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感情と論理の切ない関係

こんにちは。アクシス代表の末永です。社長ブログです。

東京渋谷でアクシスという20代・30代を中心とした若手ビジネスパーソン向けのキャリア支援事業を複数提供しています。

キャリアコーチングサービス「マジキャリ」転職エージェント「すべらないキャリアエージェント」などを提供しています。

このnoteでは、「すべらない転職youtubeチャンネル(延べ視聴回数360万回)」や「すべらない転職(読者45万人/月間)」では伝えられていない転職やキャリアノウハウだったり、社長としての想いや考え方について、インサイドストーリー的な感じで発信していきたいと思います。

yahooニュース東洋経済オールアバウト新R25などのメディアへの寄稿や、書籍「キャリアロジック」「成功する転職面接」を出版する等、転職やキャリアについて情報発信もしていますので宜しければ読んでみてください。

わかっている < 納得してるか&やりたいか

最近久しぶりに現場に戻って、一部のメンバーのマネジメントというか育成を兼任しています。

その中で、強く感じている事として「どこまでいっても人は感情の生き物である」という事です。

つまり、人間社会で行きていく上で、論理は感情に打ち勝つ事はできず、惨敗するのです。

これは先日参加した経営者勉強会でも、某上場企業の元社長も強調してお話されていました。

論理や理想としては「誰が言うかよりも、何を言うか」と思いつつ、現実は「何を言うかよりも、誰が言うか」の方が影響力や効果は大きかったりします。

多くのマネージャーの方であれば共感いただける話と思いますが、メンバーや部下が、「何度も同じミスを繰り返したり、教えた事をなかなか実践してくれない」という悩みは多いのではないでしょうか。

「マニュアルに書いてあるのに・・あんなに何度も指導しているのに・・」と疲弊しているかもしれません。

最悪の場合、部下は「わかっていない」「頭が悪い」「能力が低い」などと断定してしまうマネージャーさえ存在します。

しかし、これは大きな間違い、勘違いだと思っています。

そもそも、人間にそこまで大きな能力差なんて存在しません。
(一定の強みと弱みは存在するとは思いますが)

一定の理解力があれば、丁寧に教えたり、ドキュメント化した内容については理解をしているでしょうし、記憶には残っているのだと思います。

それでもできていないというのは、既に「わかっていない」わけでないのです。

では何が原因なのでしょう?

そう、感情です。

コンディションが悪かったり、感情的になっている時は普段と違う行動を取ってしまう事は誰でも共感する事と思います。

それくらい感情には、人を動かすチカラがあるのです。

人は感情によって、仮に同じ事実を前にしたとしても、観るべき着眼点としての視点だったり、解釈が大きく異なってしまうのです。

そして潜在意識のレベルで、行動する事を阻害してしまうのです。

ですので多くのマネージャーや上司は、わかりやすく具体的に伝える事に腐心するよりも、まずはその人の感情や納得感に対して着眼しなければなりません。

そこには、彼、彼女においての感情、信条が存在している事が多いのです。

それを無視して、いくら正しい論理を振りかざしたとしても、目的は達成されません。

もちろん、「仕事なのだからプロなのだから、納得しているかやりたいかで仕事をするな」と言いたくなる気持ちもわかります。

しかしそういった反応を引き起こしているあなたもまた、それは論理としての事実ではなく、あなたの感情や信条なのではないでしょうか?

成長についての誤解

このように人間は思った以上に感情に左右されて生きているし、仕事をしています。

人材育成についても、この論理と感情の戦いが存在していると感じています。

仕事における人材育成の目的は、対象となる相手の成長を促進し、より早くより大きな成果を出させる事です。

経験が少ないマネージャーは、ティーチングをしがちです。

自分の知見やノウハウ、会社のマニュアルを徹底して再現できるように繰り返し伝えるわけです。

確かに、初心者に対して一定のインプットやティーチングは必須です。

しかし、ティーチングはあくまで最初の一歩を進めるための取っ掛かりに過ぎません。

実際は、その取っ掛かりを参考に行動し、それでも差分が出るためなかなかうまくいかず、そこで自分の頭で考え行動しながら、成功体験・失敗体験を繰り返す方が圧倒的に情報量も多く、本人の記憶に残るし、腹落ちします。

つまり成長します。

お恥ずかしい話ですが、僕は逆上がりが、小さい頃すぐにできませんでした。

親父か友人に言葉で説明してもらったり、実際にやって見せてもらうのですが、日本語としての意味は理解できたのですが、イマイチ感覚として理解ができませんでした。

しかし、その後練習を重ねて、逆上がりができた時に、後から教えてもらっていた内容を思い返すと「なるほど!そういう事か」と腹落ちする事が多かったのです。

当たり前の話ですが、ビジネスや仕事も同じと思います。

マニュアルや論理、ティーチングが人を育てる事はありません。

初学として一定のティーチングは必要とは思いますが、僕は機会と経験が人を育てると思っています。

つまり、適切なタイミングで今の実力に見合わない役割を与え、最低限のティーチング・インプットを行ったら、あとは必須の成果基準だけを示して、あとは自分の頭で考えて勝手にやれです(笑)

そこで、自分で試行錯誤した上での成功と失敗体験は消える事はないし、自分ゴトととして捉えて、自然とできるようになるし、何よりもやり続けたくなるのです。

論理はなんであるんだろう

では、論理は何のためにあるのでしょう?

成果やその要因を後から他人に説明するためです。

ただし、この説明がどれだけ具体的で論理だっていたとしても、それを聞いただけでできるようになる人は存在しません。

結局は、その論理を最低限インプットしたら、同じく自分の頭で考え、試行錯誤を繰り返し、経験値を蓄積しなければ、決してできるようにはなりません。

既に成果をあげられる人からすると、その論理を伝えたのに、なぜできないのか?と不思議に思う事が多いように思いますが、当たり前の事なのです。

そして、その成果の後付の論理さえも、あくまで目安であって、そこには人それぞれの持ち味やそれに沿った山の登り方という裁量があって然るべきと思います。

そこに一寸の差分もなく、再現する必要はないのです。

なぜならば、目的はその論理の再現ではなく、自立自走して成果を出せるようになる事だからです。

多様性や強みをリスペクトできる組織に

これはとても大事な考え方です。

僕はよく守・破・離が大事と言います。

しかし、これは個性を殺せという意味ではありません。

人間どうしたって、個性が存在し、強みと弱み、得意不得意があります。

守や定石は、そういった個別性がある前提の中で、指針となるペースメーカーなのです。

そのペースメーカーを意識しながらも、自分の頭で考え行動し続ける中で、ズレはあっても、より高い成果を出せる方法を本人が見いだせたなら、それは尊重すべきですし、むしろ素晴らしい事なのです。

その人が生み出した新しい山の登り方、成果をあげる論理も1つの指針や目安として、さらに組織における引き出しが増えていけばそれで良いのです。

1つの物差しだけで、人を評価する組織ではなく、このような余白や多様性が一定尊重される組織でありたいと、強く思います。

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