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今の「休学」って不自由に見える

『休学して半年、移住して3ヶ月と半分、地域おこし協力隊をちょうど3ヶ月』

note初投稿!

今回は自分なりの“休学論”について少し共有させて頂ければと思います。

ぜひ、お付き合いくださいませ。

要点のみ一言でまとめると、こんなことを言いたがってます。
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休学とは
自分を社会に適合させるべく “カスタマイズ” するための期間ではなく、
自分 “らしく” 生きる道を模索するための期間である=========================================

以下、本文。

近年、
休学=留学
休学=スタートアップでインターン
みたいな方程式が出来上がりつつありますが、今回はそんな社会へのアンチテーゼ。

なんかこう休学について、
「その期間中に何かを身につけなきゃいけない!」
みたいな強迫観念に追われてる人を多く見かけますが、

それよりは
「自分に適した環境(衣食住や仕事)を見つけるための期間」
として捉えたらいいんじゃないか?
と個人的には考えています。
所詮、モラトリアムにしか過ぎない大学生が色々気張りすぎな気がします。

そして何より、社会に求められるよう"カスタマイズ"した自分ではいつか自分自身がきつくなるんではないでしょうか。
今後、何年か経った先でそういった"時代の被害者"が続々と出てくるような、そんな気がしています。

人間ってのは優れたつくりなもので、大体のことはやればできてしまいます。
英語ができて、品行方正で、協調性を持つことを社会が求めるならばそんな風になれちゃう生き物です。
現代社会における「立派な人間」とはそんな評価項目の全てで平均点以上を取れる人間のことを指すのでしょう。

でもそれのどこに、自分らしさがあるのでしょうか。
他人の評価や顔色を伺わなければ生きることができないなら、そもそもそれは自分の人生を生きていない。
少々、過激な表現になりましたが僕はそう思うのです。

そう勢いよく啖呵を切ったのはいいものの、そんなわがままばかり言って生きていける社会じゃないのは十二分に理解しています。
しかし、大学生にはそんな社会のレールから一時的に離脱することのできる必殺技が与えられているのです。
“休学”
一旦、今までの全てのしがらみを取り払い、自分を再発見する時間。
そんな風に使えれば良いのになぁと思います。

少々長くなりましたが、僕が伝えたいことは大体こんな感じです。
今回の話ですが、目的意識ありの人は完全に対象外です。
決して、海外留学して語学力を磨いている人やスタートアップで働く人をを非難するような投稿ではないことご理解いただけると幸いです。
また、自分の場合は幸いなことに休学に際して学費は発生しませんが、大学によってはお金がかかってしまうので、一概には言えないということも重々承知しております。

ここまでお付き合いいただいた皆様、ありがとうございます!ご意見、反論、適当なコメント等お待ちしてます!

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