ケン・リュウ「紙の動物園」書評(2)(評者:村田睦喜)
「紙の動物園」の書評2本目は、村田睦喜さんに書いていただきました。
ケン・リュウ「紙の動物園」書評(『紙の動物園』早川書房)
評者:村田睦喜
読んで最初に思ったのは、意外にも重い内容の作品であったということだ。
物語の冒頭は母と幼い子どものファンタジックであたたかな日常の一幕だったために余計にそう感じたのかも知れない。物語中盤、主人公のジャックは同じ学校の男の子マークとの人形を巡るトラブルで大きなショックを受ける。そのトラブルの原因がみんなと違う文化圏のせいだと母に八つ当たりしてしまうが、そのことに罪悪感も感じていた。本作ではそんな天邪鬼な気持ちを伝えられない思春期の主人公を、母が幼少期につくった「紙の動物」たちを通して描いている。
私はこの作品において「紙の動物」という存在が「もう一人の母」として読めるのではないかと感じた。物語冒頭P12の上段「母さんの折り紙は特別だった。母さんが折り紙に息を吹き込むと、折り紙は母さんの息をわかちあい、母さんの命をもらって動くのだ。母さんの魔法だった。」という文がある。主人公にとって紙の動物は母の命を持っている存在なのではないだろうか。だから主人公は母の死を受けて紙の動物たちが動かなくなったように見えたのだろう。P23の上段「紙の動物たちは動かなかった。åたぶん彼らを動かしていた魔法がどんなものであれ、母さんが死んで止まってしまったんだ。」。主人公は確かに母の存在を感じていた。
母がつくった「紙の動物」を「もう一人の母」として見ると、主人公が心に大きな衝撃を受けたマークとの一件以降の心情がより鮮明に見えてくる。小学生時代の主人公はマークに老虎を壊され学校でも思い出したくないような仕打ちをされた原因を、自分が持つ異文化のせいだと考えた。そしてその気持ちは異文化の原因である母を否定することに走ってしまう。強調表現のついた文を見てみると「ぼくはどこも母さんに似ていない、どこも。」「ほかの家には、ここにいるべきでない母さんはいない。」といったセリフがあったり、必死に中国語や中華料理を遠ざけようとしている様子が書かれている。p19の段落末の「それにぼくはほんとうのおもちゃが欲しいんだ」というセリフもその一つだろう。しかしこれも「紙の動物」を「もう一人の母」として見ると、主人公の本心が見えてくるのではないだろうか。
p19下段1文目「翌朝、動物たちは靴箱から逃げ出して」とある。非常にファンタジックではなく冷たい読み方にはなるが、もしこの「紙の動物たち」が自分たちの魔法の力で動いているのでは無かったとしたら一体誰が「紙の動物たち」を靴箱から出したのだろうか。「動物たちは箱の中でとてもうるさく音を立てた」と主人公が感じたのはなぜなのだろうか。主人公は必死に「母」の存在から遠ざかろうと葛藤しているように見えないだろうか。こう考えるとp19最終文「ぼくがきまり悪そうに」しているという表現がとてもリアリティをもって読める気がする。
主人公が高校生・大学生になり、「紙の動物たち」と全く向き合わなくなった頃は母親とも向き合えなかった時期と重なる。この頃の主人公は「母」という存在に強い罪悪感を感じているのではないだろうか。家に帰り、台所にいる母の姿を見て逃げるようにアメリカ的な自分の部屋に閉じこもる。入院したときは就職活動のことを考えて向き合わないようにしていた。いざ「母」と向き合った際にはp21下段「ぼくは手を伸ばし、母さんの手に触れた。そうするのがこの場合にふさわしいことだろうと思ったのだ。」、p22下段「ぼくは母さんの腕を恐る恐る撫でさすった。」のように、罪悪感からおびえているようにも見える。p22下段の「休みなよ、母さん」や「わかった、母さん。もう話さないで」は母の体調を気遣っての言葉ではないのは明白だろう。
主人公が再び母と向き合うのは亡くなった母からの手紙を代読してもらってからになる。p25上段「手紙の言葉が体に沁みこんでくるのを感じた。皮膚を通り、骨を通って、心臓をぎゅっとつかんできた。」物語はこれ以降手紙の内容になり、代読を聞き終わった主人公はp29下段「顔を上げて、彼女を見ることが出来なかった。」という文につながる。この間、主人公の心情に関する文は一切無い。しかし、これまでの数多くの主人公の気持ちの描写がここでの気持ちの推察を容易にしている。そう思わせるほどの巧みな心情表現がこの物語にはあったと思う。その後主人公は手紙に「愛」の文字を書き記す。一体主人公はどんな気持ちであっただろう。あえて詳しく書かない事によって読者はより深く主人公の気持ちを解釈出来るのではないだろうか。最後はあえて読者に委ねているように私は見えた。ただ、主人公は再び「母」と向き合い始めたということだけは「ぼくを母のもとに残して。」から見て取れる。
この作品は葛藤や母に対する罪悪感を巧みな表現で描きつつ、主人公が再び母に向き合うまでの物語であった。
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