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眠れないなァ

たぶん千葉にひとりになるということが怖くて、彼の見なきゃいけない部分から目を背けてたんだと思う。

寂しいとか悲しいとか不安とか、そういうのはもう吹っ切れたんだけど、

ご飯が丸3日食べれてない。水もあまり飲んでない。

クリスマス前には別れるだろうなと思って、自分に絵本を買った。直ぐに灯りの消える寂しい町で、言葉だけが星みたいにキラキラしている。

呼ばれて引っ越してくるくらいには、
人生で指折りの恋愛をしたのだと思う。

ここまで親に大事に育てられた人は初めて見た気がする。私とは真逆の環境で真っ直ぐ育った人だから、魅力的に写ったのかもね。「こんな良い彼氏いないよ」と、周りに何度言われたことか。

だけど決別しようと思ったのは、そんな箱入りで育った彼の世話を、とても私じゃ出来ないと思ったから。一度離婚したのは、精神的にも自立した人じゃないと、依存されて結局私が苦しくなると学んだからだった。

私は今回もかせを付けられたような関係を築いてしまって、夜一人で考え事をしたくてふらりと出かけた時にも追いかけてくる彼が、心底迷惑だった……。私のことが大好きで大好きで、加減が分からないようにも見えた。私はその人にとって、初めて興味を持った人間らしいよ。

ここではっきりとお別れをして良かったと思ってる。彼は言葉を選ばずに敢えて言うと、「マザコンのおぼっちゃま」を絵に書いたような人だったから。彼がいない時に、彼のお母さんにも「息子と別れて欲しい。」と何度言われたことか。

よく頑張りましたと、とりあえず自分を褒めることにします。こんな時でも彼の家の冷蔵庫の食材どうしようかとか、まだ食べさせたい料理がたくさんあったなとか思います。

私は尽くしすぎちゃうんだなぁ。もう少し情に薄い性格の方が生きやすかっただろうな。

一年後の私はどこで何をしているんだろう。

今の私が願うのは、
きちんと生きてて(29年頑張ってきたから)、猫にも後悔のないくらいに愛情を注いでて、そして、書くことを馬鹿みたいに愚直に続けていて欲しいということです。

せめて猫ちゃんより先にこの世から居なくなろうとすることは、絶対しないでね。

高校の時から好きな先生の声を聞きたくなって、電話をした。でも3コールくらいで切っちゃった。文面でお互いお酒を飲んでるくらいのちょっとした会話だけをした。高校の時に、唯一大人(教師)らしいことを言わなかった人だから、子供ながらいいなと思った。三者面談では、うーんとだけ言って、私の母の味方にはならなかったのを覚えてる。他の先生と違って親の前でやたら良い顔をするタイプじゃなかったから、信じてもいい大人かもなと思った。大切な感情だと思うから、これ以上踏み入ろうとは思わない。先生は飲み会の二次会が終わると、歩いて帰ったみたいで、疲れたと最後は話していた。栃木の平坦な道を、私もよくジョギングしたりどこまでも行けそうな気がして淡々と歩いたりしていた。

涙が出てきた。

悲しいとも不安とも違う、硝子の破片でシュッと心臓に切り傷が入った感じ。名前をつけようとなんてしなくていいね。

以前よりも心の中の嵐が終わるのが早くなったよね。愛することの難しさをまた知った。歳をとって風化してきてるのを肌で感じるよ。

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