「自分だけの〈戦艦大和〉を妄想してみては−−」きっと愉しいと思う。

               杉岡 宗春
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?