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「どんな時でも」と歌いつづけて夢を叶える


苦しいときに私は、わざとピッチを見ていない。目を閉じて、ただ歌い、手を叩く。
だから、実を言うと今シーズンの試合内容をほとんど覚えていない。

アルウィンで歌いつづけるために、ストレスを受けそうな内容は直視しないことにした。
サポーターらしくない、と言われてしまえば、反論はできない。

そうしてさえ、気分の乱高下がとても激しいシーズンだった。

それも次節で終幕する。そして、来年もまた私はここに立っている。
もう決めていることだ。その気持ちが揺らぐことはない。


昨年、J3降格が決まったときから、何かが吹っ切れた。

負けるのがつらくないわけじゃない。昇格できないことが悔しくないわけもない。
でも、そんなこともあるし、それだって大事な経験だと思うようになった。そんなふうに、なるべく自分が受け入れやすい方法で、現実を見つめる。

妥当な結果だとは思っている。が、それは、つらくないのとは別だ。
ただ、つらいのだ。自分の大好きなものが、苦境に立っているのがつらいのだ。
それを受け止めることが苦しくて、そして、変わらなくては強くなれないことが、ひたすらに悔しいのだ。

過去の私は、とにかく松本山雅FCに熱を上げていた。
全選手の名前はもちろん、年齢、身長、出身地、前所属クラブ、下手をしたら好きな食べ物まで把握していた。

2019年のことだ。それが、どうだ。今じゃ、下手をしたら選手の名前と背番号すら一致しない有様だ。
松本山雅FCのサポーターになって、やっと6年目。

私は、山雅に飽きてしまったんだろうか。山雅が好きなんじゃなくて、「山雅サポとして応援することが好き」なんだろうか。

違う、と私は胸を張って言えない。

だけど、それでもいいと思っている。
「それでもサポーターなのか」と、 3年前の熱量の私が頭の中で叱責してくるけれど、もうあの頃とは違う。全力で夢中になっていたあの頃と同じものは、いま、ここにはない。

ずっと全力疾走なんてできるわけがないのだ。気持ちだけで足がいつも動くわけじゃない。
なら、できない自分も認めて受け入れるしかない。


できていたはずのことができなくなる。それは、初めからできないよりずっとずっと苦しいことだ。

それを受け入れられなければ、きっと前には進めない。
かつて飛べたはずの空ばかり見上げていては、足もとの落とし穴に気付けない。
そうして、何度も傷だらけになって、治らないまま先へ進もうとしていた。

いま立っている場所は、いったいどこなのだろう。そこから、どこを目指したいのだろう。上を目指すことが悪いとは言わないけれど、果たしてそこまで歩くための足はあるのだろうか。折れてしまっている翼は、本当に治るのだろうか。

苦しくても私は、一生このクラブのサポーターでいるつもりだ。

私は、私のために山雅を観ている。強くなってほしいとか、 また昇格したいとか、そういうのはオマケみたいなものだ。私は、私が暮らすための糧として、松本山雅FCを応援している。
このクラブを応援していて抱く感情なら、どんなものだって受け止めたい。そのためにこうして言い訳を並べて、チームと共に私自身の心が強くなるのを待っている。

昨年のちょうど今頃、私は死にかけていた。

比喩ではない。まともに眠れず、内臓が食べ物を受け付けず、身体が生きることに疲れ果てていた。寒かったその日、もう終わりにしようとドアノブにストールを巻きつけた。その片端に縫いとめられた松本山雅FCのエンブレムが目に入って、私は思いとどまった。

何よりも私を生かしたのは、医者でも薬でも家族でもなく、松本山雅FCだ。

最終節まで毎週、DAZNを聴いていた。
ああ、また負けたんだ。全然勝たないな。
ひどく感情の平坦なシーズンだった。いや、感情移入する余裕もなかった。

それを思えば、今シーズンはなんて飽きないんだろう。外したシュートに悲鳴をあげ、失点に苛立ち、ほとんど昇格の目が潰えてしまったことを嘆いて。やりきれない思いをどうにかして払拭するように、手のひらがひび割れるまで叩き、あらん限りの声を張って歌っている。
私は毎週、楽しくてたまらない。どれだけ負けたって私は、いつも来週が待ち遠しい。

トイレに行くのすら這って、息切れをしながら泣いた日もあったのだ。それでも絶対に、またゴール裏に立つ、と歯を食いしばった。
通院と服薬は、いまも続けている。もしかしたら一生飲み続けるかも知れない薬と、温かい生姜茶を飲んで、毎晩眠気を待つ。自然な眠りを取り戻せるのは、まだまだ先のことだろう。でも、ゴール裏でくたくたになって帰って来れば、ぐっすり眠れる。

きちんとした職を手にすることは、まだ果たしていない。

滑落してしまった雷鳥のように、自分がふたたび羽ばたける場所を求めてあがいていた。
そう簡単に登れるはずもない。見えているはずの道を辿ることすら、もう困難なのだと思い知った。取り戻すことは、築き上げる以上に難しいのかもしれない。
それでも、大丈夫。すぐに登れなくたって死にはしないし、何度滑り落ちたって生きていた。
これ以上ないほど叩きのめされたからこそ、今の私は自分のことを肯定できる。

何もできなくなったって私は私だ。

そして、松本山雅FCサポーターとして書きつづけることが、私が決して失くしてはならない生き甲斐だと知った。

何よりも山雅を観ることを優先して今年を過ごしたおかげで、いま、私は毎日がとても楽しい。週末が来るたびに胸を躍らせ、一喜一憂しながら熱く語れるものがある。
生きている理由なんて、それだけで十分だ。

だから、これからも歌いつづける。悔しいシーズンも、つらいシーズンも、どんな時でもここに立って、泣いて、叫んで、歓喜に沸いて。その想いをこうして残しつづける。
それがいまの私にできることであり、そうして少しずつ新しいものを積み重ねて、今度はまったく見たことのない頂へと登りたいのだ。

どこへ行き着くかなんて、まだ分からない。いつ辿り着くかも、まだ見えない。

いずれ松本山雅FCがまたトップリーグへと昇るときが来たら。
私もどこか胸を張れる場所でそのことを書きたい、と密かなる野望を抱いている。

まだ遠い、けれどいつか来てほしいその日を思いながら、私は最終節もゴール裏に立つ。もちろん来年も、その先もずっと。
トラメガも、太鼓も、フラッグも持たないまま、私は筆をとり続けて松本山雅FCを応援する。
それは、自分自身へのエールでもあると思っている。

まずは、今シーズンをできれば笑って締めくくりたい。

[了.]

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