見出し画像

小川哲「魔術師」書評

先週分の更新を忘れていました。小川哲「魔術師」の書評を西井琉季さんにしていただきます。

小川哲「魔術師」(『嘘と聖典』収録)

評者:西井琉季

 タイムマシンを扱ったSFの作品の多くは、実際にタイムマシンを使って過去もしくは未来に行くものが多く、タイムマシンを使った後の世界が書かれていることが少ない。もし過去に行って歴史を改変し現代にすぐに戻れないという状況になった場合、現代ではどのような状況になっているのだろうか。またそこにいる関係者はどのような気持ちなのだろうか。
 この物語は、竹村理道というマジシャンがやってはいけない三つのことという「サーストンの三原則」を説明し、その禁忌に挑戦するという演出をしている描写から始まる。そのマジックこそがタイムマシンによって過去の好きな時間に飛ぶというものだった。理道は天才的な演出力、演技力があったが、お金を稼ぐ才能がなく借金が莫大にあった。そのため一度離婚しており、その子供が主人公とその姉であった。理道は数多くの失敗をし、姿を消した影響から徐々に忘れられていた。しかし、人生をもう一度やり直したいという思いから復活しタイムマシンを使ったショーを行う。そのショーはとても評判が良く気になった主人公と姉は最終公演を見に行くことにする。そこで理道からの挑発を受け、二人は最前列で理道のマジックを見破ろうとする。最初のマジックは姉が簡単に見破ることができた。しかし、次のマジックが問題であった。もし、考えた通りならマジシャン史上最も天才かつくるっているか、タイムマシンが本物であったかのどちらかであるとしか考えられないほどに。理道のタイムマシンを使ったマジックは過去に戻ることはできても未来に飛ぶことはできない。ただ、時がたつのを待つしかない。そのため、理道は最終的に姿を消してしまう。姉は、理道のタイムマシンを見破るため、このショーを研究していた。そして、タイムマシンではないとして、19年後には私も再現できると主張した。そして、姉はタイムマシンを完璧に再現した。そして、理道と同じように姿を消してしまう。
 私はこの作品を読んでいて違和感が凄くあった。自分の考えをタイムマシンの有無どちらにおいても否定されていると感じたからだ。私は、最初タイムマシンは本物ではないと考えていた。姉と同じように理道がどうやってこの世界線に来たのかという点や、もし同じ世界線にいるのならもう一人の理道はどこで何をしていて、なぜ二人が過去に戻ったときと同じ状況なのかという矛盾が気になったからだ。しかし、タイムマシンはないと考えても違和感が残った。それは十九年前の理道と会話しているシーンだ。姉は当時から準備を始め撮影し、後から自分の音声と組み合わせたと考えていた。最初は私も姉の考えには納得していた。しかし、明らかに会話しているような場所があるのだ。それは、平成の字を聞く時だ。その前は未来がどのようになっているかを聞いているため、もし、最初にとっているのならこんな質問はせず、前の話題に左右されないような質問をしているのではないか、また警察が生きている姿や死体どころか、手掛かりすら見つけることが出来ないのはおかしいのではないかと考えたからだ。しかし、本物だと考えても、最初のタイムマシンはないという考えから違和感が残る。結局自分では結論を出すことができなかったため、他の読者がどう考えているかも聞いてみたいと思った。
 タイムマシンが本当にあるのかはわからないが、もしタイムマシンがあってそれを使って過去を改変したとしても、改変された結果が別の世界線になって、使った本人も戻れないのだとすれば、一番つらいのは、改変されていない現代に取り残されている使った人の友人や家族なのかもしれない。そう考えるとずっと姉に理道のタイムマシンの研究の成果をきいていた主人公が少し気の毒のように思えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?