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ほとんどの問題は「弱い者いじめ」に終始する

このあいだ、ふと思ったことをまとめてみる。

日本の闇

現代日本には色々な闇が溢れている。

いじめ、体罰、虐待、DV、セクハラ、パワハラ、モラハラ、差別、ネットの炎上、体育会系の後輩いじめ、いじめに近い仲間内のいじり、コロナ感染者への偏見…

数えきれないほどの問題がある。

被害者は家庭における子ども、学校における生徒、いじめやすい子、後輩、障害者、日本にいる外国人、犯罪者、不倫をした芸能人、…など。

ふと思い至った。「全ては結局、弱い者いじめではないだろうか」と。


いじめは循環する


厄介なことに、いじめられた弱者はそのまま相手に復讐をせず(まぁ実際できないのだが)、自分にとっての弱者にそのストレスをぶつける。

例えばいじめっ子は大抵、家庭や学校以外の部分で何かしら被害を受けている。虐待までいかなくとも、親の過干渉や行き過ぎた躾が原因のことも多い。

精神的に何も問題を抱えていないいじめっ子なんて、聞いたことがない。

それが分かるのは、私自身がいじめをとても身近に感じて育ったから。田舎の閉鎖的環境が関係したのか小学校時代の人間関係はひどいもので、いじめた経験もいじめられた経験も持っている。

今となれば自分が「親の過干渉を苦に感じていた」と理解できるのだが、当時は訳も分からず苦しさを周りにぶつけていた。いじめた当人には大人になってから改めて謝罪したが、それが何か意味を為したかは分からない。


解決への道筋とは


「弱い者を強くすれば問題がなくなるのでは」とする動きもある。◯◯ハラスメントという言葉を定着させていじめ行為自体を見える化したり、ネット炎上で訴訟を起こせるように啓蒙したり。

だが、それは根本的な解決方法ではない。

単に典型的な弱い者いじめの1つのパターンがなくなるだけ。自分の周りから「ある種の弱い者」がいなくなったら、また別の弱い者を探すだけだ。

自分がやってたからよく分かるのだが、いじめっ子は「この状況が長く続けられるように」、無意識に計算している。

バレそうな場面では何もせず、誰も見ていない時にやる。うっかり告げ口されないように力を加減する。
そうして持続可能性を追求しているからこそ、なかなか問題は表に出てこない。


結局どうしたらいいか


では、根本的にはどうしたらいいのだろうか?

答えは多分、「自分で自分を満たすこと」でしかないのだと思う。言い古されて最近は色々な意味に使われてしまっている言葉だが、要は「自己肯定感を高める」ということ。

親は「うまく子育てしなきゃ」と思い込まず、まずは自分の人生を楽しむ。先生も色々大変だろうけど、自分のやりたいことをやる。

本音と建前の社会だけど、言いたいことがあったら溜めずに勇気を出して言う。つい感情的になったら「なぜ自分はそんなに怒りたくなったのか」考えてみる。

そういう地道なところから始まるのではないだろうか?


これからの自分


だが、問題解決までが長い道のりすぎて、正直言って気が遠くなる。できることなら、こういった精神的な問題が少なそうに思える海外に移住してしまいたいくらい。

しかし移住について家族の理解がない現在、残念ながら私にはその方法は取れない。

だから自分のためにも周りのためにも、今後もこの問題についてずっと考えていくと思う。

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