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寺山修司 『ポケットに名言を』 ☆7 読まずに感想文

友人のすすめで購入した。

姉の本棚には寺山修司の本がいくつか並んでいたが,僕は読んだことがない。以前『幸福論』を手にとったときも数ページで挫折した。どうもあまり得意な文体ではないらしい。

この本にしても同様で,お洒落な言葉が聞きたいという僕の無茶な要望にせっかく友人が応えてくれたのに,全体の二割ほどしか読んでいない
それで感想とはふざけた話だが,思えば小中学校の読書感想文もたいていあとがきだけ読んで書き始めていたし,一発目のノートとしてはちょうどよい。


構成と例

本書は文字通り名言集で,寺山修司がお気に入りの「名言」をひたすらに引用し,ときおり自身の言葉を挟む,という構成である。
名言にはいくつかのトピックがある。人生,孤独,朝,望郷と友情,忘却…。
三島由紀夫シェイクスピアなど,よく見知った名前もあれば,ゲオルグ・ゲオルギウのような知らぬ名前もある。遊戯王カード的な語感だが,ルーマニアの政治家だそうだ。

もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。
ーーゲオルグ・ゲオルギウ

いかにも名言の類である。
僕はこれをルターの言葉だと認識していたが,調べるにどうも込み入った事情があるようだ。さほどこのことばに関心がないので深くは触れない。
ついでにゲオルグのことばをもう一つ。

女の祖国は若さです。若さのあるときだけ、女というものは幸せなのです。
ーーゲオルグ・ゲオルギウ

これは名言ではないだろう。幸福に老いる女性など山ほどいる。
僕の名言集にゲオルグの名は刻まれなさそうだ。


ことばとシャツ

名言至言の類は,三つ四つ読めば飽きてしまう。
今もゲオルグの言葉を二つ引いただけでお腹いっぱいである。

そもそも,名言というのは,体験される文脈から切り離せないはずだ。引用されたことばの数々は全て寺山修司自身の体験,心情,人生と結びついて初めて名言たるのであり,コンテクストのない「名言」は単なることばにすぎない

本書の大部分はコンテクストの説かれない引用であり,僕の目が泳ぐのも道理,ことばを追わずに引用元に見知った名前があるか否かだけ探すうちに,本のほとんどが終わってしまった。二割しか読んでいないと言ったのはそういうわけである。

寺山修司ほどの人が,こうしたことばの羅列が持つ寒々しさ,薄っぺらさに無自覚なはずがない。改訂新版時のあとがきにこうある。

思想家の軌跡などを一切無視して、一句だけとり出して、ガムでも嚙むように「名言」を嚙みしめる。その反復の中で、意味は無化され、理性支配の社会と死との呪縛から解放されるような一時的な陶酔を味わう。
(中略)
「名言」などは、所詮、シャツでも着るように軽く着こなしては脱ぎ捨ててゆく、といった態のものだということを知るべきだろう。

ことばが生まれた経緯を無視し,その日その時の気分でことばを消費するとき,ことばは「名言」化する。
味のしなくなったガムを吐き捨てるように,飽きたシャツを捨てて着替えるように,今日の名言を明日裏切っても構わない。「名言」との関わり合いは実にエゴイスティックなのだ。
むしろそうした矛盾の内包こそが人間らしさかもしれない。

ところで,同じシャツを嫌でも着続けねばならないときがある。山だ。衣服は重くかさばるから,毎日着替えるわけにはいかない。三,四日着っぱなしというのもザラにある。
苦しい山行では,同じ詩や音楽のワンフレーズが脳内で延々と繰り返されることがある。少し違う曲を流そうとしても,気づけばもとの曲に戻っている。着替えたくても着替えられない。
ことばとシャツの不思議な縁を感じる瞬間,とは言いすぎだろうか。


ことばと友人

「名言」に冷たい視線を浴びせてしまったが,著者は冒頭でこうも述べている。

言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついたときにである。
(中略)
時には、言葉は思い出にすぎない。だが、ときには言葉は世界全部の重さと釣合うこともあるだろう。そして、そんな言葉こそが「名言」ということになるのである。

はじめの二行だけで本書を読む価値がある
旅路とは,旅中の電車かもしれないし,葬儀場の列かもしれない。突然周りに誰もいないような,ふっと世界が小さく閉じるような,奇妙な感覚に陥ることがある。そういうとき,なんとも思っていなかったことばが,妙に身に迫って感じられたりする。
これはシャツやガムのようなファッションではない。
寺山修司はファッションとしてのことばを肯定するが,主眼はむしろこの友人としてのことばにあると思う。

ことばはコミュニケーションの道具だが,話し相手がいないとき,あるいはいなくなったとき,ことば自体が話し相手になるようだ。


まとめ

本書は寺山修司のことばとの付き合い方を知る本だ。引用されたことばたちは単なる具体例に過ぎない。交友関係やクローゼットの中身に興味を抱くほど,僕は寺山修司を知らない。
しかし,ことばで飯を食った人間の選集だけあって,中身は一級品にちがいない。ほんの四百円で生涯の友人が手に入るかもしれない。古着の山にしかならなくても,どうせ一着十円もしない。シャツのようにかさばることもない。

たいへんコスパのいい本である。

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