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老猫の命を考える

うちの猫はもうすぐ22歳。
食べるとき以外はずっと寝ているけど、
顔つきにそれほど「老い」は感じられない。

明け方に何度も起こされるとか、
食事を少量ずつ、何度にも分けてあげなくてはならないとか、
世話がとても大変になってきた。
心配なので泊りがけの旅行に行くこともできない。
仕事も在宅ワークに限っている。
つまり、完全に彼が自分の生活の中心になっている。

私の母親が飼ってきた猫とはいえ、
それを引き受けたからには最後まで面倒を見る責任がある。
そう思って猫の奴隷生活を続けているけれど、
たまに思わなくはない。
猫の方では「もう十分生きた」と思っているのはないかと。

猫は「死」という概念を知らない。
だから、猫自身は長生きしたいとは思っていないだろう。
自力で生きられなくなったら死ぬのが、本来の野生の命の在り方だ。
老猫は、人間のエゴで死ねずにいると言ってもいい。

でもそれを言うなら、人間だって同じこと。
老いて体が動かなくなり、頭が働かなくなっても、
もう生きる価値がないとは誰にも言えない。

彼を引き取ることで、仕事に出るチャンスを何度も逃してきたし、
自分自身の余暇をあきらめても来た。
でも、今の私にとって、彼の平穏な日々、そして命を守ることが何より大事な仕事だ。

「たかが猫に人生を振り回されて」とあきれる人もいるだろう。
私も猫を飼ったことがなければ、そう思うかもしれない。
この世で人間がいちばん偉いと思っている限り、
他の生き物の命に同等に価値を置く気持ちは理解できない。

おそらく自分で選んだわけではなく、
運命のようなものかもしれない。
私にとって人生の一部を捧げてもいいような存在が、
たまたま人間ではなく、猫だっただけなのだ。


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