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”悲しみ”を抱きしめる力


夏至から満月にかけて、色んなことが立て続いたのですが
色んな感情が溢れて沢山泣いた日がありました。

ただただ悲しくて、悔しくて、
大好きな神社に行ってわんわん泣きました。

それは、言語化できない悲しみ。

でも、思考は言語化を求めます。
思考自体が言語なので、脳は言葉にして、悲しみに理由付けをすることによって安心しようとします。

◯◯だから悲しい
とした瞬間に、大事なものがこぼれ落ちるような悲しみです。

とはいえ、面白いことに
感情の側面を言葉にしてみることは、癒しを進めます。

”悔しい”
”どうしたら良かったの?”
”悲しいよ”

と言葉に出すと、もっともっと涙が出るんです。
涙を出すことを後押しします。
泣いていいよと自分に許可されたような安心感があります。

何か明確な理由があるからではなく、
ただ悲しい
悔しい
辛い
切ない

と言いながら泣きました。

日が暮れてくると
「もう行きなさい」
と何度も言われました。


言われているんだけど、なかなか泣き止まないので私も足が進みません。
「もう行きなさい。ここからは魔界の時間です。」

5回ほどメッセージを受け取ったあとようやく神社を後にしました。
「後ろを振り返らないで。」

千と千尋のラストシーンを思い出しながら
魔界の時間を尊重しようと。

人間界の目線とエネルギーで、魔界の世界のバランスを崩さないように
私は振り返らずに、神社を後にしました。
人の目線というのはとても強いのです。
見られた時に存在の仕方が変わる者たちがいます。


そういえば、妖怪が好きになったのはここ最近です。
きっかけは
大好きなミヒャエル・エンデの作品の中で
「妖術師や吸血鬼や幽霊のお医者さん」が出てくるシーンがあります。
ある国のお姫様を助けるために駆けつけた医者達です。

その一文を見て
私は何故だかわっと涙が出ました。

あぁ、この一見悪いことしかしないと思われている存在
ネガティヴな存在とカテゴライズされている種族が行う、
人を助けたいと思う純粋な気持ちから来る行動。

私たちは、見た目と過去から判断して
その人たちの”今”を見ることを忘れてしまいがちですね。



感情とは何でしょう。


それは、
集合意識の単位から見れば
誰かが堰き止めた涙が私を通して表出されているかもしれませんし
そうじゃないかもしれません。

私が気付かなかった喜びと感謝を誰かが存分に気付いて感じて、
感謝してくれていたかもしれません。

パラレルワールドもマルチバースも信じているので、
世界は相対的なものが全てだとは思いませんが、
私たちの知覚しきれないバランスで成り立っていることは確かだと思います。

ただ、確実に感じていることは、
私は私が泣けることが嬉しいと思います。

泣けること自体がとても美しいことだと思っています。
もっといっぱい泣ける人生にしたいです。


もっと泣いたり怒ったりできる人でありたいと思います。
世界って美しくて、面白いですね。
世界中の人が、もっともっと安心して安らかに泣けますように。





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