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【オススメ本】伊藤氏貴『奇跡の教室ーエチ先生と『銀の匙』の子どもたちー』小学館、2010

『銀の匙』という1冊の文庫本を題材を3年に渡りスローリーディングしながら、時に横道にそれながら、人間の学びたいという探究心に火をつけ続け、結果として日本一の東大合格率を誇る灘ブランド確立。それだけでなく、卒業生それぞれが前向きな人生を歩むきっかけを作られた伝説の国語教師・橋本 武氏。通称「エチ先生(エチオピアの皇太子に似ているという理由から付けられたあだ名)」。

この奇跡の授業がなぜ生まれたのか、そして、その型破りの授業の本質はどこにあったのか、また、その授業を受けた生徒たちはいまどうなっているか、ということに迫る一冊に仕上がっている。

橋本氏のプロフィールは以下の通り。

1912年(明治45年)京都府生まれ。1934年(昭和9年)に東京高等師範学校を卒業。同年、旧制灘中学校の国語教師となり、のち灘中学校・高等学校の教頭をつとめる。戦後中勘助著の『銀の匙』を中学校3年間かけて読み込むという、前代未聞の授業を実践し、1962年(昭和37年)には『銀の匙』で学んだ教え子たちが京大合格者日本一を、1968年(昭和43年)には、東大合格者日本一を記録し、灘中学校・灘高校を押しも押される名門進学校に導く。21歳から71歳まで50年にわたり教壇に立ち続け、1984年(昭和59年)に退職。

上記では、京都府となっているが、本書を読むとそれが京都府北部の宮津市であることが分かる。代々履物の製造販売を営む商家の出で、9人兄弟の長男であったようだが、父親の酒癖の悪さや中学校時代にかかった腹膜炎など幼少期は苦労が絶えなかったという。そして、中学3年(正確には4年)の際に家業の破産で家族は離散。しかし、橋本氏は担任の先生の計らいで宮津に残ることができ、住み込みの家庭教師をしながら受験勉強を続け、東京高等師範学校(現筑波大学)に合格したという。ちなみに宮津で東京高等師範学校(現筑波大学)の合格は橋本氏が初であったらしい。

私が印象に残った言及は以下の通り。

・注入より抽出(p.66)。

・国語はすべての教科の基本です。学ぶ力の背骨なんです(p.77)。

・国語力とは生きる力と置き換えてもいい。どんな時代や環境が変わっても、背骨がしっかりしていればやっていける(p.80)。

・あえて捨てる。あえて徹する。あえて遠回りする(p.86)。

・「行間を読む」だけでなく、「行間に書く」(p.132)。

・すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなります。(中略)なんでもいい、少しでも興味をもったことから気持ちを起こして行って、どんどん自分で掘り下げて欲しい(p.140)。

・知識を伝えるのは、一種の「美しいもの」を伝える、そういう一面を持っている(p.160) ※銀の匙3代目の濱田純一氏(東大元総長)

他にもまだあるが、このあたりで留めておく。

ともあれ、橋本氏の授業は大学で言えば、原書購読の応用ような授業、最近の言葉で言えば「総合的な探究の授業」、また、『銀の匙』は90年代からアメリカで隆盛となった「ポートフォリオ」と言えそうである。しかし、それはあくまで結果論であり、逆に言えば、橋本氏の授業法が影響を与えた可能性すらある、とも言えそうである。

そして、この本を読んで私が思い出したのは「本当の教育は卒業してから」という言葉。


大学人としてどこまでこの領域に近づけるか分からないが、この世界感を目指して目の前の授業を頑張ろうと思えた、そんな勇気をくれた一冊であった。

(参考)目次

第1章 「追体験」が風を吹かせた
第2章 「エチ先生」以前
第3章 銀の匙研究ノート
第4章 主人公との往復書簡
第5章 横道こそが王道
第6章 『銀の匙』の子どもたちの快挙
第7章 見果てぬ夢

(参考)小学館URL

https://www.shogakukan.co.jp/books/09408773


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