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書けない時の書き方は 発露の祝福




明日投稿すると25週連続!すばらしいです!

と、noteの画面が私を鼓舞する。

森のようちえん「空のしたひろば すぎぼっくり」の広報のためにと始めたこの取り組みだったが、続けるうちに、不登校8歳ムスメのことや、40年生きてきての今に起こる毎日の事を整理するため、自分の考えることなど色々を書きたくなった。
今のように、私の人生のできごとの中の一つとして森のようちえんのことを書くこのスタイルが、自分のやりたいやりかたで、自分自身を発端とする楽しい活動としてバランスが取れている。

「森のようちえんすぎぼっくりの広報」「不登校ムスメとの生活」「その他の自分に起こった整理整頓したい出来事」この三本柱で、写真もじっくり選び、関連リンクも整備し、自分の思う「記事」らしくしっかりと作りこむ。週一本3000字~4000字ほどの重量を目安に。そのくらいの読みごたえにしたいなと思ったから。

でも、今週はその自分の中の理想が首をしめている。前の記事をアップした後からコツコツ積みあげているはずの下書きが、本日土曜の朝の時点で真っ白だったのだ。

水曜日にはすぎぼっくりについにヤギが二頭きた。東京藝大と小沢剛氏・取手アートプロジェクトとすぎぼっくりのコラボ「智頭ヤギの目」がとうとうヤギを迎え入れてのスタートラインに立った記念すべき時だったのだ。その事を書こうと思っていたのだけど。
今週はね、なんだか元気がでなかったのズラ。でも、25週連続投稿をとぎれさせるのはちょっと寂しいな、と思ってしまったのヨ。どんなかたちでも継続したいな、私だってできるんだモン。なんてちいさな女の子が泣きそうになって言っています。

ヤギの写真一枚ペロリンと貼り付けて「森のようちえんにヤギが来ました~!詳細は来週記事にします!」ってつぶやいたってさ、投稿したことになるんだから、それでよかったのだけど。

そうではない、こんな時にしかできないやりかたで、書けない書き方で、何かを発見するのだ。この「noteに書く」ということは一体自分にとってどんな作業なのかを、吐露だか発露だか発憤なのかそんなことをもって新しい、もしくは忘れていた感覚を呼び覚ますのだ。
泣きそうな小さな女の子と一緒にいたのは詩人だった。そうですよ。書こう。書くのです。恥ずかしがってないで、全部が全部。私の考えたこと感じたことです。それをしなければ、私の思う詩人には近づけません。そして、ここはそんな場所です。そうしようと私が決めたのです。変でもおかしくってもかまいません。なんでもいいんです。
生活と、自分の顔と、名前と、こころと、きもちと、地続きでないと嫌なんです。インターネットの中の顔も、今は、全部、同じでいたい。何かにさからうように。



なんじゃこりゃ 爆

とにかく、午前6時からキーをたたき始めて、きっかり1時間、なんでもいいから、元気がなくて書けないな、と思いながら書こう、とやってみたらこんなに自由に書いちゃった。やってみてよかった。取り繕って簡単に済ませないで、でも一番難しいようで簡単なありかたで発露を祝福できました。

アーーー楽しかった。これでいいじゃん、これがいいじゃん。いままでのもいいじゃん。全部わたしじゃん。というわけで元気がでてきたので、また、来週は記事らしい記事でも書いてみようかと思います!

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