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もういちど、おやすみプンプンを読む 4


 香港の若者がデモをして、無力感から自殺した同胞を追悼しているなどの映像をみて、自分が行動をしないことに何となく胸を痛めるマッチポンパーたちにおすすめの著、おやプンを読み直しはじめて四日目になりました。


 こんばんは~。杉森です。

 例えば頭を振り絞って選挙に行くとか、新聞のオピニオン面に投書するなどで溜飲を下げれば良いかもしれないけれど、ぼくとしてはやはり、ぼくの近くにいる人が困っていればその解決に頭を振り絞り、困っていなければ屈託なく笑わせる為にオピニオンをぶつけていくことを、全力でやっていることを善行と呼ばせて頂きたい。


 さて主人公が落書きの退廃漫画の第四巻は、綺麗な恋心は屈折ヒロインに否定されるラブコメ訣別宣言であります。


 その前にまず、プンプンのママンの弟、プンと似た道を歩みながら、プンよりも行動的で衝動的な雄一伯父の過去の大失恋と、その救済(転じて精神的殺害)に至る荘厳な章であります。

 伯父はお茶目なおまん〇を救えるのか!!(堕落する)
 プンは愛子と離れて生きて行けるのか!!(オナ禁する)
 わたしは、上記下記下ネタをnoteに投稿できるのか!!(規制アービトラージ)


 波のように、押したり引いたりしながら、着々と破滅に近づいていくのは観客にとって、優雅ですらあります。

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 古本のにおいのする4の巻には、なにか汁を後方に飛ばすプン氏が右方に視線を展開している、みどりいろの表紙であります。

 大学時代からタイプライターとしてしか使っていないNECのiTunesに眠っていたAirの夏影のトランス風アレンジという違法ダウンロードを蘇らせてみると、ノスタルジーによる過去といまの自分の対比に押しつぶされそうになります。


 思えば、扇情的な歌に気を取られ、扇情的なアニメに気を取られ、扇情的な同級生に欲情しはじめ、その線上にいまがあると気が付くのも、こうした、過去の好物なのですね。

 「♪ふいに咲いた雲を 見下ろす懐かしい夢」


 すてきなアレンジ。わたしのくすんだ青春に色を添えてくれてありがとう。きっとあなたに届くことはないけれど、感謝を送りたいです。(自己満足)

 カバー裏は雄一伯父が陶芸教室を辞することになる、少女にフェラチオ一発で狂わされた同僚の発狂シーンの吹き出しをすべてくしゃみにしたトランス風アレンジで、微笑。

 「♪はるか空超えた 鳥は眠る」


3巻までのあらすじがあるので転載します。

ごく普通の中学生、
小野寺プンプンは
片想い(?)の女の子・
田中愛子を巡って、
部活の先輩と無謀な
勝負をすることに。
一方、叔父の雄一は、
気になるフリーター女子、
大隈翠に過去を、
打ち明け始める。

 珍しく真面目なあらすじは、アシスタントにでも書かせたのでしょうか、先生。


 バド部の小松が、バド部の赤い彗星と紹介されていたので、僕が代わりにシャアに謝っておきました。すいません、黒い三連星にも謝っておきます。ガンダムオリジンでは、ドズル=ザビを好きになりかけて、やっぱり身なりがごついのでやめた次第であります。

 というか、おじ、って叔父なんだ。

 叔父は父母の弟、伯父は父母の兄、らしい。なるほど編集者失格の誤用乱舞で、慙愧に堪えません。



 ささ、翠ちゃんのカフエでうつむく雄一は、陶芸教室の生徒のOBSNの子供の堕胎JKを大雨の夜、家に連れ込みましたところから懺悔スタートです。


 雄一は、プンの相似形ですので、基本的にどれほど深刻なシーンでも、ふとももや谷間を凝視しています。この主題こそが、おやすみプンプンの退廃感を確定しているものだと、私はここまでで推定しています。


 よくみると雄一の家には、コンポやレコード再生機、本棚に多くの本があり、芸術的素養が散乱しており、彼は一概にダラダラと生きていないことが分かるのですね。たばこの吸い殻や、散らかった掛布団などは、そうした真面目さを覆い隠すように、混在しているのでこれまでは読み飛ばしておりました。


 さぁ、大雨転じてデウスエクスイニオ、雷と少女の涙が重なった瞬間、停電しちゃった。

 電気とは見たくないものまで見せるもので、それが消えちゃったら、見たいものしか見えません。

 さて、少女は刹那で雄一に抱き着いて押し倒し、接吻をくらわす。大相撲なら寄り倒しで軍配は少女に上がって終わりですが、これは、ただの痴話でありまして、後ずさりながらも知りの肉をつかみ、その愛液を確認する雄一、隆起する一物をサルベージしようとベルトを操作する少女に対して、
「やっ やめっ やめなさいっ!」

 漫画の良いところは、小説と違って、言葉のフォントの大きさで視覚的に声量を伝えられるからいいね。

 少女に「やだ」と言われて駆け引きする間も股間と胸を凝視する昆虫のような彼に恥ずかしげもなく共感することこそ、コスモポリタンの一員で、恥じらってしまう知的現代人は今すぐに、NISAに貯金を付け替えて老後のことでも考えてろ!

 ルンバ買ってルンバが動けないから家具の配置変えるのは、美意識の欠落かい。

 関係ない話は置いておいて、以下は考察してみたいところであります。

少女 私と二人で、人生をやり直しませんか?

雄一 ぼくには…残念ながら…君を救うことは、できない


 ここでの雄一は、現実に根を張って、小さな町の陶芸教室ながらも自分の趣味嗜好と職を合致させ、四年付き合ってきたぽっちゃりでヒステリーを起こすところ以外はおおむね素敵なガールフレンドもおります。

 一方で陶芸教室には、陶芸で賞を取っちゃうようなクール眼鏡(のちに少女にフェラチオされて少女の母をハンマーで殴る)がいます。

 雄一はどちらかというと、大衆受けするものより、一人でもいいからそいつの人生を自分が変えたいタイプで、これは浅野いにお作品に頻出する不完全感覚ドリーマーに位置付けられると思います。


 なので、(不完全情報ながら)堕胎経験者であるというJKの肉欲がこそ、スタートマスである人生ゲームをはじめることはできなかったのでしょう。

 彼にとって知性は何か。彼は、物語終盤で子供ができます。その発生の元となった中出しを決めた瞬間に「自分は死んだ」と語ります。


 この巻では先のセリフの後、家に彼女が現れ、雄一は押入れにJKを押し込め、彼女とセックスして、JKが現実逃避するときにつぶやく「かみさまかみさま、チンクルホイ」というキーワードを呪詛にして心で叫びながら、射精に達するという雄一の精神と肉欲の分離の描写は見事であります。

 彼にとって、自分の人生を語るシーンが次の巻に確か出てくる。


 ……いや、7巻でした。(滑稽)

(7巻雄一あらすじ)
 雄一は、結局カフェ店員の翠さんと結婚するが、その前に雄一が浮気したことから翠がプンの童貞を奪うという全員のだらしない下半身タイガースの選手らが暴れこんだ後に、母の死後一人暮らしすると決心したプンプンに対して一人語りをして、物語上の役目を二つ残してほぼ終わります。
(南無)

 そのとき、「覚悟して自分で決めろ。それなら君が殺人鬼になろうがしったこっちゃないが、自分の境遇を環境や人のせいにしたときは日本刀でたたっきる。退屈な景色もくだらない日常も、変えられるのは自分だけ。命を燃やせ、そのとき、世界は君のものだ」
など言い放ちます。


 裏を返せばかなりの自己満足主義者でありますよね。自分が悩みぬいて決定したとき、世界は自分のものだと。

 ただ、この裏側には、ただのエゴイズムではなく、選択肢を比べていく先でたどり着く世界だ、ということだと思います。

 ないものねだりではなく、何かをつかみ取る運動を行いながら悩み続けて、そこで得られた選択肢をまた悩んで、その、いまの状況でできるすべてを出し切る選択肢を選んだ末の行動の中にこそ、自分というものが発現するというような。


 戯言ととるか、箴言ととるかは置いといて、その悩み切るというものも自分で決めるものだから、この理屈じゃあんまりですね。
 そもそも人間は、自分のために生きてて、その自己満足の純度をどれだけ高められるか。


 しいていうなら、その純度の矛先は大衆へのマーケットインでなく、当たり前を望む量的な充足に対抗する幸福追求の運動であってほしいのでしょう。


「わかるまで前に進み続けろ」

 こういう雄一の思いは、決して個人が思考放棄するな、という咆哮でしょうと思います。


 さて、押入れJKの前でいつもより激しい彼女との性行為を終え、停電が回復する途端に、逝き果てている彼女を横目に押入れからJKを出します。

 ここは、光と闇が入れ替わったという解釈はどうでしょう。

 JKは停電して性欲を爆発させたものの、雄一がつかんだちっぽけな現実が闇に反転した。


 闇の中では、彼女のありのままへの不満(「歪んだトマトのような顔」とほざく)について吐き捨てて、JKの魅力を称賛していますが、光が戻って現実が来ると、堕胎や軟禁は冗談じゃないかと思い始め、彼女(歪んだトマト)に結婚しようと言うわけですので。

 さて、JKは軟禁から救われたいのか何なのか、とにかく雄一ではJKが望む行為に達しなかったので、作品作りが世に認められ始めた陶芸教室の別の男にフェラチオしてまさに口車にのせて(うまい)母親をハンマーで殴り決着。




 返り血を横で浴びた雄一が交番へ駆け出すまちの雑踏の中に雄一と出会ったときに雄一が読んでいた『愛のゆくえ』を読むjkが「お母さん死にました?」とあり、「男って単純ですね」などほざいたところで、流れる雄一の完敗宣言がこの巻のハイライトです。


彼女はきっと……
僕みたいな人間は
一生触れてはいけないものだったんだ。

それでも……
美しいものを求めるのが人間。
……弄ばれるのも人間。

壊すのもまた……人間。




 雑踏に消えていく彼女に恋をしていたのに気づいたのに、
彼女の名前すら知らないことをさも重大事態のようにうちのめされて幕引きであります。


 確かに、恋なんて勝手にするものであるうちは、勝手に裏切られるので、理想的なのは、二人で何か同じものを目指したり認めたりしながらやるような、音楽的なもののほうがいいよね。



 勝手にいろいろやってるだけじゃ、「今子供欲しくなかった」とか、「ここに洗濯物置かないで」とか、かつて愛したとしても現実の生活は混ざってはいかないこともやむなし。そこで「人生妥協ですよ」と、カフェで友達にかっこよく放てる人間にはなりたくありません。



 こういうわけで、自らの凝固した性事情を独白した雄一に対して、その男をわが物にしようとする翠氏は、「いまから陶芸教室いこ!」と、旅行会社のつり広告のような素早さで雄一を電車に乗せて教室に連れ出しまして、そこで、教室のボスからJKは京都で陶芸やってるとか、その加害者となった男も復帰してるとか、「また気が向いたら一緒に陶芸しよう」など言われて、すべてが自分の中の取り越し苦労であったことを知らされる雄一。


 そんな裏側で急に酒乱のプンの母やバド部で愛子思うゆえに選手に選ばれてもないのに素振りするプンが描写されるので、世界の神的な視点も欠かさないという総監督っぷりももちろんありますが。


 この巻で面白いのは原稿に傷つけるような形で描かれる細い線の描写です。



 光とかもそうなんですが、雄一はよくたばこを吸う珍しいキャラクターなので、その煙のたゆたう感じがなんとも、自我の位置を定めず性欲や愛情に流されてだらだら運動する雄一にぴったりなものなんですね。

 ただ、今後もこの前もよくその白い細い線が、感情の心象風景の描写になっているようなところがあって、エモいと呼ばれる所以な気がします。


 んん、理由を超えてエモーションに訴えかけられるのか、思考を放棄しているからエモーションにしか脳幹が働いていないのか。前者はやだけど後者はしんどいね。



 鼻水出ている翠にそれを指摘して感謝して別れを告げた雄一は、自分がJKに何もしてやれなかったという罪悪感から悔しくも開放されてしまったので、自分がともに生きながらチンクルホイし続けてきた神様というか、絶対的な生き甲斐を失ってしまったので、安直にも線路で三角座りをして天寿を全うせず死のうとします。


 その轢死直前に翠が、直前の買い物したたばことかをレジ袋ごと雄一に投げつけて阻止し、「なんてめんどくさい。でも好き!なんだってしてあげるから私から離れるな」という契約をふっかけて、「僕がもしまた君を傷つけたらその時は殺して」と電車の役目を翠になすりつけるという悲惨さ。

 翠は翠で、この男から欲望が得られ続ける契約を得たわけで、見方によっては飼い殺し、という殺人をふっかけてるので、実質雄一は死んでいるといっても過言ではないし、時間差で、中出しキメて「ぼくは死んだ」と思うわけですから。


 誰かに命を預ける生き方、みなさんはどう思いますか。

 というところでしょうか。


 どうだろう。どうだろうね。
 必死の手というのは、将棋の終盤というか、勝負の世界みたいな感じですね。人生を勝負ととらえているからこそできる。そういう価値観の地平での議論だと、僕は思うし、僕も人生は勝負だと思うから、人を蹴落とすとかでなく、自分が理想とするものを体現できるか、という勝負だと、だから、うん、否定しないけれど、雄一のこれは妥協だよね。


 まぁこの後、雄一は速攻で不倫して慰謝料請求されるので、やはりなんというか、この鬱屈モラトリアムの帝王、浅野いにおの掌の上の議論なので、思考放棄したくなってくるわけですね。


ハワワ、ホギャーーーー!!

 さて、場面は変わり、プンプンは、愛子ちゃんの彼氏であり、ヤリチンだとか揶揄される主将の矢口から、「優勝したら愛子ちゃんは俺のもんだ」と青春真っ盛りな提案を受諾し、負けろと祈願している体育館のシーンから。


 矢口は前の巻から、終始いいやつとして徹底してキャラづくりされているので、足を痛めている中、強そうな名前の「隣の県から越してきた武者小路」を試合シーンなく破り、決勝でプンの友達で勝負に哲学を追求する勝ち負け変態の小松との試合です。




 ここで、プンは会場の入り口になぜか現れた愛子ちゃんと目が合うも何もできないという場面になり、その心中で「そのおめめをくりぬいてやろうかちら」「チッスしてやろうかちら」と欲望のむき出すシーンを挟みますが、観客席から愛子ちゃんら友達と試合観戦をします。


 さも上流階級めいた身なりの矢口先輩の母が応援する光景などを認知した愛子ちゃん(の母は宗教にのめりこみ、のちに愛子ちゃんとぷんが殺す)が、プンに「あの人は私なんかいなくても幸せになると思う。ねぇ、どう思う」といいながら手を握ってきました。



 はぁ。手を握る、というか肉体接触は、どうせ分かり合えない人間同士が確実につながる存在証明に他ならない哲学的な思考による実践行為なんですねぇ。


 ただ、これはただ単に欲望ではない、と落伍者側から主張したとて、そうとらえない動物的な異性などでありますと、ただ単に破廉恥な行為はただの破廉恥な行為であって、訴訟にも単純な落胆にも持ち込めてしまう。

 おおよそ、肉体接触への精神参与については、しかるべき人生の早期タイミングで行っておれば、その咎に落ちない可能性もあるのでしょうけれど、モラトリアム前後にそれを体験すると、終始性欲の後ろに満足を司る精神くんが亡霊のようについてくるようになる。


 つきましては、国民皆十五歳童貞処女卒業政策というのを次期参院選で提唱しようと思いマス!!わが青年の裂け目党に清き一票を!!


 熱いバド試合なんですが、一点、浅野さん、ネット低すぎません?笑

 そんな熱戦の裏で、愛子ちゃんの独白が始まりますね。
 要約すると、


 付き合ってみたけど彼は都合の良いこととか体裁の良いお付き合いをしていらっしゃってそれに意味があるのかよくわからない。
 女優になりたいとか言っていたけど、それはみんなに認めてもらいたかっただけなのかな。
 いま、わたしはただ一人でよいから、頭のてっぺんからつまさきまで、たった1ミリの狂いもなく誰かと分かり合いたい。


 この裏で、小松は己と戦い、矢口はこんな愛子のために戦う描写がある。

 うん、やはりアイドルの楽曲に実際ギターで参加してことのあるセルフソラニン男・浅野先生の作品は主旋律に伴奏するような感じで、だれかが何か真剣だと、裏で誰かが何かしているんだから、推進力があるのだねぇ。



 愛子は、だれかと二人分かり合えたのなら、「あたしはその瞬間に死んでもよい」
というわけで物語の方針が定まりました。


 昨日映画のdinner見てきたんですが。蜷川監督の世界観に横尾忠則とかが参画してポップアートな殺し屋の世界観がすごかったんだけれど。
 窪田さんが演じるスキンという役は、母親との軋轢かなんかがトラウマになっていて、その母のスフレを主人公の元殺し屋のシェフが再現して、窪田が毎度食べながらおかしくなる。という場面がありまして。

 サイドストーリーなのでネタバレすると、スフレにいつも硬貨とか大きな異物を混入するんですが、玉城ティナがそれを抜いて作って提供してしまうんですね。

 それで、母のスフレを完食できたことで窪田は生を全うしたとなって、最大の発狂を起こすという。

そこで「叶わない夢をおおおおお追い続けることでえええええ生きていられるやつもいるんだよおおおおおお!!!」みたいな藤原さんの大迫力の演技がありました。


 何かとても高く設定したハードルは、他人からみたら一つの目標にすぎないかもしれないけれど、それにすがりつく生き方をしていると、それこそが生きる目的になるわけです。


 何が言いたいかというと、この愛子の宣言によって、愛子は自死を選ぶのですが、ただ、そこには、dinnerの上記例のような端的な完結というよりも、愛子の場合は複層的なものがあると思うんです。それは最終巻のときに、少し考えてみたいです。

 そこまでやれるのかな。明らかに更新のペース落ちてきたし、というか、七夕とっくに終わって、世の中は月面着陸の時代ですよー、ムーンショット!

 あっけなくアキレス腱を断絶して敗戦した矢口くんは、心配などで群がる部員や母らを前に「プンプン、お前の勝ちだね……」と放涙するという、リボンだったら号泣もののシーンですが、周りは帰りゲーセン寄ってかね、という中で、愛子の満足即自殺宣言をくらっているので

「なんだか自分のせいで先輩から色んなものを奪ってしまったような気がして」やりきれない気持ちになる。


 出待ちしている愛子が絡んでくるので、ぷんはその先輩への罪悪感を愛子に向けて、小学校時代に愛子を鹿児島に連れていけなくなった後悔をねん出して、それを謝ります。


 これは雄一とも相似形で、愛子ちゃんのオマンチョスを見たいとかほざき続けてきた二年間は、ただこの謝罪の一言を言いたかっただけなんだな、と早合点してしまう。

 対戦相手の後ろめたい気持ちというのは、愛子のような欲望吸引機系の人物にとって、有利な状況以外のなんでもありません。


 「全然、気にしていないから。今からいこう、鹿児島」


とダンクシュートです。

 ただ、ぷんはもうやるせない気持ちでいっぱいなので、そんな挑発にも乗らず「矢口先輩のところにいってきて」などとふざけたことを言って、「意味わかんない」と背中に言われ続けながら立ち去りました。

 波のように、押したり引いたりしながら、着々と破滅に近づいていくのは観客にとって、優雅ですらあります。


「獣姦と死姦どっちが興味ある?」など雪だるまつくりながら聞いてくる同級生らをしり目に(※この物語は、シーンが決定的であるほど、その前後に過激な表現が登場します。ご注意ください)、雪と対比して汚れてしまった自分を感じて落涙するというオチ。

 確かに、失恋って一回のように思うけれども、同じ相手に何回もできるものかな。
 いや、このおうんは失ってはないか。失恋とは、その恋慕を捨てるときだ。能動的なものだ。振られた時のものではないね。

 自分が決心したときが、恋を失うところだ。

 とすると、ここからが幕開けでありますね。

 執着こそ、失恋の敵。


 さて、同居する雄一が翠をぷんらに紹介、その晩まぐわいを始める下半身を強化しすぎた雄一らの嬌声が葬送行進曲で、眠れずに第二人格と会話を始めてコラージュ開始……


 って、これ楳図師匠の漂流教室のダァダァやん!!


 まじか……


 愛子ちゃんと新発見の星に移住しようと覗いていた望遠鏡などの道具たちが、今や負債となって、恋慕を助長する。


 その試合後、友達付き合いが悪くなるぷんの描写がありますが、旧友に毛生えた?など言われるなどの日常描写。なぜか囲碁部に入りますが、以後一切そんな描写はありません。


 かたや雄一はみどりと観覧車にのってテンションアップで、「仕事が落ち着いたら結婚しよう」と元カノにも言っていた格言を放ち、青春再来、まぁこのあと浮気して、訴訟費用捻出のためにプン母が家売るんだけど。


という二年後の描写でこの巻は、どんとはれ。

ダァダァ、まじか……
ーーーーーーー


 やはり、うん、失恋とかって勝手に決めてるよね。
 人は人と付き合おうとすると、その人のことを見れなくなる矛盾設計されているのかね、って感じだね。

 あなたは、(わたしは)隣の人をしっかりととらえられているだろうか。

 さよならだけでは、さびしすぎるから。

 愛するあなたへ 贈る言葉。

 ああー、引っ張られる~~そしてJASRACに怒られる~~~、というところでお開きです。


 今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 ほんとう。生まれてきてすいません。

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