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多種多様な選択ができる未来へ 〜『子どもが教育を選ぶ時代へ』を読んで〜
野本響子さんの『子どもが教育を選ぶ時代へ』、やっと読み終えた。
noteに冒頭部分を公開されていて、こちらから読める。
野本さんのTwitterを毎日拝見しているため大まかな内容については予想していたけれど、細かい部分で色々発見や共感があった。
大雑把な所感
あえてざっくり言えば、以下の点がメリットだと思う。
日本の従来の学校の限界が具体的に分かる。
実際に「今」学校に合わない子どもを抱えた親にとって、非常に有効な手引きとなる。
海外にある多くの可能性、学びの多様性を教えてくれる。
まだホームスクーリングやオルタナティブスクール・フリースクールが浸透していない日本では、学校に合わない子どもは全部「不登校」と括られてしまいがち。
でもそんな子どもも1人1人色々で、求めるものや合うものが違うはず。
共働き世帯も増える中、
「子どもは学校に行っていて当たり前」
という考え方がまだまだ圧倒的だから、不登校になってしまうと親も相当追い詰められる。物理的にも精神的にも。
そんな人達の希望になるのではないかと思った。
クリティカルシンキング(批判的思考)の重要性
マレーシアの実例で、国際バカロレアの「ディプロマ・プログラム」の例にあるクリティカルシンキングの訓練が非常に面白く、
「いや、私が習いたいんだけど!」
と思ってしまう。
こういう内容って日本では、大学の人文系プログラムでやるかどうか…というレベルな気がする。
大体、日本の「縦の序列を気にする」社会においては、クリティカルシンキングなんてあっても無用の長物で。
「生意気」「屁理屈」「理屈っぽい」「面倒なヤツ」
というレッテルを貼られ、就活でも「対人関係にやや難あり」とされてしまうと思う。
その短所以上の才能を認められたら話は違うけど。
私は元々、ひねくれている反面クリティカルシンキングは割とできるほうだと思う。日本の一般的な人に比べたら。
だが、子どもや夫にも時々「めんどくさいやつ」扱いされる。
友達なら面白がってくれることもあるが、日常的にいちいち立ち止まって考えてたらそうなりがち。
でも、クリティカルシンキングは今後、本当に必要な力だと思うんだよね。
表面だけ見てたら何も分からないし、誰かに動かされるだけ。
そして「批判的に」を取り違えて、よくある陰謀論に陥ってしまう。
残念ながらそういうケースもある。
我が家の場合
「日本の従来の学校のスタイルが嫌いだし、子どもにはもっと広い世界を知ってほしい」
と私は思うが、夫はそうではない。
子どもも今のところ学校にある程度適応していて、引越も転校も望んでいない様子。
だから、残念ながら我が家は今のところ「学校をやめて違う選択肢を取る」ということはできない。
私の人生ではないのだから、そこまで口は出せない。
夫婦で「学校を変えたほうがいいのでは」と思う場合は、また別かもしれないが。
ただ、日本の教育が時代に合っていないことは事実だろうから、本当にこれでいいのかな…とは考え続けるだろう。
ここに共感した① 没頭について
どこまで子どもに「没頭」を許すかが難しい
(中略)ゲームばかり、漫画ばかり、YouTubeばかりの子どもがいます。親としては「一日中ゲームばかりして!」「夜遅くまでスケボーばかりやって」「漫画ばかり読んで」と言いたくなります。
マジで分かる。
息子もゲームや漫画が大好きだ。
もしかしたら今後、一日中ずーっとそればかりになってしまうこともあるかもしれない。
「ゲーム依存」など何かへの依存、昼夜逆転、日常への影響、どこまで許容して見守るのか?健康への害は?戻りたい時に戻れるのか?依存性のある物との付き合い方は?可能性をどう見る?
…などなど、考えることはたくさん。
「ゲームも仕事になるかもしれない」「漫画だって人生に役立つ」
なんて声もある。
でもその言い方って、つまり
「役立つ可能性がある場合は放っておいていい」
という話。
でも、役に立つ・立たないって誰が決めるの?
そもそも、人生で何の役に立たないことってあるの?
仕事がそんなに重要か?
お金を稼がないと人間としてダメなのか?
…とも考えられる訳で。
実は、私も何かに没頭すると寝食を忘れて続けてしまう。
漫画の一気読みだったりライティングだったりTwitterだったり仕事だったり色々だけど、キリがつくまでどうしても止めたくない。
ある意味、「フロー状態」「ゾーン」とも言える。
そこまで没頭できるのも一種の才能だろうし、充実した人生を送るためには非常に重要な視点かもしれない。
その視点は持っておきたいと思う。
ここに共感した② 邪魔をしない
親の仕事は子どもを邪魔しないこと
(中略)子どもには、できるだけいろいろな経験をさせてあげたい。素晴らしいものを子どもに勧めたくなってしまう——気持ちはわかりますし、私もやってきました。けれど、親が押しつけたものが、子どもの「やりたい時期」と合わず、かえって嫌いにしてしまう可能性もあります。
めっちゃ同意。というか耳が痛い。
私も時々やるし、今までもたくさんやってきたと思う。
親は(たいていの場合良かれと思って)子どもを邪魔する。
親の思う「良い方向」を向かせてしまう、余計な声かけ、従わせる、価値観の刷り込み、苦手を克服させようとしてしまう…など数えきれない。
でも、親と子どもは別の人間。
生きている時間も少しずれている。
感性も違う。
だから、親の私が「良い」と思っても、子どもがそう思うかは別の話だ。
意外と、邪魔しなければ子どもは勝手にいい感じで育っていくものだ。
ネグレクトではない「関心を持って放っておく」は大事。
「阻害しない」「芽を摘まない」「押しつけない」
は、親にとって重要なテーマだと思う。
結局のところ「人生」とは、「教育」とは
電車の中でこの本を読んでいて、有名な曲を思い出した。
誰もが知っているであろう、アンパンマンのオープニング。
なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないままおわる そんなのはいやだ!
子どもの頃からアンパンマンを見ていたからか、すごく耳に馴染んでいる。
でも真面目に、「人生ってそれを知るためにあるのかもしれない」と思う。
何がしたいのか、自分はどんな人間なのか、何を望むのか…
そんな重要なことが、なんとなく生きていたら分からない時代になってしまった。
自由もあるが、先行きの不安や不透明な部分も大きい。
そんな時代にどう生きるか。
何者になりたくて、でもなれなくて、自分のことも分からなくて、ずっともだもだしている大人もたくさんいる。
子ども時代に、何を学んでどう生きるのか。
そもそも、教育は人間に何ができるのか。
どうして教育が必要なのだろうか。
広い視点でもっと考えてみたいし、多くの人と話してみたい…と思った。
発見の多い素晴らしい本なので、まだ読んでない方は是非。
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