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学校の勉強が難しいのはなぜ? 勉強がもっと楽しくなる学習法

勉強が難しい。それでも、「よい成績を収めたい!」と誰しもが考えることでしょう。そもそも、年齢や学年が上がると、勉強が難しいと感じることが多くなるのはなぜなのでしょうか。どのように勉強の難しさに立ち向かえばよいのでしょうか。

勉強とは学ぶこと。学ぶことはリスクがあること。

学年が上がるにつれて「勉強が難しくなった」と感じる機会が多くあるでしょう。もしそうならば、小学生・中学生・高校生はみんな、難しい勉強をどうやって克服していけばよいのでしょうか。

このような勉強の難しさに立ち向かう小中高生やその保護者ために、ここでは、教育心理学の理論をヒントに、改めて「学ぶこと」について問い直してみます。

そもそも勉強とは何なのでしょうか。辞典では、以下のように記されています。※1

べん‐きょう〔‐キヤウ〕【勉強】 の解説
[名](スル)
1 学問や技芸などを学ぶこと。「徹夜で勉強する」「音楽を勉強する」
2 物事に精を出すこと。努力すること。
「何時までもこんな事に―するでもなし」〈福沢・福翁自伝〉
3 経験を積むこと。「今度の仕事はいい勉強になった」
4 商人が商品を値引きして安く売ること。「思い切って勉強しておきます」

以上のように4つの記載がありますが、ここでの勉強の意味は「1 学問や技芸などを学ぶこと。」です。つまり、勉強とは、学ぶこと(=学習)によって支えられるものであると言えます。学習は、心理学では、以下のような定義があります。

学習するためには、人はやり方を知らないことに取り組まなければなりません。言いかえると、リスクを負わなければならないのです。
(In order to learn, human beings have to do what we don’t yet know how to do – in other words, we have to take risks.※2 筆者訳)

子どもは、新しいことに常に取り組み続けている存在です。とくに教育の場では、やり方を知らないことに取り組み、それができたかどうかが評価されています。やり方を知らないことが難しければ難しいほど、負わなければならないリスクも大きくなります。学年が上がるほど、教科の専門性が増し、テストの回数が増え、成績表やテストの順位によって評価され、勉強ができたかどうかが可視化される機会が多くあります。幼少期よりも、自分ができないことや失敗してしまうことがより多く可視化されてしまうので、そのマイナスの評価ばかりが気になり、学校の勉強が難しく感じるようになるのです。このときに感じる「苦手だ」「不安だ」という気持ちが学習に伴うリスクです。

ここからは、難しい勉強に取り組む小中高生に対して保護者がするべき支援について考えてみましょう。

学力は関係によってつくられる。必要なのはリスクを減らす支援。

子どもの学力を支えているのは勉強だけではありません。子どもを取り巻くあらゆる環境が影響し合い、子どもの学力を維持します。家庭環境や本人の得意不得意、性格、友人関係、学校文化、学級風土、習い事など、成績に影響するものを挙げるとキリがありません。とりわけ子どもから大人に一歩ずつ成長する中学生ぐらいの思春期と言われる年齢の子どもたちは、人間関係の悩みを多く抱えているのが現状です。

小学3・4年生あたりから、いじめや不登校は少しずつ増えはじめ、いじめは中学1年生に、不登校は中学3年生に、最も多くみられる問題です。※3 

つまり、思春期の子どもたちは、のびやかに発達する一方で、多くの問題を抱えてしまう時期でもあります。そのような子の学力を支えることは、子ども時代の中で最も難しい時期の子育てということになります。

本来、子どもの学力は、さまざまな関係性によって維持され、知識が「生成」されていくものです。しかしながら、教育では、子ども個人が多くの知識を「獲得」することによって学力が向上すると考える見方が浸透しています。このような考え方をもとにした勉強法は、これまでの伝統的な講義形式の学校の授業や、知識の獲得を目的として反復を繰り返すだけの家庭学習などに多くみられます。しかし、個人の内面に焦点を合わせる教育支援だけは、独力でできるかできないかが試され、それができなかった場合、子どもに生きづらさ(=リスク)を感じさせることとなります。リスクを感じる環境では、自分から安心して学習に取り組むことができません。できないことをできないままに取り組んでみることができる学習環境や人との関わりが、子どもを学びに導きます。子どもの自発的な学びのために、支援者である保護者は、子どもの内面よりも、環境や関係に焦点を合わせる必要があるのです。言いかえると、支援者という立場をいったん止めてみて、勉強を通して子どもと共に発達する仲間になってみるのです。

人は失敗よりも、成功から、より多くを学ぶ存在

それでも、私たちの社会では、個人の内面に焦点を合わせる考え方は根強いものです。「失敗は成功の母」ということわざが教えてくれるように、失敗を自ら内省し、改善することは、成長の糧になると、昔から考えられています。だから、「苦手克服」のために、できないことをできていないと、子どもにフィードバックして、できないことをわからせてあげることが望ましい勉強法のひとつだという考え方もあるでしょう。しかしながら、失敗を可視化されるリスクを負うことは、学習を阻害する原因になるという研究結果もあります。※4

この研究では、5種の調査を行い、計1,674名に、成功したときと失敗したときのフィードバックにおける学習量の差を比べました。その結果、成功したときのフィードバックのほうが、失敗したときのフィードバックよりも、多くのことを学んでいるということが明らかになりました。失敗したときに、「失敗した」とフィードバックをされると、どの回答を選択したかを覚えないというのです。認知的に簡単な課題や、職業・言語・社会性に関わる領域の課題全てにおいて、「成功」から学ぶことが多いことが示されたのです。これらの結果から導かれる洞察は、「失敗した」というリスクを負うことが、学習者自身の自我を脅かすこととなり、人々を学習から遠ざけてしまうということです。

これらの結果から「苦手克服」が容易にできる人物は、非常に稀な存在であることがわかります。我慢をさせたり、子どもにとって辛いことを乗り越えさせていくことは、自発的、あるいは継続的な学習には繋がりません。子の勉強へのやる気を阻害しないためには、「できないこと」よりも、悩みを抱えやすい年齢であることを理解しながら、我が子との関係性に保護者が目を向けて、リスクを減らす支援を日々、実践していくべきでしょう。

各教科に共通する最善の学習法とは? 「ヒト・モノ・コト」がつくりだす学習環境デザイン

昨今の日本の教育政策では「主体的・対話的で深い学び」の実現が目指されています。これは、知識や経験を関連づけたり、それによって概念を再構築していったりして、学びを深めていく学習のことです。学習を「何を学んだか」という結果ではなく、「どう学ぶか」というプロセスとして見ます。

1872年(明治5年)に「学制」が発され、日本の学校教育制度が始まりました。その目的は、教育を充実することによって、国民の知識を高め、日本の近代化を進めることでした。2022年には、日本の学校教育が始まって150年を迎えます。150年もの間、社会の潮流と共に、教育は「競争」から共に学びをつくっていく「共創」へと、その姿を変えつつあります。

かつては、それぞれの教科の成績を上げることで国民一人ひとりの知識を高めることが目指され、そのために勉強に励むことが望ましい子どもの姿でした。勉強という「手段」によって、成績を上げるという「結果」が強く求められていたのです。しかし、私たち大人が当たり前だと思っていたこの伝統的な学力観も、大きく変化しています。能動的な学びであるアクティブ・ラーニングの普及や、全人教育を目的とした国際バカロレア教育の世界的拡大などが物語るように、「結果」としての学力や成績ではなく、学習は「プロセスとして捉えるもの」として扱うことが、今の教育では主流になってきています。そしてそのような学力観は実際に評価され、アクティブ・ラーニング型入試国際バカロレア資格を活用した入試制度を導入する高校や大学も増加しています。

この新しい学力観に共通しているのは、社会構成主義(Social Construtionism)という心理学理論です。社会構成主義とは、人との関係性によって、物事の意味づけがなされ、そして、その意味づけによって、人々の行動は方向づけられていくという考え方です。この考え方には、ふだん私たちが客観的に存在していると思っている、例えば知識や学力などの、あらゆるモノ・コトの意味は、実は、人々とのコミュニケーションの結果として共につくり出されたものであるという主張が含まれます。したがって、新しい学力観に対応していくためには、これまで個人の頭脳の中で引き起っていると考えられていた「わかる」とか、「理解する」のような、人の認知的機能でさえも、共につくるものであると捉え、学習を眺めてみる姿勢が必要なのです。

社会構成主義という考え方を家庭学習に援用して考えてみると、コミュニケーションとしての対話が生み出す相乗効果に期待ができます。家庭学習という「ヒト・モノ・コト」がつくり出す学習環境のデザインは、複雑なインタラクションに基づいて成り立つ人間的な営みと言えるでしょう。とくに、子どもたちは、悩み多く成長します。勉強や学力について悩んだり、考え込んだりしている姿を個人の理解や知能の問題として受け止め、リスクを子どもに負わせることは、もはや必要ありません。大切なのは、家庭学習という学習環境を共創する仲間として、保護者も支援に入ることです。リスクを共に引き受け、対話を繰り返し、互いの主体性を尊重するべきでしょう。

最後に、ここで忘れてはならないのは、対話の相乗効果です。対話をすることは理解を共につくり出すことです。その効果は相手にだけもたらされるものではありません。保護者も親として、子どもと共に発達しているのです。保護者の共に学ぼうという姿勢が、学習に伴うリスクを下げ、安心して学ぶことができる学習環境をデザインしていくのです。

※1 デジタル大辞泉
※2 Carrie Lobman, Matthew Lundquist(2007) Unscripted Learning: Using Improv Activities Across the K-8 Curriculum
※3 平成30年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について
※4 Lauren Eskreis-Winkler and Ayelet Fishbach(2019)Not Learning From Failure—the Greatest Failure of All, Psychological Science, Vol 30, 1-12

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