詩は謎
平日の夕方、それなりに混んでいる喫茶店の奥で、むずかしい顔をしてスマホを見つめる史織を見つけた。
近づくとこっちを見て「気づいていたよ」と言われたので、「気づいていたことに気づいていたよ」と返した。史織の席が空調の温風直撃な気がして、替わろうかと言ったがただニヤニヤされて終わった。いつものやり取りだ。
史織とは年が明けて初めて会う。彼女の実家は北陸なので心配だったが、強い揺れは感じたものの幸い被害はほとんどなかったという。怖がる弟と久しぶりに同じ布団で寝たと惚気けられた。
「嫉妬してる?」
「小学生の弟は男にカウントされない」
「嫉妬してほしい」
「なんでだよ」
特に深刻そうな雰囲気でもないので、気になったことを聞いた。
「何見てたの?スマホ」
「ああ。それこそ弟がね、冬休みの宿題やってたんだけど」
そう言いながら史織が見せた画面には、1編の詩が表示されていた。
「教科書にこの詩が載ってるんだけど、感じたことを原稿用紙に書け〜って宿題で困ってて」
「なんか僕も読んだことある気するなこれ」
「それで横で見てたんだけど、私、なんとなくこの詩が怖くなってきて」
「怖い?」
「ううん、怖いっていうか、気持ち悪いというか、とにかくなんか嫌な感じがする」
「オカルトの話?」
僕はスマホの画面を見つめた。
たしかに、ひらがなが並んだ様子は不気味だと思わなくもない。だが世の中にはひらがなで書かれた詩も多いし、特段話題にするようなことでもない気がする。
「でね、理由を考えたの」
「この詩が嫌な理由?」
「そう。それで観察してたら、気持ち悪いことに気がついちゃって…」
史織が画面をスクロールさせ、最初のブロックを指す。
「これ、正方形なの。ほら」
「言われてみたら、そうだね確かに」
「それでね、それぞれの正方形をこうやって斜めに読んでいくと」
史織は爪を立てて画面の上で滑らせた。
いちめんのなのぶな
いちめんのなのべな
いちめんのなのつな
「それで、ほら、【ぶべつ】になるでしょ」
「ぶべつ」
ぶべつ、侮蔑?
「なんかこんな平和そうな詩なのに、侮蔑なんてワードが隠されてるの、怖くない?」
「なるほどねえ」
そうは言ったが、あまり納得はできない。
僕の表情を察してか、史織は付け足した。
「気になってネットで調べたら、おんなじこと言ってる人がちょこちょこいて」
「へぇ、有名な話なのかな」
「でもこの詩の作者がそういう意図で作った根拠はないみたいだけど」
史織が示した記事を読んでみたが、やはり憶測の域を出ない。憶測というか、こじつけに感じた。
「あんま納得してなさそうだね」
「まぁね。話自体は面白いと思うけど、偶然じゃないかな」
「身も蓋もない男だな」
「そもそも、言葉を隠すとして【侮蔑】ってワードを選ぶかな。【憎い】の方が隠すの簡単そうだしわかりやすくない?」
僕はそう言いながら、全く別のことを考え出していた。
史織が言う違和感の原因。正方形……?
不満そうな顔でなにやら不満を述べる史織がスマホを仕舞おうとするので、「まだ話は終わってないぞ」と大げさに言った。
僕はぼんやりと、1つの光景に思い当たっていた。
❁
「これ、正方形だけど、もっとストレートに理由を考えてみようよ」
「正方形だから、切り取られてるってこと?菜の花畑が。道とかで」
「でもそれだと【いちめんのなのはな】にならないよね。範囲が決められてたら」
「あ、【一面】ってこと?テニスコート一面みたいな」
「なるほど、それは面白い。でもそうすると、こんどは【かすかなるむぎぶえ】がおかしくなるな。そもそも狭い範囲の話なら、麦笛が遠くで聞こえるのがマッチしなくなる」
「ねえ、良平はわかってるんでしょ?」
怒られた。
仕方ない、核心を言うか。
「僕の予想は、やはり正方形に切り取られてるんだと思う。でも実際には切り取られていない。そうじゃなくて、正方形の枠組みの外から菜の花畑を見ているんだよ」
「枠組みって、絵の額縁ってこと?」
「いや、絵や写真だったら【むぎぶえ】や【ひばりのおしやべり】みたいな聴覚情報が出てこない。これは窓だ。主人公は室内にいて、正方形の窓の外に菜の花畑があるんだよ」
窓の外に広がる菜の花畑。
これが、正方形に切り取られた「いちめんのなのはな」の正体ではないか。つまり単に視界の問題なのである。
「しかもこの情景は3つ重ねられているよね。いつ見ても【いちめんのなのはな】なんだよ、主人公にとって。もしかしたら、1日のほとんどをベッドの上で過ごす患者とかなのかもしれない」
3ブロック目に出てくる「やめるはひるのつき」の「やめる」は「病める」、つまり「病んでいる」の意味だろう。
「それは、やだね…。だとしたら、私が嫌だなって感じたのも、風景がずっと変わらないことへの苛立ちとか?」
「かもしれないね。あるいは閉塞感、息苦しさ」
「たしかに、こんだけ連呼されると、うんざりって感じが伝わってくる気がする」
史織は両手でカプチーノのカップを包んだ。
僕は更に思いついたことを述べる。
「わかりにくいけど、この詩はブロックごとに時間が経過してるんだよ。1ブロック目は【かすかなるむぎぶえ】で、2ブロック目は【ひばりのおしやべり】だよね。どちらも小さな音だから、この2つは同時には聞こえないはずだ」
「そうだね…」
聴覚情報がダブって現れるのも、時間経過の印象を強めているのかもしれない、と僕は付け足した。それによって、主人公がいちめんのなのはなに飽き飽きしていることがより伝わってくる仕掛けだ。
「じゃあ、この【やめるはひるのつき】ってやつは?弟はここが1番意味不明だって悩んでたんだけど」
「そこは僕もハッキリとはわからないけど、月が昼に見えるって、それだけ時間の感覚が狂ってることを表してるんじゃないかな。主人公にとって、昼も夜もわからないくらい退屈な日々であるという表現」
「なるほどね…」
そう言いながら、今度は史織が納得いかない顔をする番だった。
「筋の通った話だとは思うけど、そんなこと作者は考えてたのかな。山村暮鳥は病気だった?」
「さあね。それに、作者の意図なんて関係ないと思うよ。僕らにはこの詩がこう読めた。一定の説得力をもって」
勝手に2人の共同作業にしたが、史織は唸るだけで口を挟んでこなかった。
なにかを成し遂げた気になった僕は、まだ温かいロイヤルミルクティーを喉に流した。
「そういえば、ちなみに弟さんはどんな感想を書いたの?」
「ああ、えっとね。あは、それがさ」
史織はスマホをしまっておしぼりで手を拭いた。そして、僕を見つけたときのニヤニヤ顔に戻って言った。
「ぼくもひばりとおしゃべりしてみたいです、だって」
つづく
次回、
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