【詩】長万部へ

長万部へ行こうじゃないか、とミノル君が切り出した。私は感激した。由利徹が来るというのだ。なるほど、そいつぁいい、と賛同し、ついでに八雲で蟹も食って来ようぜ、と新たに提案する。はしゃいで私はコップを呷り、ミノル君はセブンスターを美味そうに吸い込んでは煙りを吐き出す。五時半の長万部行きに乗ればいい、とミノル君が云う。先ほど、学校から帰ると学生服脱ぎ捨て酒屋へ赴き、ミノル君の誕生日祝いにサントリー・カスタム一本買い求めて戻り、エビセンと南京豆なんかをツマミにずっと飲み続けているのだ。我々は律儀で真面目な学生だ。と云うのは、学生服を再度着用して奴は椅子、私はベッドの端に腰をおろしてウィスキーを飲んでいるのだから。制服の襟には室蘭S高校の校章、Mに錨マークのバッジが光っている。窓の障子を透かして入ってくる日差しは鈍く、六畳ほどの部屋は何か薄暗いのだが、本棚三本もの蔵書が羨ましく、下宿生活が物珍しく、しばしば放課後に私はこの部屋へ別称「しけこむ」と云われる訪問をする。
さあ、行こうじゃないか。ん、出発進行だ。と二人立ち上がり、襖開けて部屋を出ると、覗いていたごとくに突っ立っていた下宿のオバさんに出くわし、あら、ご飯は?とミノル君に問いかけるのに、けっこうです、僕たちは蟹を食べに行ってきますから、とその眼鏡をかけたオジさんのような顔のオバさんに答えるのを聞きながら、玄関の引き戸をがらがら開けて外へ出ると雪。大きな綿のような雪がふわふわスローモーションのようにゆっくりと落ちてくる中、ミノル君のあとを追う。
喫茶店すぷーんふるの前を通り過ぎ、第一ホテルの角を曲がると東室蘭の駅舎が間近に姿を現し、ひゃあ、もう着いてるぞぉ、というミノル君の声にそちら見やれば、ごおごおと赤黒い煙りを雪空に吹き上げて停車しているのは黒光りした蒸気機関車。雪漕いで、転んで起きて、入口に辿り着き、階段を昇る。悪臭漂うほの暗く長い長い階段を息せききって昇り切り、売店と待合室の前に屯している大勢の中を通り二人改札抜けると、いつもは下りの階段が上りになっている。あれれ、これは本輪西や伊達紋別みたいな造りの駅に変っちまってるぞ、と訝りながらも、汽車はあちらのホームだね、と確かめるや、目の前に屹立するがごとき急角度の階段を昇り始めた。前後しながら二人、ほぼ垂直のその木製の階段をロック・クライミングよろしく昇り終えると左手に回廊があり、様子伺えば床はあちらこちら黒い穴だらけ。中を覗けば立ち昇る機関車の石炭臭い煙りに、わっ、と二人噎せ返り、恐る恐る左足、右足、と交互に擦るように歩き渡り、さあ降りるぞ、と見下ろせば、その数段先のすぐそこから階段が切れている。参ったなぁ、こりゃ、と下を眺めると、階段に赤いシーツのようなカーテンのような布が結わえてあり、それが捩れて縄のように紐のようになったところへ大勢の人たちがしがみついているではないか。しゃーないぜ、と云うミノル君の声に臍を固めて我ら二人も、ぐいっ、と力を込めて紐を掴み、降り始めた。早く早く、汽車が出ちまうよ、そう云ったって、おい、男の頭に靴はないだろ、痛いよ、などとやり合いながらようようホームに降り立つと同時に、ボーーーーーーーーーッ、と汽笛一声かん高く構内に鳴り響いた。残る体力振り絞り、ごおっ、ごおっ、ごおっ、と蒸気の音もの凄く動き始めた機関車のデッキに大勢に混じって飛び乗ろうとしたが、振り落とされてホームにあえなく転落。
ああ、と慨嘆これ久しゅうしていると、スガさーん、スガさーん、こっち、こっち、とホームの反対側から私の名前を呼ぶ声があり振り向けば、ディーゼル機関車三両立ての中から手を振っている者がおり、客車に乗り込んで誰かと見れば、それは札幌で古本屋をやっている同業のササキ君という友人であり、室蘭へ行きましょう、室蘭へ、古本屋が新しくできたというニュースをキャッチ致しました、かつて誰も見たこともなく今まで知られていなかった幻のとんでもないまったき珍本があるという極秘情報なのですよ、いいですか、見つけた暁には山分けですからね、ともかくぱあーっとやりましょう、ぱあっと、と興奮の態で話すTシャツ姿のササキ君を横目で眺めながら差し出されたカンビール飲みつつ、なんとなんと、でもまぁそれもいいかな、と心動かされながら、しかしそんな有益な報せを齎してくれるとは持つべきモノはああやっぱり友達であることよなあ、といつのまにやら姿の消えたミノル君を捜しもせずに、雪も止んで夏の真昼のように明るい夜を今ゆっくりと走り出した室蘭行きの中、窓の外に流れ行く原油タンクやうつくしい黄色やピンクに赤い煙り吐き出す煙突の工場の連なりを眺めているのだった……………………

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