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『海外行って価値観変わるとか安っぽw』とハスに構えていた男が今、海外にめちゃめちゃ行ってみたい話

こんにちは。ツクツクホーシが鳴いてますね。
夏感のない夏でも、終わりを感じると寂しい。おセンチけいちゃんです。

ふと思ったんですが、
エッセイ、日記を書く人って、文章を書いてからタイトルをつけるんでしょうか。最初にタイトルを決めてから内容に入るんでしょうか。

僕は後者です。
といったものの、内容を書いているうちに若干最初に決めた本筋と変わったりすることもあるので、書き上げた後に微妙にタイトルを変えるパターンが一番多いかな、って感じです。
引っ張った割にどっちともつかないスタイルでモヤモヤさせたらすみません。

さて、前置きはここまでです。
今回のお話を始めていく。

最近の僕はとても海外に行ってみたい、というお話。

現在、コロナ禍もあるので、(むしろこのコロナ禍だからこそ、天邪鬼マインドで行きたいと思っているのかも。)実際に行けるようになるには、まだ数年かかるだろうけど、「20代のうちにやりたいことリスト」に「海外に行く」という目標が追加された。

元々の僕は海外志向を持っていなかった。むしろ対極も対極。
高校時代から、自分の友人周りでは、滞在歴の長さは度外視して、海外経験のある人が多かった。
アメリカ、イギリス、フィンランド、ノルウェー、ロシア、オーストラリア…。
なかなか国際色豊かな友人がいたものだけど、自分自身としてはあまり海外に興味がなかった。
言語が通じないとかめんどくさいし、ご飯美味しくないらしいし、衛生面も不安だし。行かない理由を並べることは得意中の得意。

海外に行く、行った友人や知り合いを見ては内心、

「海外行って価値観変わるとか、元々の価値観どんだけ軽いんだよw」
「とりあえず海外に行った、ってエントリーシートに書きたいんですねハイハイ」
「1年アメリカに居たくらいですぐ『まぁ”向こう”では〜』とか言い出す奴マジ無理〜!!ここがアタシのアナザースカイかよ〜〜!!!」

なんて考えている自分がいて。

うん、シンプルに性格が悪い。
海外が苦手とかいう以前の人格の欠落。斜に構えすぎ。

ここまで思っていた自分が、
「ポートランドで本場のカフェ文化、クラフトビール文化に触れたい!」
「Coffee Collective、Mikkeller、noma、全部デンマーク発祥なのかよ!北欧の食文化、興味ありすぎるぜ!」
なんて目をキラキラさせて、海外志向を口にしているのである。
都合が良すぎる。
当時悪口を言っていた皆さん、ごめんなさい。許してください。

ここまで、自分の中の「海外欲」みたいなものが強くなったのは、前述のような海外のカルチャーやライフスタイルに興味が出てきた、というのも勿論なんだが、それ以上に自分の内面の変化が大きく関係している、と思っている。

「社会に出る」って行為もほぼ「外国に行く」みたいなもんだ、って思ったからだ。

社会に出てから、本当に短期間の間にいろんなバックボーンの人に出会った。出身地の違いはもちろん、取り組んできた部活、仕事に対する考え方、何もかも違う人々。

でもそんな違いなんて微々たるもんだろう、と思っている人はいないだろうか。
同じ日本人だし、なんだかんだ話せば理解できるだろうくらいに。
僕もそうだった。就職する前までは。

微々たる違いだと思ってたもの、実はめちゃくちゃでかい。
何を面白いと思うか、何をされたらムカつくか、何をしてもらったら嬉しいか、そんなの育った時代や環境の違いで千差万別。
そのひとつひとつを的確に見抜いて、相手の言いたいことを察するというコミュニケーションの難しさ。
「これ、ほぼ海外にいるのと変わんなくないか。同じ日本語なのに全然通じないこと多すぎるだろ。」
と感じたのである。

前職の内定者懇親会で、同期の女の子に出会い頭から(本人はイジりのつもりだったんだろうが)罵詈雑言を吐かれまくって、「はぁ?お前それなんだよ」って怒ると、「まぁまぁノリなんだから」って周りからたしなめられ、当の本人には「仲良くなりたいと思ってて…。」なんて引かれながら謝られたりしたことがある。

この出来事、当時は怒りしか湧かなかったもんだが、時間がたった今は、「どちらが悪いか」という単純な二元論で話ができないなぁ、と感じる。
だって、本人は「コミュニケーション」のつもりなのだから。彼女には彼女の正義やセオリーがあって、その下に行動している。僕にも正義の基準があり、それに基づいて怒ったのだ。
正義の反対は悪ではなく、また別の正義である。
それを感じる機会が、社会に出てたった1年でもたくさんあった。

それに加えて、社会に出て思ったことは、こういった変化に対して、自分自身は「適応力が無い」ということである。
ロクに部活らしい部活もやってないし、留学やインターンシップの経験もない。
ある程度の似通ったカルチャーで育ってきた自分は、温室栽培されたキャベツだった。冷害や水害どころか、ちょっとした気温の変化にさえ耐えられない脆弱なもやしっ子のキャベツになっていた。(野菜が二つでてきてわかりづらいですね、スミマセン。)

そのことに社会に出てから気づいた自分。
「みんな違ってみんな良い」って言葉をスッと腹落ちさせることができない。
「みんな違う」部分は理解できても、「みんな良い」の部分を理解するのがこんなに難しいとは。

23歳にして、干支2周目も終わろうとしてるときに、こんな甘ったれたこと言ってる自分、マジで人生舐めてるな、と激しく自己嫌悪に陥る。
(人のことをあれだけバカにしているからツケがくる。)

そんな時、学生時代の斜に構えて見ていた「海外経験」というものを、やっておけばよかったなという後悔と共に、これからでも遅くはない、行ってみたい、と強く思い始めてきたのである。

海外の魅力的なカルチャーには勿論、興味があるが、「全く自分のセオリーが通じない状況」に行ってみたい、適応力を高めたい、というのが正直なところだと思う。
アメリカでカルチャーショックの経験があれば、日本国内での環境の変化って大抵耐えられそうじゃないか。100°Cのお湯に触れれば、80°Cのお湯だって触れそうじゃない。
随分と荒療治で野蛮な考え方だけども、体で覚えるしかないじゃない、そういう感覚的な部分は特に。

行ったことで得られる心境の変化も、実際に経験できるカルチャーも揃った。後はお金とコロナウイルスの終息。時間は正直、作ろうと思って作るしかない。

僕の「海外欲」、なんとしてもコロナが落ち着くまでは保っていてほしい。

ヘッダーの写真は僕が行ってみたい場所、アメリカオレゴン州のポートランドのコーヒーショップ、「Stumptown Coffee Roasters」の写真を拝借する。

いつか行くぞ、の願いを込めて。

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