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東京(ワンサイド)ラブストーリー② 〜恋心の芽生え〜

(前回記事の続きより。)
(間が空きました、スミマセン。)

小学4,5年生で上京したのを最後に、次回の上京までには少し時間が開く。
次に東京を訪れたのは、中学を卒業し、高校1年生の夏。

前回の上京から日が経つ間で、「少年ジャンプ」にしか目をくれていなかった鼻垂れ小僧の僕には、幾つかの大きな変化が起きていた。

まず、『洋服』への興味が芽生えたこと。
一番大きな変化だ。
兄貴の部屋に置かれていたファッション雑誌には何ページかエッチなページがあり、性に関心ありありなクセに、エロ本を買う勇気は持ち合わせていない思春期悶々ボーイの僕にとって、お洒落な雑誌を読む大義名分でエッチなページを読めるのは最高のカモフラージュだった。(今や廃刊となった、『Samurai ELO』さん、当時はとてもお世話になりました。

最初はスケベ心でしか読んでいなかった雑誌も、読んでみると他のページも気になってくるもので、東京の高校生の私服や読者モデル、いわゆる「読モ」が着ている私服を見ているうちに、
「古着ってこんな安いの?」
「WEGOとかSPINSってよく見るし意外に安いな、小遣いで買えるかも!」「原宿行ってみてー!」

といろんな好奇心が湧いていたのである。

当時の僕はといえば、洋服を買うならもっぱら「Right-On」。
しかし、ファッション雑誌に載っているモデルたちはこぞって「Right-On」で売られている洋服は着ていないのである。
なんだか、いつまで経ってもRight-Onの洋服を着ているうちはいつまでも自分は原宿からお呼ばれがかからない気がして、「くそーー!!俺も、”原宿の古着パーカー”が欲しいぜ!!」と激しく感じていたのは今でも覚えている。そういえば福岡の古着屋を巡り始めた高校2年生の頃、めっちゃ黄ばんでる白T(もはや白Tと呼べるのか)を¥4,000でつかまされたことがあったな…。

次なる変化は、「アイドル」にハマったこと。
元々ファッション雑誌のアダルトなページをこそこそと読むスケベなガキだ、異性に興味はアリアリだった。

そんな思春期真っ盛りの自分が当時熱狂していたのは「AKB48」。
AKB48、もといアイドルの魅力について書くと長くなりすぎるので一旦ここでは割愛。(でもいつか書きたいと思っている。)

当時の僕らにとってのAKB48は「ポケモン」や「モンスターハンター」と同様の、一時的とはいえ、かじっていないと話題の中心にいることができない、教室の中の「共通言語」、最低限知っておくべき「必修科目」だったのだと思う。

そういえば。
AKB48ブームの中で、今思い出すと少し笑ってしまう暗黙のルールがあった。
学年の大部分がハマっていたAKB48で、「推しメン(一番好きなメンバー)が被ることなかれ」という暗黙のルールである。
実際のところ、別にこんなルールは決まってもいないし、当然友達同士で同じメンバーを好きになろうが自由だし、学年単位でハマっていればむしろ被っても当然だったと思うのだが、自分の気になるメンバーが誰かと被るや否や、なんとなく「あ、そのメンバー、あいつも好きだよ」「だいぶ前からあいつが推しメンにしてたよ」といった牽制が飛び交うのである。
実際、今になって中高時代の思い出話でこの話題を出すと、「俺、本当は板野友美が好きだったし!!」というような小さな自白をする友達が何人か居る。何年越し、に見合わない小さなスケールの告白。
教室には今やもう思い出せないくらいの暗黙のルールや空気の読み合いがあった。その大部分はこんな風に「くだらねぇ」と酒のつまみにして、笑いあうものなのだろう。

少し話は逸れたが、僕もまた、このAKBブームの中で大島優子に熱を上げていた健全な男子校生であった。
なけなしのお小遣いで握手券付きのCDを1,2枚買っては、数秒間の握手のために洋服のコーディネートを考え、髪をワックスで逆立てていた。

NARUTOやら銀魂やらに熱を上げていたジャンプっ子の鼻垂れ小僧は、洋服とアイドルとエロに興味津々のマセガキに変わった。

そんなマセガキにとって、「東京」はまさしくワンダーランドだった。
「Samurai ELO」を始め、「Smart」「Street Jack」など、当時の原宿系ファッションを特集した雑誌、しかも何度も読み返してバッサバサの雑誌を小脇に抱えて、何度も竹下通りを行ったり来たりした。
ベルベルジン、キンセラ、タラマケ、サンタモニカ…、読者モデルが行きつけの古着屋に行くと、自分がそこに一歩でも近づいた気分がして、大したものも買えやしないのにウロウロウロウロ。お店側からしたら迷惑な高校生だっただろう。

秋葉原では、洋服がAKB48のグッズに変わっただけで、やっていることはほとんど変わらない。読者モデルがいる空間、AKB48がいる空間に自分も足を踏み入れただけ。
何か買ったわけでも、観たわけでもないのに、その空間の空気を肌で感じるだけで、大変な満足感を持って福岡に帰ったのである。

ちなみに冒頭で書き漏らしていたのだが、この上京の主たる目的は「大学見学」だった。
親父が単身赴任していたこともあり、大学は東京に行ってみたいな、という気持ちで色々な大学のキャンパスを見て回りたいと上京したのである。
色々な大学のキャンパスを見ても「東京に行きたい!」とは思わなかったが、原宿と秋葉原に行ったことで、「東京でハジけたい!」と決意し、僕は志望校を東京の大学へと定めたのだった。
結果的に意味はあった上京なのかもしれない。

そして2年後、僕は東京の大学を受験する。
次なる上京は大学受験であった。
勿論前回のように原宿や秋葉原で鼻息を荒くしているような時間はなく、受験日以外は親父の家か、河合塾本郷校の自習室で追い込みの勉強をしていた。

しかし、結果として本命の大学には不合格。
後期で受験した地元福岡の大学が合格し、高校3年間妄想し続けた、華のシティボーイキャンパスライフ(長い)の夢はつゆと消えた。

そこまでして行きたかった東京なら浪人でもして再チャレンジすればよかったのに、ここまで読んでくれた皆様は思うだろう。
そこについては変な話で、受験期後半は浪人したくない!という気持ちに頭が支配されており、「受かればどこでもいい」的な思考に陥っていたのである。
今考えればここで真面目に浪人していれば華のTOKYO LIFEが…、アカンアカン、油断するとすぐ心を上京させてしまう。

このタイミングで東京へ行けなかったことは、僕の中の東京コンプレックスを加速させ、かつそこから更に歪んだ反骨精神に変えていくものになる。

(【東京(ワンサイド)ラブストーリー③】に続く)

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