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精神科の入院生活から学んだこと

スガカオルです。

すっかりご無沙汰しております。

この度、約6年ぶりの入院をしていました。
精神科病院での閉鎖病棟の入院でした。

今回の入院はとてもキツイ入院でした。
医療保護入院で保護室スタートの閉鎖病棟での約2か月に渡る入院。

今回は入院中の経過とともに入院を経て考えたことを皆さんと共有できればと思います。

どうぞお付き合いいただければと思います。

医療保護入院スタートの入院生活

診察のときにはすでにストレスフルな状況で、体調はよくありませんでした。

一人暮らしのために高齢親との話し合いをしていながらの同居生活は息苦しい日々でした。
診察時にも不安定な状態で診察後に転換性障害で転倒し、昏迷状態に陥りました。

ここで医療保護入院について説明します。

【対象】 入院を必要とする精神障害者で、自傷他害のおそれはないが、任意入院を行う状態にない者
【要件等】 精神保健指定医(又は特定医師)の診察及び家族等のうちいずれかの者の同意が必要
(特定医師による診察の場合は12時間まで)
引用:
医療保護入院制度について|厚生労働省

仕事終わりの高齢親は病院から呼び出され、家に連れて帰れないということで、わたしも解離をしており自分で任意入院のサインをすることができる状態でなかったため、医療保護入院となりました。

病棟は満床で保護室が開いていたため、保護室での入院でした。
保護室は確かに制限のある空間ではありますが、静かで刺激に弱いわたしには快適でした。

その後、個室に移り、刺激に弱いわたしは最後まで個室で退院しました。

細かいことは省きますが、入院してる他の患者さんの影響を受け、刺激に弱いわたしの特性から安定しない日々が続きました。

その中で主治医は「ここで安定を目指さなくていい」と言ってくれ、その言葉はわたしにとって救いでした。
どうしても刺激を感じ取ってしまうわたしにとって、騒がしい病棟は慣れていく場所ではなかったのです。


入院中には転換性障害から脱力し、2度目の転倒してしまいました。
このときは大きなコブを作ってしまい、お風呂も疲れてしまう始末です。

このようなことは日常生活の中でも起きていたことでした。
以前の入院時も勧められましたが、これを機に自前の保護帽の購入を決めました。

それはこれから一人暮らしをしていくわたしには安心材料となるとともに、心配する高齢の父にとっても安心材料になると思い購入を決めました。

こちらの会社様のものです。

abonet|オシャレな保護帽子

症状が出てしまっていたわたしは、看護師さんからの手厚い看護に見守られながら、症状とともに閉鎖病棟での時間を過ごしていました。
わたしは症状を安心して出していました。

しかし、わたしはあるときからそれをやめました。

自分が守られた環境に浸ってしまっていると気づいたからです。

それからのわたしは閉鎖病棟の中で解離をしそうになると、マインドフルネスやグラウディングという、自分が今まで生活の中で取り入れていた対処法を実践していきました。
そうして、自分の症状をコントロールしていったのです。


しかし、わたしには大切な問題がありました。

一人暮らしを目指して高齢親と話し合いを続けている自宅に帰るのはストレスフルな状態の中に戻ることを意味します。
できれば安全な環境の中で生活していきたい、そんな願望を抱えており、自宅に帰る不安がありました。

そのため、一人暮らしのための準備をどこまで進めていけるか、話し合いをどこまで進めていけるかという課題がありました。

ケースワーカーさんの力を借りながら、入院中に話し合いの場を持ちました。

安定していないわたしは解離したまま、話し合いに参加しました。
その病状を見た父の言葉を借りれば「絶望した」とのことでした。

以前のわたしに戻ってしまったと感じたのでしょう。

20代のわたしはよく倒れて、救急車に呼ばれていました。
あれだけ安定していたのにその頃に戻ってしまった…と勝手に絶望したのだと思います。

しかし、本来のわたしは日常生活でも相変わらず解離を繰り返していました。
できるだけ家族に心配かけないようにと症状を見せないことで、乗り切っていました。

本来の姿を見せたにすぎませんでしたが、久しぶりに病状の重い娘の姿を見た父は言葉通り絶望したのだと思います。

しかし、それが病状説明と同義の役割を果たしてくれました。
現状を突き付けたのだと感じています。

無理はできない、病気は重く、障害なのだと感じてくれたのだと思います。

お世話になっている機関にも父は連絡を取り、一人暮らしをできるのか相談したようでした。
相談先の方が父の不安を聞いてくださり、生活保護の案内とともに物件資料を添えて送ってくれたとのことで、父は安心したようでした。

一人暮らしを進めていくことに協力してくれると言ってくれたことで、わたしは安心して自宅に戻ることができました。

入院は甘えさせてくれる場所

今回の入院から精神科の入院とはなんだったのだろうと振り返ると、安心して症状を出せる場所で甘えさせてもらえることだと思いました。

わたしは病棟内の環境から、症状を出して、看護師さんに甘えさせてもらったと入院中に感じました。

他の患者も含め、入院中は体調も悪く、症状が出てしまいます。

本来の精神障害者は症状に苦しめられています。
そこから抜け出したいと思いながらも抜け出せない人たちです。

自ら症状を出し続けていては苦しいままの状態です。

症状を出し続けることは入院を長引かせ、社会的入院を自発的に作り出してしまいます。
精神科の病棟はあくまでも借りの居場所でしかありません。

さきほどもあったように、自分が守られた環境に浸ってしまっていると気づきました。

わたし自身、看護師さんたちに囲まれた病棟という環境に甘えていました。
確かにそれは必要な時間だったのかもしれません。

しかし、甘えをずっと続けていては地域での生活は遠のいていくばかりです。
地域で暮らしていくために、症状を出して甘え続けていてはならないと、わたしは考えを改めました。

わたしは看護師さんたちに甘えていたと自覚し、その本心を看護師さんに打ち明け、迷惑をかけてしまったと謝罪しました。
そして、地域での生活のための準備をしました。

精神科の入院の中では、埋まらなかった愛情や助けを仮の姿で満たすことが必要なのかもしれません。
わたし自身、親にも見せていなかった症状を使って、看護師さんに安全に見守ってもらっていたと感じています。

環境も周りもそれを許してくれるのが精神科の病棟内という浮世離れした特殊な場所です。


精神科の入院が社会から離れた場所であるのは患者の安全のためだけではなく、社会では通用しない症状を出す場所だからです。

症状に浸っていることが悪いことではありません。
その時間が必要な時間であることもたしかなことです。

このように表現することは賛否両論を生むかもしれませんが、精神科の入院はぬるま湯の中で甘えることです。

社会の中で疲れて、心を満たすために必要な場所ではありますが、社会生活からかけ離れたアナザーワールドとも言えます。


苦しいままの状態を続けたいと普通では思わないですが、まるで感覚が麻痺するかのように苦しいままの状態でいることを許す環境が精神科の入院なんだと感じました。


どこかで自分自身に地域に出るための努力を科すことが求められるのではないでしょうか?

わたしはそう思います。

入院生活をしながら症状をコントロールする

とても難しいことですが、入院生活をする中で、症状をコントロールしなければなりません。
症状を使わない努力をしなければ、社会生活はやっていけないからです。

症状は「苦しい」「辛い」という言葉の代わりにでもあるように思います。
いかに早く周囲の助けを借りるか、そして自らで症状を出さない努力をして辛い状況を作らないことが必要です。

多くの精神科患者は病識を持っておらず、それを学ぶ機会を与えられません。
それが病気に浸ってしまう時間を作り出しています。

ならば、学ぶ機会を自ら作るしかありません。
対処法を自ら身につけ実践していき、症状をコントロールして苦しい状況から抜け出していくのです。

わたしは入院中に、マインドフルネスを実践しました。

持ち込んだ大人の塗り絵の作業に没頭して頭の中を空っぽにしたり、作業療法にも積極的に参加しました。
不安感で押しつぶされそうなときには温かい紅茶をゆっくり飲んだり、ストレッチをしてみました。

また、グラウディングも行ないました。

解離をしそうだなと思ったときには、無機質なテーブルを掴み、その手の感触に集中して感じ取ることに意識していました。
そうすることで解離しないで済むよう身体の感覚を効かせていました。

また、言葉にできない気持ちや感情はノートに書き込みました。
そしてその言葉を眺めて、自分の気持ちを知る機会を作りました。

自分が何で困っていて、どんな気持ちでいるかを知り、解決できることは解決のために動き、できないときはその感情を棚上げしていました。
自分の感情を言葉にするだけでも落ち着きを取り戻すことができました。

すべてがうまくいくわけではありませんが、自分なりに症状をコントロールしていく努力を行なって、地域に戻る準備をしました。

入院生活では症状を出し終えたら、どこかで症状をコントロールしていく努力が必要になります。

それはどこかでタイミングがあったり、周りを見て感じ取ったり、周りからヒントを与えられたり、その人それぞれの瞬間が訪れるのだと思います。

入院生活がもたらしたもの

急な入院だったことや、医療保護入院の閉鎖病棟内ではスマホも使用禁止なこともあり、ボランティア先やHP管理をしてる関係者の電話番号だけ控え、公衆電話から連絡したのみで、多くの友人たちに心配をかけてしまいました。

また、入院中は様々な活動から離れてしまっていたので、その役割から離れてしまい、関係者には迷惑をかけてしまいました。

精神科の入院は社会生活から離れたところにあります。
いざ退院をしたときに、入院期間中に社会から離れたツケを自分で拭う必要性が生まれます。

退院後、多くの友人からありがたいことにメッセージをいただいていました。
わたしは日常で多くの人たちと関係を作っていたのだと改めて感じました。

退院したわたしは関係各所や友人たちに、たくさんの謝罪の電話やメッセージを送りました。
連絡をせかさず待っていた友人も多くいて、本当にありがたく感じました。

日常を送るということのありがたみを改めて感じました。

わたしたちは日常を送っていると、少なからず人との関わりを持っています。
たとえ離れた友人でも、連絡が取れないということで手紙を送ってくれた人もいました。

SNSでも同じことが言えます。
更新がないことに、心配ながらも待っていた人たちがいました。


わたしは社会の中で多くのひとたちに囲まれています。
そのことに感謝しながら、また日常を続けていければと思っています。

また、入院が必要なときがあるかもしれません。
その時はまた、日常から離れて甘えさせてもらいに行きます。

そんな時間がわたしには必要なのだと思います。
わたしの持っている脆弱性なのでしょう。
しかし、それを嘆くのではなく、今できることをやり続けることが求められているのだと思います。

1.自ら学ぶことをやめず、やれることをやって、無理をしない。
2.休むときはしっかり休み、症状が出そうなときは自分が持っている対処法を実践する。
3.安全な場所に助けを出して、つぶれない努力をしていく。

これが今回の入院からわたしがまなんだことです。

これからもnoteを更新していきます。
更新した際にはまた読んでいただけると幸いです。

ではでは、またね。

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