見出し画像

ミッション・ビジョン・バリューが必要だと思いすぎてるかもしれない

最近、ミッション・ビジョン・バリュー(以下MVV)策定のご相談をいただくことが重なったので、考えていることを書いてみます。


MVVは多くの会社が掲げていますし、いいMVVの要件や作り方についても多くの解説が出ています。

それでも、中には心に残らなかったり、他の会社に当てはめても違和感のないものもあるように感じます。(もっとも、MVVはその会社のためのものなので、他人がどうこう言うのは筋違いかもしれません)

ある知人の方が「会社のホームページにMVVを記載するのが定型化しているのではないか」と指摘されていて、はっとしました

たしかに、トップページや会社紹介ページにMVVを記載するフォーマットはよく見かけます。もちろん素晴らしいMVVも多いのですが、本当に組織の求心力になっているのか、個人的には疑問を感じる言葉もあります。

もしかすると「とりあえずMVVをつくろう」が増えているのかもしれない。MVVの重要性が広く認識されたからこそ、カタチから入ってしまう場合があるんじゃないかな、と思いました。

ストーリーを求心力にしたっていい

なぜMVVが必要かといえば、会社が進む方向を共有するためです。なにをやり、なにをやらないかを決め、どんな人に参加してほしいかを決める指針になるものです。

たとえば、スタートアップが数十人の規模になった際に(あるいはそのフェーズを見据えて)、組織の求心力を保つために策定します。あるいは、ある程度大きくなった会社でも、事業のフェーズが変わる際に策定しなおすこともあります。

MVVはまず社内向けの求心力として機能するものだと思いますが、場合によっては顧客や取引先を集める求心力にもなり得ます。

一方で、組織の求心力という目的が達成できるのであれば、必ずしもMVVの「カタチ」を取る必要はないと思います

たとえば、有名なソニーの「設立趣意書」は、MVVの要素は入っているものの、MVVのカタチは取っていません。おそらく、終戦直後の日本において起業に至った想い・情熱を綴ったら自然にこのような形になったのだと推測します。

スープストックトーキョーは、「スープのある一日」という物語仕立ての企画書からスタートしています。

ひとりの女性の物語として、スープストックのお店の姿や、一杯のスープを通して得られる体験がきわめて具体的に描かれています。MVV的な文言は全く入っていないものの、スープストックの「思想」は、非常に純度高く伝わります。

大切なのは、「会社の想い」を徹底的に掘り下げて深めることです。そのためにMVVの形を取るのはあくまで一つの手段であり、他にも様々なやり方があっていいのではないでしょうか。

今の時代であれば、経営者がnoteなどで発信を続けることで「会社の想い」をストックしていく方法もあると思います。また、MVVの文言は多少つたなくとも、その意味するところを繰り返しコミュニケーションすることで求心力を作ることもできるでしょう。

「MVVをつくろう」と意気込んでいなくたって、本質的にはMVVを作るのと同じ営みができていることもありそうです。

何なら、言葉にしなくてもいい

ステートメントを掲げることにこだわらない会社もあります。

Appleには対外的に公開されている明確なミッション・ビジョン・バリューがないようです。(有名な ”Think different” は広告のスローガン)

おそらく、スティーブ・ジョブズの語ってきた言葉の端々に哲学が結晶化されているので、改めてステートメントを掲げる必要がなかったのではと思います。

無印良品(良品計画)は、企業理念やビジョンを掲げているものの、それらすべてを貫く「思想」があるという考え方で、この「思想」は言語化できないとしています。

これらはレアケースかもしれませんが、組織が大きくなっても思想を共有できる仕組みがあれば、特定のステートメントを掲げる必要はないのだと思います。

ちなみに、Appleと無印良品に関しては、プロダクトが非常に強いことも関係ありそうです。プロダクトが「会社の想い」をありありと語ってくれているので、それ以上言葉で表現する必要がないのかもしれません。実際に、Appleが好きな人、無印良品が好きな人って、語り合わなくてもわかり合える思想を共有している感じがします。

「困難があったときに心が折れそうなこと」を掲げるべき

『ビジョナリー・カンパニー』では、組織にとっての「基本的価値観」を明確にし、それを貫くことの重要性が書かれています。「基本的価値観」は、利益の追求や目先の事情のために曲げてはならないとされています。

それによって不利益を被るようになったとしても、百年間にわたって守り続けていくべきものはどれか。逆に、これらの価値観を掲げていては不利になる環境になった場合に、変更でき、捨て去れるものはどれか。こうして考えてみると、どれが本物の基本的価値観なのかを見きわめる役に立つだろう。

利益など他の要素との相反が一切想定されない価値観は、誰にでも言える、美辞麗句になってしまいがちです。

そうではなく、何か困難があったときに貫くのが難しそうなこと、心が折れてしまいそうなことほど、カタチにして掲げておく意味があるのだと思います。

「MVVをつくろう」と言ったときには、ここまで考えて言葉にしないと、あまり意味がなさそうです。「ビジョンが大事」「言語化が大事」などと表面的な理解になっていないか、反省させられます。

「会社の想い」のカタチはもっと自由でいいのかも

MVVを考えることを通じて、困難があっても貫くべき「会社の想い」がよりクリアになるのであれば、ぜひ取り組むべきです。

一方で、MVVの言葉をつくることが目的化されて、お題目的な言葉になってしまうのであれば、そんなMVVは必要ないと思います。

繰り返しですが、「会社の想い」をクリアにする方法はMVV策定だけではないはずです。別な形の文章をつくってもいいですし、プロダクトに想いを込めるのでも構いません。ビジュアルや動画でもいいかもしれません。要は、迷ったときに会社が進む方向がわかればいいのだと思います。

今回はあえてMVVにこだわらなくていいかもしれないという投げかけをしましたが、「会社の想い」を考なくていいと言っているわけではありません。

「会社の想い」は常に考え続けるべきだと思います。その手段や表現方法は、MVVのときもあるし、別な形の文章のときもあるし、プロダクトを出すことで達成されることもある。

「会社の想い」を考えるという本質に目を向ければ、カタチはもっと自由でいいんじゃないかな、というのが様々な事例を通して思うことです。

私もまだまだ深く理解できているわけではないので、別な見方があればコメントなどいただけるとうれしいです。MVVや「会社の想い」について考えるきっかけになれば幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?