ゴダールの死に思う、「自分の人生の終止符を打つ決断」
映画監督ジャン=リュック・ゴダールが亡くなった。
私が見たことのある作品はごくわずかだ。
『小さな兵隊』、『カルメンという名の女』、『パッション』、『さらば、愛の言葉よ』、そして『右側に気をつけろ』を途中まで。
『小さな兵隊』以外は明確なストーリーがなく、どれも映像やセリフから受ける印象は鮮烈だが、見終わって頭の中は「???」という感じになった。
『さらば、愛の言葉よ』は公開時に映画館で見た。3Dの使い方が面白く、なかなか楽しめたが、実はいちばん記憶に残っているのは、映画館の女性トイレがガラガラで、男性トイレに行列ができているという、滅多に見ない光景を目の当たりにしたことだ。
映画通でもない私がこれらを見るはめになったのは、「一番好きな映画監督はゴダール」という夫の影響である。彼は『右側に気をつけろ』が最も好きな作品で、付き合い始めて間もなくDVDを見せてくれたのだが、途中で私が眠ってしまったため、怒ってそれ以来見せてくれない(笑)。そのため、私は『右側に気をつけろ』を途中までしか見ていない。
ゴダールの訃報に際し、夫に「そもそもなんで好きなの?」と聞いてみると、「20代で初めて人に勧められて作品を見たとき、全然分からなくて衝撃を受けたんだよ。”全然分からない”ものを作るって、実はすごく難しいことなんだ。それで惹かれて、次々作品を見るようになった」という。
「ゴダールって脚本がないんだって?」と、聞きかじった知識を問うてみると、「いやあるよ。誤解されてるけどね」という。どうなのだろう?
それはともかく、ゴダール映画にさほど思い入れのない私としては、彼が「自殺幇助による死を選んだ」ということの方に衝撃を受けた。
おそらく徐々に自力で身体を動かせなくなり、日常生活を拷問のように感じる頻度が高まった結果、自ら死を選んだのだと思うが、どんなに「死んだ方がマシ」だと思っても、その決断には相当な勇気が必要だったことだろう。
思うに、重大な決断というのは、いきなりできるものではなく、相応の準備が必要なのではないだろうか。つまり、日頃から覚悟を持った生き方をしているからこそ、日々を大切に生きているからこそ、人生の終止符を打つというような、重大な決断ができる人間になれるのではなかろうか。
私も人生の折り返し地点を過ぎて、これまで「いかに生きるか」ばかりに頭を使ってきたが、今後は「いかに死ぬか」も念頭に置いて生きたいと思っている。例えば、事故などで回復の見込みがない場合、延命治療はどうするのか。考えてみると、いざというときの備えを何もしていない。死ぬ覚悟も準備もまるでできていないのだ。
ゴダールは亡くなる前にどんな準備をしたのだろう、家族や大切な人たちとはどのような話をしたのだろう。
人の死は案外あっけなく訪れる。ふと、残された家族が、自分の大量の持ち物の処分に苦労する姿を想像して、なんだか申し訳ない気持ちになってきた。まずはこの連休、断捨離から始めようか。
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