【小説】初売りーー古本ノンキ堂噺その壱

 えー、いつの世の中にも栄枯盛衰、流行り廃りというモノがございまして、娯楽の世界でも最近は書物、すなわち本てぇ奴はさっぱり人気がなく、中でも字の載っていますモノは凋落の一途を辿っております。本屋でも、なんでもネットとかいうもんの中にあるアマゾンだか、ポワゾンとかいう名前の、ワニかイグアナか、ゾンビかバケモンでも出てきそうな場所には、エライ仰山の人が集まっていると聞きますが、街ン中の目に見える本屋は小粒なのは勿論デカイのも、バッタバッタとツブレ、消えつつあるのでございます。ましてや暗い、汚い、狭いの三拍子揃った(とは某新古書店チェーン会長の言葉なんですが、うめえことを云うもんですな)昔ながらの古本屋さんは悲惨でございます。見るも哀れ、聞くも涙の毎日。ここは、そんな底辺に棲む一軒、下層社会の古本屋、札幌のノンキ堂というちょっと暢気な主人のお店。新年二日目のことでございます。

 「寒いねえ。まいったねえ。全然来ないよ、客が。心を入れ替えて今年からは真人間になろうと二日から店を開けたっていうのに、朝から来た客は本を売りに来た近所のオヤジだけ。それも旧版の『漱石全集』。いらないって断ったのに、酒代が出るまで動かねえって座り込むもんだから、買っちゃった。仕様がないねえ、どうにも。
 正月って云えば、一昔前はひっきりなしに人が入って来て、普段の三倍、五倍の売上、万札がレジに溜まったもんだけどさ。寂しいもんだね。ハッキリ云って二日酔いなんだけど景気付けにもう飲んじゃうよ、お酒。ぐびっ、てね。だけんど合成酒とはなあ・・・・・・、こんな情ねえ正月を迎えようとはなあ。うくく。でも鼻つまんで飲んじゃおうっと。
 しかしなんだ、ウチには猫の子一匹入って来ないってぇのに、向いのデッカイ新古書店とやらは商売繁盛、千客万来、さっきから客がひっきりなしだ。ははは、犬まで浮かれて入って行くぞ。あれれ、お次ぎは、ありゃあ猪だ。いろんなペット飼ってる人がいるもんだねぇ、最近は。あいつにお肉を領けてもらって、牡丹鍋で一杯なんて堪えられねえだろうなあ、じーんと躯が芯から温まって。よし、こうなったらこっちも店の前で裸踊りでもして客集めをやるか。なにせ企画力、宣伝力の時代だからねえ。ぶるっ。いやあ、冷えてきた、と思ったら、あらら、雪が降って来ちゃったよ。仕方ねえ。また、酒だ。ぐびっ、てね。俺にはオメエって強い味方があったのだ、てか。
 でも、ヒマだねえ。では、こちらは久しぶりに年頭所感、書き初めでもやるべぇかねえ。こう、シコシコと墨を摺ってと、面倒だから墨汁入れて、筆に含ませ、半紙広げて、さて、何を書きましょか。[努力]、[忍耐]、[継続は力なり]、[骨太の古本屋]「美しい古本屋の私」・・・・・・どうも恥ずかしいねえ、[待てば回路の日和あり][果報は寝て待て]だな、やっぱり、そうだ!漱石先生にあやかって[則天去私]なんて、ははは、なんか前衛書道みたいな出来映えだ。書の才能があったりしてね、オレも。

 わあ、しんしんと降ってるね。おお!、ぱんぱんって外で雪をホロっているのがいる。ガラガラって入って来たよ、男二人連れ、年代もんのコートに帽子冠っちゃって、金がなくて新調できないって訳だ、同病相憐れむですわ。その割にオヤジの方は口髭なんて生やしてちょっとエラそう、若い方は四十前かな、帽子から蓬髪はみ出させてカッコいいじゃない。うーん。じっくり棚を見てるぞ。よしよし・・・・・・
 お。若いのがなんか両手に抱えて来たぞ。どれ、ええっと、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』ですか、『A PORTRAIT OF ウンタラカンタラ』を以前読んだがこの作品は知らなかったと、ほぅ、それに、『鏡花全集』のバラですか、泉先生の未読の御作が収められているからですって、ほぅほぅ、あとは『中国詩人選集』に『良寛全集』、それからこの『漱石全集』ですか。あーりがとうございま—す。いやあ、今生きていたら、ノーベル賞もんですよ、この漱石って人は。一方私はノーメル賞、なぁんてね、わはは、どーも、すいません、古いギャグで。嬉しいねえ、こいつぁ、どうも、えい、私も男だ、端数引いて〆て1万円でけっこうです。宅配便で送りましょうか?え?クルマを待たせてあるからいいとおっしゃる。ええっと?この書き初めがずいぶん気になるようですね。お客さんも何か書きます?・・・おおっ、オヤジが筆をとったぞ、ホントになんか書いてやがらあ、姿勢正して、決まってるじゃないの。勢いがある。続けて若いのも。ちゃちゃちゃー、となんか書いてるなあ。いわゆる単なる酔っぱらいの方々かしらね、この人たちって、困ったもんだね・・・・・・
 さあ、リュウちゃん、行こうって、出てちゃったよ。どれどれ、何て書いてったんだ?[則天去私]?は、オレのマネしてやんの。しかしまあ、なかなか上手いじゃないの。堂々として、何かこう清々しい感じ受けるっていうか、品があるっていうか立派なもんだ、もう一枚は、これはカッパの絵か?悪戯書きか。署名は澄江堂、こちらは漱石、・・・・・・ほう、・・・・・・んん?うーむ・・・・・・こ、こりゃあ、ほほほ、ホンモノだよ!あの二人は、そうか!ひゃああ、腰が抜けちゃったい。こいつは併せてン百万は下らないぞ。いやあ、春からツイてやがる。ははは、酒だ、酒だ。」

 しばらくの時間がたちましてガラガラと戸を開けて入ってきたのは同業の大先輩善々堂。
 「おめでとさん。初詣の帰りさ、前を通ったら開いてるもんだから。感心だね、もう店をやってるなんて、あらあら、すっかり寝ちゃってるよ。ニヤニヤして何の夢を見てるんだか。暢気なもんだね。今年もゴホンと云ったらノンキ堂だ。あれ?書き初めだね。んん?[則天去私]に河童の絵。また上手く似せて書いたもんじゃないか。こりゃあアタシのような玄人でなきゃあホンモノと見分けがつかないよ・・・・・・うーん。いけない、いけない、こんな贋作作りにまで手を出してたとは、いくらやり繰りが苦しいからって、こんな畜生道に手え出しちゃ、すぐお縄だよ。おや、目を醒したね。アタシはあんたの死んだオヤジさんから道を踏み外さないように頼まれてるんだ。こんなもんは、こうだ、びりびりびりのびり、丸めてポイ。どうしたんだい。あわわあわわって手を上げて、いくら感激したからって、そんな涙まで流して感謝されるほどのこっちゃないのに」

 本年も前途多難なノンキ堂正月初売りの巻でございます。

 


   (了)  



*初出『季刊札幌人』2006年冬号 
単行本『さまよえる古本屋――もしくは古本屋症候群』(燃焼社 2015年刊行)に収録

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