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つながりの読書 ~山水郷

先日参加したオンラインサロンで一押しだった『日本列島回復論』を連休前にポチって積読してあった。新潮選書の、かなり地味な表紙。
でも、(この方が勧めるのなら読んでみよう)とポチってみた。サブタイトルは、「この国で生き続けるために」。書かれた時期は、2019年、コロナの前。あとがきにはこの本を執筆校了するのに約4年を費やしたという。

なぜ、日本人はいま、こんなにも不安なのか?その不安はどこからくるのか?  1970年代に遡る。社会保障と公共事業。欧州各国がソフト面を中心に福祉を拡充し福祉国家化していったのとは対照的に、日本はハード中心・公共事業偏重の福土建国家と化していった。減税。日本型福祉国家をめざしてきた日本は、たびたび減税を行う。各家庭に減税で還付。公的サービスで足りない部分は自己責任で補うことが既定路線になっていったこと... 時代背景を近代、さらに縄文時代にもさかのぼる。

東日本大震災のときに孤立集落となった小さな集落が、ボランティアもおらず、支援物資もないのに、漁師のお父さんらが中心になって、みなで助け合い暮らしていた。毎日住民たちがお風呂に入ることができてごみや汚物の山とも無縁な、清潔で快適な生活を送ることができた。集落体の力と、もう一つが自然の力、特に森の力だ、という。

木と水と土。
「津波の被害に加え、道路が通れなくなって孤立するという非常事態にあっても、誰も置き去りにすることなく、皆が人間らしい暮らしができる世界がそこにはあったのです。これこそが究極のセーフティーネットだ、と思いました」、と筆者は書かれています。

「「山水郷」- 都市ではなく田舎で、水に恵まれ、川や海や湖があって、かつ、人が古くから住んできた場所」。 かつての日本は、大半の人が山水郷を暮らしの場、仕事の場としていた。中世までは一等地だった。近世になって平野の開拓が進み、生活・生産の場が平野に移っていった。山水郷がマイナーな存在になったのは、たかがここ6,70年なのだと。

木について、「木は吸収・固定能力が高いのは、若くて旺盛に成長している間だけで、成熟した木はほとんど二酸化炭素を吸収しない。だから、木材はどんどん伐りだしてその木で家を建てるなどして、人が木を使い、森に手を入れ続け、若々しく健全な森を保ち続けない限り森に二酸化炭素の吸収源の機能は持てない」。人が森とかかわり、木を使い続けることが必要だ。

眠れる資産である山水の恵みを上手に生かし、人のつながりをベースにして、1つの職業でなくて、兼業、分業、副業、複数の仕事を組み合わせれば暮らしていくことができるし、そうした人が少ないながらも出てきている。山水郷を目指し移住する若者たちが増えてきている。お金が仲介するシェアビジネスではなくて、人と人とのつながりにもとづく”つながりの経済圏”が山水にあることに、若い世代は山水郷の可能性を見ている、と。

慶応義塾大学が山形県鶴岡市につくった先端生命科学研究所、本社機能を東京から地方に戻す大企業、そしてこの本を読むきかっけにもなった「西粟倉村」の取り組みのこと、4年という歳月をかけてこの本を書いてくださった筆者の井上さんに、ありがとうといいたいです。

わたしは、東京の西部で育ち、今は東京で暮らしている。数年前に襲われた面々とつづく未来に対する不安を思い出す。サラリーマンを長く続けてきた。宙ぶらりんに不安を持ちながら過ごし続けそしてある時退職した。 
最近、里山に通いはじめた。なぜ通っているのか、自分でもあまり意味が分からなかった。ただ、そこに暮らす人たちと交流し、そこに集まる人たちと過ごす1日は、なにか大地につつまれたような安心感と癒しをもらっていた。元気をもらっている。その意味が、この本を読んで少し理解することができた。次回、里山にいったら、裏山の見方が変わりそうだ。この本に書かれていることに寄り添うには今は力なしさんだけれど、少なくとも、はじめの一歩は踏めていると思う

#読書感想文 #山水郷 #木 #つながり

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