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帰省したくないっっ!

自己肯定感。

その言葉が世で流行りだしたのは、私が中学二年生あたり、ちょうどTwitterというアプリが流行ってスマートフォンが発売日されて、ネット社会が急激に加速した頃のような気がします。

自己を肯定するという言い回しは昔からあったけれど、これほどほぼ毎日のように誰がが自己肯定感があるだとかないだとかを考えることは、以前はなかったように思います。端的に言ってしまえば、現実社会だけではなく、ネット社会でも他人と自分を比べるようになったからなのですかね。

私はたまにネットに自撮りを晒していますが、深層心理ではそれこそ自己肯定感の低さから来てる行動なのでしょうか。

それでも少し格好をつけさせてもらうと、見た目で勝負している訳ではないんです。殊に、誰かに愛されるということにおいては、自分の感受性で、勝負しています。(けれど勝負するという言い方は、競争社会にまざまざと染まってしまっている気がしますね。土俵にすら乗りたくないし、そんな土俵は横目で遠くから傍観するスタンスでいたいな。)雑貨の方に勧められて書くことを初めましたが、今はnoteを更新し続けることで、今の私は私を好きになろうと努力しています。そんな私をSNSで応援してくれたり、リアルでも「課金しても読みたいと思ったよ」と言ってくれたりする人たちの言葉に、実際かなり救われています。

私は、言葉足らずで、誤解されがちです。

天真爛漫な一面もありますが、敢えてそう振舞っている時もあります。本当の私はどうしたって書くことでしか伝えられない。この感性を、良いよと捨てなくても良いんだよ言ってくれる遠くの方々に支えられています。本当は、妹や弟など他の家族にもこうして私の文章を呼んで欲しいです。

理解、されたい。

次の連休に、家族に会いに行く予定です。正直言って行きたくはないですが、食事をするお店はもう予約しました。無理して行かなくても良いのかなとも思いますが、会いたい友達にも会える数少ない機会です。

一番の目的は、甥の顔を見ることです。甥はもう産まれて7ヶ月になります。妹の旦那さんからは、一度も甥の顔を見に来ない常識のない冷たい姉だと思われているみたいです。それこそ、妹が出産したその日に私はわざわざ千葉から宇都宮に来ていて、産まれたての甥に会わせてくれなかったのは妹とその旦那さんであったのに。何故か批判されています、嫌われています。出産祝いもたくさん送ったんですけれどね。それでも駄目みたいです。新居に私を招いてくれることすらしてくれません。私は家族が増えたことを純粋に心から喜んでいるよと、伝えたいだけなのに。私の母がよく使うのですが、「家族なんだから〜」という枕詞って、一種の呪いの言葉に感じることがあるんです。

「家族だから」長女として、妹のわがままに沢山付き合ってきました。美味しいご飯屋さんもたくさん連れて行って、彼女が来る度に東京の楽しい場所も色々と案内しました。見返りを求めるために行動していた訳ではないですが、それでも一度も「ありがとう」と、彼女の口から直接言われたことはありません。

「当たり前のことだけれど、他人に感謝できる大人になりなね。他の誰も、もう、成人した君にはそう教えてくれないし、ある程度社会人になったら見放されてしまうよ。」

と、ある時言ったことがありました。お姉ちゃんは人に感謝されたいから、親切にするの?とキレ気味で返されました。そういう話をしている訳ではないんだよなぁ。

私が家族に誤解されて嫌われているのは、社会のレールから外れている生き方をしている事が大きな所以です。勉強はそこそこ出来たのに大学へも進学しなかった、バーテンダーという夜職を愛して選んだ、結婚したけれどすぐに離婚した……などなど。一見、ちゃらんぽらんに見えるみたいです。そんな人生を堂々と好きで生きている私のことが、もしかしたらあの人たちは少し羨ましいのかな。私の、多少なりともある、自己肯定感の低さは、家族からの評価に大きく関係していると感じます。

そんな家族の事情もあって、私の書く詞やエッセイを読んでくださる方々が、私の一番の味方です。家族という狭いコミュニティでは受け入れられなかったけれど、ネットという広い社会で、私はこんなにも沢山の人たちに必要とされていて認められていると感じると、不器用なりに生きてきて良かったと思えます。私の危うい感受性すら、愛してもらえる世界。

感性の敏感さなど要らないと思ったこともありましたが、私は今は自分はとても人間らしいのだと自負しています。

もしかしたら、
私を無下に扱うに家族と、無理に仲良くする必要なんて、無いのかもしれないですね。わざわざ傷つくと分かっていて関わる必要は無いのかもしれません。

自然体で己を愛せる世界に身を置いていたいものです。家族だからというだけの理由で、無理に自分の心を削らなくてもいい。私は私の感性に寄り添ってくれる人たちに、もっと目を向けるべきなのかもね。

今回も、読んでくださって本当にありがとうございます。私が私で良かったと思わせてくれる、皆さんを心から愛しています。

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