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【オススメ本】梶谷真司『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』 (幻冬舎新書)、2018

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先日あるパネルディスカションでご一緒した研究所の方から推薦され読んでみました。

「哲学」という言葉がつくと、「カントが「純粋理性批判」で…」や「ニーチェの超人の思想によれば…」のような内容の入門書と思いきや、結論からいうと、そうしたいわゆる「哲学者」は一切出てきません。タイトルや帯にもある通り「考えることの重要性」「自由に質問する、話すことの重要性」、すなわち「哲学対話」いついてひたすら一冊丸ごと述べられた一冊でした。

筆者は東京大学教授の梶谷真司先生。プロフィールは以下のような研究者でいらっしゃいます。

(参考)梶谷真司氏プロフィール  1966年、名古屋市生まれ。89年、京都大学文学部哲学科宗教学卒業。94年、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。97年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了、京都大学博士(人間・環境学)。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。著書に『シュミッツ現象学の根本問題』(京都大学学術出版会)がある。

私が特に印象に残ったのは下記の言及でした。

・他人や物事に対してのみならず、自分自身に対して批判的・反省的でなければならない。柔軟で自由でなければならず、バランスや公平さも必要である。もしそうした広い意味での思考力を育てるのが哲学の役目の一つだとしたら、大学に入ってから教わるのでは遅すぎるのではないか(p.30)。

・小学校では、この「問う」をもっと強調して、「分からないことを増やそう」と言っている。学校を始め、世の中では、いろんなことを学んで分かることを増やし、分からないことを減らすのがいいとされる。哲学はその真逆である。分からないことがたくさんあれば、それだけ問うこと、考えることが増える。たから分からなくなるのがいい、というのが哲学なのだ(p.33)。

・いろんな立場の人が集まって一緒に考えると、それぞれが普段自分では問わなかったこと、当たり前に思っていたことを自ずと問い、考えるようになる。前提を問う、自明なことをあらためて考える。それはまさに哲学的な「体験」だろう(p.35)。

・哲学対話は、輪になった行う。できれば机はなしにして、椅子だけがいい。机があると、人はそれだけで話さなくなる(p.37)。

・私は、哲学は体育会系の学問と思っている。すなわち、知的というより、身体的な活動であって、何をもって「哲学的」と言うのかは、スポーツと同じで、実際に自分で経験して見て、体で感じるしかないのだ(p.40)。

・重要なのはむしろ、対話が終わった後である。本当の対話は、そこから始まる(p.43)。

・自由に考えるためには「何を言ってもいい」ということが必要なのだが、この原則からすと、学校は正反対の場所である。そもそも学校では言うべきことが決まっている。それは「正しいこと」「良いこと」「先生の意に沿うとされていること」である(p.52)。

・自ら考えることで自分が自由になる(中略)。それは制度や法律で規制されていなくても、周囲からどんな影響を受けようとも、いずれにせよ可能である(p.87)。 

・自分自身から、そして自分の置かれた状況、自分の持っている知識やものの見方から距離をとる。そのとき私たちは、それまでの自分自身から解き放たれる。自分を縛っていたものー役割、立場、境遇、常識、固定観念などーがゆるみ、身動きがとりやすくなる(p.93)。

・「問い、考え、語り、聞くこと」としての哲学において、最も重要なのは「問うこと」である。「問い」こそが、思考を哲学的にする(p.113)。

・問いは哲学的でなかったりする。問いがはじめから哲学的である必要はない。問いをさらに問い、問いを重ねていく。そうやって考えを深めたり広げたりするうちに、問いが哲学的なものへと変化していく(p.128)。

・世の中には、問いのように見えて、実際には問いではないものがたくさんある。不満や不安、怒りや恐れや苦しみと共に発せられる問いは、多くの場合、問いではなく、拒絶、否定、批判、侮辱、呪詛である(p.138)。

・人間同士のコミュニケーションは、常にこういう「話す」「聞く」という関係として成り立っている。そんなことは、日常生活の中で、じゅうぶんやっている。けれど、経験上、対話の時に対話の時にしている「聞く」は、明らかに普段とは違うのだ(p.166)。

・若い人の話し合いの場に、年配の人に参加してもらう。あるいは逆に高齢者の集まりに、若い人を呼ぶ。大人の対話に子どもが入り、子どもの対話に大人が入るようにする。そうすれば、双方にとってより有意義な対話になる(p.186)。・

・まともな結論もなしで中途半端に終わることで、かえって考える力、、考えたいという気持ちが残る。満足するまで話せば、それでもう考えなくなり、その日に考えたことも忘れるかもしれない(p.244)。

以上です。この抜粋からだけでも、十分に「考えること」「自由に話すこと」の重要性を感じられるのではないでしょうか。

ともあれ、哲学対話という言葉を使う(べき)かどうかは別として、哲学とは一部の研究者や哲学好きの方のためだけでなく、日常的なもので(あるべき)あり、誰しもが身近に感じる(べき)ものなのでしょうね。著者である梶谷先生はこのメッセージを伝えたいのでしょう。

その意味で「0歳から100歳までの」というサブタイトルは決して大げさでなく、子供達がから高校生、大学生、おじいしゃんおばあちゃんに到るまで、「人生100年時代=考え続ける100年」にしたいと思う人にオススメの一冊と言えそうです。

難しいことをやさしく、やさしいことを楽しく。


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