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普通に生きたい人たちと隠された課題

2024年38日目。
隅田公園リバーサイドギャラリーで、福島大学地域未来デザインセンター・相双地域支援サテライト主催のパネル展「「被災地」福島十二人の12年」が2月9日まで開催されていると聞き、急遽行ってきました。

福島県浜通りの12の市町村(田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村)からそれぞれ一人ずつ、1枚の大きな肖像写真が飾られ、そこに、それぞれの人生が簡潔に語られた文章、そして各市町村の現況の説明が添えられる、という極小規模な展示。
12人のセレクションについてスタッフの方にお聞きしたところ、たまたまご縁のあった方だったのだけど、蓋を開けたら移住者とそうでない人がちょうど半々になったとのこと。

それぞれの文章は、基本的にはそれぞれの人が前向きに、そして地域と向き合う姿が描かれていました。ただ、その前向きさは、何か気負ったものではなく、それぞれの人が考える「普通の生活」「普通の人生」を取り戻すことに裏打ちされているようにも感じました。
ただ、それだけでは物足りなさもある。課題を滲ませているパネルもありましたが、それは前面に押し出されたものではなく、やや引いた主張になっていたと思います。そのトーンがどのように決まったのかはよくわかりませんでしたが、ひょっとすると、この地域と今後どう関わって行けばよいのかわからない、という企画者側の「迷い」が表現されているのかもしれません。

震災からまもなく13年になり、さらに能登半島地震が起きたことで、福島県浜通りに対する世間の関心は間違いなく低下していくのではないか。
一方で、避難指示の解除が遅いところほど人口の回復は厳しく、まだまだ「普通」とは言えない状況のように見えます。全国各地での人の誘致との競争に巻き込まれながら、原子力災害の被災地というマイナスなイメージを背負い続けなければならない中で、どのような言葉で存在をアピールするのか、あるいは「普通」を取り戻すのか。ここにあるキレイな言葉では書かれなかった、住んでいる人の生の声は、どのようなものになるのか…自分にそれを聴く資格はないですが、とても気になりました。
少なくとも、外から見れば一つの地域でも、元々住む人たちからすれば別の地域になっている現状については、地域の文脈を踏まえることも大事なのは理解しつつも、今後住み続ける人たちにとってはどうにかした方がいいんじゃないかと個人的に思います。

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