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一国の経済を建て直したハイパーメンタルつよつよおじさん『ルワンダ中央銀行総裁日記』【読書メモ】

基本情報

題名:ルワンダ中央銀行総裁日記
著者:服部正也はっとりまさや。1947年に日本銀行に入社。1965年から71年にかけてルワンダ中央銀行総裁を務めた経験から本書を執筆し、本書により72年に毎日出版文化賞を受賞。その後世界銀行副総裁などを務め、99年に没する。
出版:2009年11月25日(増補版)初版は1972年
発行:株式会社中央公論新社

読書の時期
開始:2023/02/07
終了:2023/02/09

感想・評価など

 大変話題になった本なので、すでにたくさん書評が出回っている。そのため私などが拙い感想を書いていいものかと5秒ほど悩んだが、読んだ本は読んだ本なので遠慮なく書くことにする。

読み方はいろいろあった方が面白い

 テクスト論のいいところは書かれた文章を「筆者の意図するところ」というくびきから逃すことで、その価値を何倍にも増す「読み方」を提示することだ。
 この本についてはリアルなろう系小説みたいだという声がよく聞かれるが、けっこう異論もあるかもしれないと勝手に思っている。ただ、そういう見方で本がさらに面白くなるのが読書の本懐ではないかとも思う。

 哲学者クリプキは『ウィトゲンシュタインのパラドックス』(1983)で「懐疑論の懐疑論的解決」が後期ウィトゲンシュタインの著作『哲学探究』(1953)の核心だと説いた。
 これはウィトゲンシュタイン解釈としては誤りであるというのが現在では定説となっているが、クリプキの示した議論自体は価値あるものとして他の哲学書などでよく取り上げられている(なお、私の哲学知識は入門書を数冊読んだ程度のとてもとても浅っさいものである。多少間違っていても不問としてほしい)。

 話が脱線したが、本はどう書かれたかより、どう読まれたかで面白いか面白くないかが決まるということを言いたかった。

「46歳の日本のおじさん」は「ラバウル帰りの鬼教官」

 この本は「日記」なので、著者がある期間に見たり聞いたりしたものを主観的に書き記したものといえる。そういうわけで「そこに書いてあることが事実かどうか」というのはそこまで重要ではないと思う(ウソが書いてあると言っているわけではない。念のため)。
 むしろ主観のフィルターを通して描写を追っていくうちに「これを書いたのは一体どんな人なんだろう?」という方に私の興味は向いた。

 この本には有名なキャッチコピーがある。「46歳にしていきなりアフリカの小国ルワンダの中央銀行総裁に任命された日本のおじさんが口先だけの外国人を次々に論破して超赤字国家の経済状況を再建しつつルワンダ国民の生活環境すらメチャクチャ向上させちゃった話」というものだ。本書がリアルなろう系小説と呼ばれる所以で、これがTwitterでバズった結果、初版から50年近く経った2021年にバカ売れしたという経緯がある。
(記事末尾に出典元記事(中央公論.jp)のリンク有)

 このコピーはとても秀逸だと思う。『ルワンダ中央銀行総裁日記』だなんていかにもお堅そうなタイトルの本に付されるにはあまりにライトでサブカル的。ところが読んでみると、この本の内容をとてもうまく要約しているように感じられた。
 ぶっちゃけ感想という意味ではここで終わっても構わないのだが、とはいえそれでは「この感想文読んだ意味なんもないやん」となってしまうので、ちょっとした私見を述べてみようと思う。

 ラバウル帰りの鬼教官は、国際通貨基金の技術援助の一環として財政破綻寸前のルワンダ中央銀行総裁に就任。当時流布していたアフリカ人への偏見に惑わされることなく、国内事情の精緻な観察に基づいた経済再建計画を策定・実行し、その後のルワンダ経済成長に大きく寄与した。

 上の文章に対してどういう印象を受けるだろうか。個人的には「正直つまんなそ〜」と思うんじゃないかと想像する。

 これは私が読了直後に要約を行ったときの文章だ。だから内容としては大筋間違っていないのだが、特に主人公についてそれより前にあげたコピーとはずいぶん異なる印象を受けるものと思う。

 まず「46歳の日本のおじさん」と表現されていた主人公についてだが、私は最初風采の上がらない中年サラリーマン(40を過ぎたあたりから毛根が怪しくなり、今ではすっかり頭頂部までスカスカになってしまった。IT化の流れについていけず、職場では若手社員から「使えないおっさん」とバカにされ、年下の上司に毎日頭を下げている。家族仲は冷え切っており、帰りが遅くなっても妻は夕飯を用意しないでさっさと寝てしまうし、中学生になった娘からは「洗濯物をお父さんと一緒にしないで!」と拒否される。時々金曜ロードショーで流れる昭和の名作映画を目にすると若かりし日の思い出が脳裏をよぎりつい涙を溢してしまう。)を想像した。
 全くもって勝手かつ具体的な想像をしてしまったが、しかし実のところの彼は「ラバウル帰りの鬼教官」だったのだ。

飛行場全体の感じが、戦争中いたラバウルのヴナカナウの飛行場を思いださせた。
『ルワンダ中央銀行総裁日記』No.279
※番号はKindle版表記に準拠した。
長崎県の旧制大村中学校、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業。海軍予備学生となり、敵暗号の解読にあたる。海軍通信学校で予備学生の1期下である阿川弘之(後に作家)らを指導し、情報戦の重要さを説いた[1]。服部は鉄拳制裁を辞さない鬼教官であった。
服部正也#経歴(Wikipedia)

 服部氏は東大法学部を出たエリートで、戦時中は海軍に所属し、激戦地のラバウルで終戦を迎えている。そして47年に復員後日本銀行に入行。パリ駐在員などの経験を経て65年にIMF(国際通貨基金)の技術援助の一環としてルワンダの中央銀行総裁に就任した。
 また、従軍経験のおかげか、バイタリティも現代人とは隔世の感がある。

(中略)また、現に人間が住んでいるところなら、自分が生きてゆけないわけはないと思っていたので、知人が心配してくれたわりには、私自身としては、生活環境が悪いという情報は気にならなかった。
『ルワンダ中央銀行総裁日記』no.108

 「人が住んでるところならワシも生きていけるだろ」というセリフはもはや両津勘吉クラスでないと出てこない。多分両さんもどこかで同じこと言ってる。知らんけど。

 「46歳の日本のおじさん」と形容されている服部氏はうだつの上がらない中年サラリーマンどころか両津勘吉クラスのメンタルを備えた東大出のバリバリエリート(ラバウル帰り)なのであった。
 創作だったら編集にボツにされるレベルでスペック盛りすぎじゃない?と思う。まぁしかし実在の人物はいくらスペックを盛っても良いものとされているので仕方がない。大谷翔平然り、藤井聡太然り。

 これくらいの人物でないと小国とはいえ中央銀行の総裁を任されるわけがないと言われてしまえばそれまでだが、読む前と後とで服部氏に対する印象は180度変わるだろうと思う。

立ちはだかる絶望と超人的なメンタル

 ルワンダへの赴任を決めた服部氏には凄まじいまでの絶望的な現実が襲いかかってくる。

 IMFから与えられたミッションは発足したばかりの中央銀行総裁(実は二代目。初代は就任早々病気のため辞任)を務めて欲しいというものだったが、ルワンダの財政事情を調べてみると不健全を通り越して破綻寸前。しかも通貨の交換レートが二種類(特定の取引には1ドル=50ルワンダ・フランが適用されるが、それ以外は1ドル=100ルワンダ・フランとなる)存在しているが、近々それを一本化しなければならず、就任して二週間後には外国の調査団対応をしなくてはならないことまで聞かされる。

 はっきり言って詰んだ状態からのスタートだ。私なら聞いた瞬間高飛びの準備を始めると思う。

 当時のルワンダの空港はろくに舗装もされていない平地にトタン屋根の掘建小屋が数軒並んだ程度の粗末なもので、もうすでに絶望ポイントプラス1なのだが、到着した彼の感想はといえばすでに引いたとおり「ラバウルもこんなんだったな」という程度だった。
 しかしこの後も現実は手を緩めてくれない。着いた職場がボロボロなのはともかく副総裁ハビさんと話してみても銀行業務のことは全くわからない。出勤時間が朝7時半なことだけは判明した(早すぎだろ)。
 会議録を確認すると金融政策を無視して給与や建物などのことばかり話しているし、理事会と総裁どちらが上かということで揉めて「お前ら仕事しろ」財務大臣に叱責されている。帳簿を見れば超絶赤字を垂れ流してるのはまだいいとして(全然よくない)、中央銀行なのに銀行券のストックがすっからかんなのだ。加えて前任者は監査を拒否してまたまた大臣からお叱りを喰らっている。
 職場を見ると行員は居眠りしてるし、よく見ると数人いなくなっている。管理職に聞いても行方がわからない

 いやもう無理だって。帰った方がいいよ。

 あまりにヒドい。ヒドすぎる。読んでいる私まで心が折れそうだ。
 この惨状にはさすがの服部氏も堪えたらしい。しかしここからの立ち直りっぷりがまたすごいのだ。

しかしこれは逆に見れば、これ以上悪くなることは不可能であるということではないか。そうすると私がなにをやってもそれは必ず改善になるはずである。要するになんでもよいから気のついたことからどしどしやればよいのだ。働きさえすればよいというような、こんなありがたい職場がほかにあるものか。
『ルワンダ中央銀行総裁日記』No.388,395

 この人無敵か?

 もはや超人的なメンタルだ。やっぱ両さんじゃん。

ルワンダ経済を再建した「問い」

 奮起した服部氏は精力的に活動する。まずは副総裁のハビさんに「俺を信じてついて来い(意訳)」と言い渡し、さらにその方針を理事会で承認させる。帳簿が一週間遅れになっていたので自分でつけ直す。そのうち前述の調査団がやって来て対応に追われていたら「いやぁ大変ですなぁ」と同情されて「うるせえよ」と内心ムカつく。

 通貨レート一本化について大臣たちは「わかんないから怖い」という理由で反対する。外国人たちはこっそり収入を増やしていたり、財務省顧問と癒着して利益を得ていたので反対。唯一の民間銀行からさえもレート差で儲けられなくなるからと反対を喰らってしまう。八方塞がりだ。

 そうこうしているうちに服部氏はカイバンダ大統領から呼び出されて「実際どうなん?」と質問を受ける。
 この時服部氏は理路整然と通貨レート一本化の必要性を説くとともに、それ単独ではなく抜本的な財政改善政策の一環として行わなければ意味がないと述べる。

 その上で「通貨レート一本化はやれと言われれば明日にでもできる。しかしそもそも大統領はルワンダ経済の急速な成長を望むか、それともゆっくりだが堅実な国民の発展を望むのか」と逆に問い返す。
 大統領は後者を望むと答え、そのための政策立案を服部氏に依頼する。それを服部氏は躊躇なく了承したのだった。

 この問答こそがルワンダ経済再建の第一歩だった。本来中央銀行は通貨の発行を含めた金融政策の実行を担うものであって、国家全体の経済政策を立案するのは政府の仕事だ。服部氏にしてみれば迫り来る通貨レート一本化さえ乗り切れば後は野となれ山となれ、十分に職務を果たしたといえる状況だった。
 しかしあえて大統領に「この国をどうしたいか」という問いを立てることで、本来の職分をはるかに超えたルワンダ経済再建という大仕事自分から背負い込んでいったのである。

現代には持ち込めない、でも見習いたい仕事観

 大統領の命により服部氏はルワンダの経済再建計画を立案し、これを実行する。その後の詳細は省くが、無事通貨レート一本化ルワンダ国家財政の均衡化(収入と支出が釣り合うこと)を達成。任期中年率6%の経済成長を果たし、外国資本に過度に依存せず国内資本成長に注力したので、ルワンダ国民の生活水準も目に見えて向上した。中央銀行に関しても、就任当初2億フランを切っていた外貨は1971年には10億フランを超えていた。

 これらの成果について服部氏はこう書いている。

職務を立派に遂行することは俸給に対する当然の対価であって、あたりまえのことをしたからといってめられることはない。しかし私のルワンダとルワンダ人を理解しようとした努力を、ルワンダ人が理解してくれたことは、私の大きな喜びであり、私に対するルワンダ人の信頼が、単に外国人崇拝とか地位に対する盲信によるものではなく、自分たちを理解しようとしている異国人の努力に対するものであったことを知った。
『ルワンダ中央銀行総裁日記』No.3911,3918

 ぶっちゃけここは「めっちゃなろう系っぽいな」と思った。「俺また何かやっちゃいました?」感がすごい。

 しかし、本書から伺える服部氏の仕事に対する哲学とは一貫しているとも思った。それは下記のようなものだ。

  • どんなに困難であろうとやってやれないことはない

  • やるべきことは必ずやる

 書くのは簡単だが実践するには果てしない困難が付きまとうだろう。ここにモチベーションが介在する余地はない。だってやるしかないんだもの。
 同時に、現代日本でこれを部下に言うとパワハラ上司として扱われるかもしれないとも思った。実際この人の下で働くのめっちゃ大変だと思うし。

 その意味では服部氏の仕事観をそのまま現代日本に持ち込むことはできないと感じた。しかし彼が成し遂げたことを思えば、きっと見習うべき点は山ほどある。
 喩えて言うなら、我々が彼から学ぶべきなのは「走り方」ではなく「目的地」とそこに辿り着くまでに払った「努力の総量」なのだろう。
 IMFが他のアフリカ諸国に提示した経済再建計画の多くが失敗に終わった理由は、国家の実態を軽視して他国の成功例を適用しようとしたからだと服部氏は語っている。ルワンダのそれが成功した理由はまさに服部氏が社会情勢をつぶさに観察し、内情に即したものを作り上げたからではなかったか。
 今の時代には今の時代の走り方がある。その理解の上でさえあれば非常に有意義な学びを得られるのではないだろうか。

その他感想・追補

 その後のルワンダについて簡単に記す。

 服部氏が帰国して2年後の1973年、クーデターによりカイバンダ政権が倒れ、ハビャリマナ政権が誕生(カイバンダ元大統領には死刑判決が下るが、その後減刑。しかし76年に獄中で餓死したとされる)。
 政変ののちも順調に経済成長を続けるが、90年代に入ると内戦に突入し、94年にはルワンダ虐殺と呼ばれる惨劇が発生。正確な数値は不明だが、数十万人の犠牲者と数百万人の難民が生まれたといわれる。
 紛争終結後、ルワンダ愛国戦線(RPF,亡命ツチ系政党)が政権与党となる。現在は2000年に大統領に就任したカガメ氏の下、ITを重視した政策により大きな経済発展を遂げている。

 また、本書にもルワンダ虐殺に関しての記述が増補分にある(「ルワンダ動乱は正しく伝えられているか」(1994))。

 関連して、同じ時代に独立したボツワナの歴史について、初代大統領セレツェ・カーマを主人公として描く作品に『やる夫はアフリカで奇跡を起こすようです』がある。こちらも大変面白いのでぜひ読んでみてほしい(リンクが最後にあります)。

 だいぶ長くなってしまったが、話題になるだけありとても面白く示唆に富む本だった。読んだ人はもれなく明日からの仕事のモチベーション爆上がりになるんじゃないだろうか。それは言い過ぎか。

参考リンクなど

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