新生児のかわいさを突き詰めたら、亀梨くんと山Pを経由して、人類みなかわいかった

新生児は、経産婦ウケがやばい。赤ちゃんはみんな尊くてかわいいけど、なかでも「新生児」というワードは、経産婦にすごい威力を発揮する。ふにゃふにゃで、さらさらで、甘い匂いがして、むくんでいて、見えない湯気が立っていて。生まれているんだけどまだ完全には生まれていないような、独特の神々しさ……これはやっぱり、新生児ならでは。

うちの次男もあっという間に、そのすばらしい期間を終えました。しかし、2人目の子どもを持つひとたちから「下の子はかわいいよ~」とめちゃくちゃ聞かされていたけれど、これがもう本当に、びっくりするほどかわいい。新生児ではなくなったけど、それでもまだ余りあるかわいさ。

かわいさは「長男<次男」ではない

このかわいさは何だろう? と、生んだ直後からずっと考えていました。
「上の子と比べて圧倒的に小さいから」「口が達者になった上の子と比べて、何もできないのが逆にかわいい」とか、よく聞く理由。たしかに、それも多少はある。でも、がっしりと育ちはじめ、いろんなことができるようになり、延々しゃべり続けている長男もすごくかわいいから、それがすべてではありません。

仕事と恋人を同じ天秤で比べられないのと同じように、長男と次男のかわいさはまったくの別物。いうなれば「我が子ランキング2019 3歳 おしゃべりの部」で長男はダントツの1位だし、「我が子ランキング2019 新生児 モロー反射の部」では次男がダントツの1位なんです。

でも、長男が新生児のときに、いまの次男と同じくらいかわいく感じたか? というと、そうではありませんでした。今回は2人目で子育てに余裕があるからかもしれないし、これが最後の子どもだから、限りあるいまをより貴重に感じているせいかもしれない。
でも、次男がかわいい一番の理由は「長男がいるから」だという気がします。

私たち夫婦がいて、長男がいて、次男がいる

私と夫が出会って、結婚して、長男が生まれて。その暮らしの延長線上に、こうして次男が生まれました。当たり前だけど、私たちがいなければ長男はいないし、長男がいなければ次男はいません。ある意味、次男は「私たち夫婦の子ども」である以上に、長男も含めた「私たち家族の子ども」だなぁと思います。だから、その背景や歴史をひっくるめて、次男が愛しいんです。

次男の面差しに、3年半前の長男を感じる。
次男の寝息を聞いて、3年半前の長男が夜にしゃっくりばかりしていたことを思い出す。
そういうさまざまな瞬間に、私たちが積み重ねてきた時間と奇跡を、強く感じます。

1人目を土台にして存在しているんだから、2人目はかわいくて当然。だって、我が子2人分だもん。次男をかわいいと思う折々で、そのころの長男をさかのぼって愛しく感じる。そして、3歳まですこやかに育ってくれた目の前の長男も、より愛しく感じます。子どもに対する「かわいい」という気持ちは本能的なものだと思っていたけれど、じつは、想像力によってさらに強まる感情だったのかもしれないなぁ。

もはや人類みなかわいい

入院していた産婦人科では、授乳室でつねにJ-POPのオルゴールが流れていました。そんな空間で、次男のかわいさについて考えながら授乳をしていると、見たこともない新生児時代の夫までかわいく思えてくる。さらには両親や義父母、祖父母、義理の祖父母の新生児時代まで愛をほとばしらせつつ、次男に乳首をくわえさせていました。

オルゴールが「青春アミーゴ」に切り替わると、亀梨くんと山Pはさぞかわいい赤ちゃんだったんだろうなぁ、超愛しい……と、謎の感慨深さがわいてくる始末。あぁ、ドリカム、吉田美和さんは新生児のころから泣き声が大きかったりしたんだろうか、愛しい……。ここにしか咲かない花、コブクロのあの背が高い方も新生児のころはこのくらい小さかったんだろうな……愛しすぎる……。このあたりはたぶん、単なる産後ハイでした。

いまはだいぶ落ち着いて、おもに我が子や家族の周辺だけを愛しく尊く思いながら、子育てしております。経産婦が新生児をとにかくかわいく感じるのは、自分の子どもの過去とだぶらせてるからなんでしょうね。そりゃあ、孫かわいいわ。わたしも、これから世に出てくる幾千の子どもたちには、愛しい我が子の面影をひっそり重ねさせていただこうと思っています。


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