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わたしの容姿のはなし

わたしは背も低く、顔立ちも地味です。
小さくて、それぞれ形が違う両の目は、視力も壊滅的に悪い。先天性の瞼の疾患のおかげで、年々瞼が落ち、目はこれからも小さくなっていきます。目をかっ開こうものなら、額には濃い皺が2.3本できてしまいます。
目と眉毛の感覚も狭いものだから、広範囲でのびのびとアイメイクができている方々を見ると少し憂鬱です。そんな、綺麗なアイシャドウを大盤振る舞いに塗れるような瞼の面積が、わたしにも欲しかった。

鼻も口も、小さくて大嫌いです。
顔面加工アプリで鼻を別物のように変え、口も大きく見せるのがやめられません。だから自分は撮られる時は出来るだけマスクをしたいと思う。マスクなんか嫌いだけど。

丸い輪郭が一番のコンプレックスで、こればかりは化粧ではどうにもなりません。文字通りシュッとした、余白の少ない顔になりたかった。
整形したい箇所なんて挙げだしたらキリがない。
金なんてはなから足りない。いや、逆になくてよかったかもしれない。髪型ですら1ヶ月単位で飽きるわたしは、きっと大金を手にしたら整形中毒間違いなしだ。きっと数ヶ月おきに自在に顔を変えたくて仕方なくなる。


せめても、化粧くらいは上手くなりたいものだが、やはり限界があるなと常々感じる。左右大きさが違う目は本当に厄介だ。そう簡単に短時間でメイクはできない。
けれど、なんとなく大分作画が良く感じられる日とかも稀にあって。

わたしは中学に上がった頃には既に「自分はデブスのアニオタ」だと明確に自覚していたので、おしゃれになんかまるで興味なかった。諦めていた。
その間、周りの友達は高校に上がる準備として基本メイクくらいは勉強していたというのに。

結局こいつは大学2年の初頭くらいまでアイメイクというものができなかった。無駄だと思っていた。
高3で母にプチ整形を勧められ、そういったクリニックに行ったことがあったが、「きみは瞼に眼瞼下垂という疾患があるから、まずそれを手術してからじゃないとね」と言われ更にメイクに対する無関心さが加速したのもある。かわいそ。
その眼瞼下垂は2年前いちおう手術したはずだが結局このとき爆誕した二重まぶたはもう元の一重に戻りつつあり瞼もまたジワジワ下がっていってる気がしてならない。いや、一重もすきだよ。けど、わたしの目はあまりにも小さくて地味で惨めなものなの。その手術したときの記事がこちら  ↓

↑ これだけ苦しんだのにまるで意味がなかったかのように元に戻る目元。もうやんなっちゃう。時間と金と悲鳴と涙返して?????

故にわたしの「自分磨きの履歴書」にはたいへん大きなブランクがある。と、いう言い訳でした。
だからまだまだわたしの化粧技術は発展途上で、これからも進化していくんだと信じたい。

ここまで書いといてあれだが、こいつは顔面のことでいじめられたりとか死ぬほど辛い目にあったりとかは全くしていない。この姿のまま愛され甘やかされてきたからこそ今の自分があると思う。
富豪では無い限り、整形に金出すくらいなら全然それ渡英資金にするし…


けどまあ、顔見ただけで「アニメイトにいそう笑」とか「アニメとかBL好きでしょ?笑」って言ってきた奴らのこととか思い出すと全然ブチ殺してやりたい(ちなみにこれが原因でアニメイトとかアニオタが集まるとこ大体行けなくなりました〜)し、結局わたしより綺麗な女性を選んだ男のことは忘れられないし、そういったものが積み重なって、ある日突然全てが嫌になって狂いそうにはなる。
自分だけプリクラとか加工アプリで顔認識されなくて、気まづくなったりとかね。そういう小さいのなら結構あるんです。嫌な記憶は都合よく忘れるタイプだからよかったけども。

でも結局は、美しくなければ歓迎されないのは確かだ。わたしの中にも酷いルッキズムがある。デbお太り遊ばされてる方にはやっぱり冷たい視線を向けてしまうし。ストリップ観劇が好きで全ての女体を等しく愛でたくても、どうしても細身の少年のような体躯の人を贔屓してしまう。綺麗事なんて言ってられない。

みんなが求めるのだって、エネルギッシュな凡人より、死にたがりな美人のほうだし。特にSNSの世界は尚更。



身近な買い物以外で人と会う時はもちろん化粧をする。
遊ぶ時は思い切り遊ぶ人間なので、昨今メイクキープミストなるものを知って試した時は、あれは大変よかったなあ。
夜になって、もし誰かと性的な戯れをする展開になったとき、いくらわたしは昼間遊び疲れてとっとと顔をさっぱり洗いたくても、首から上は洗えない。
本来の冴えない顔のまま色っぽい展開になりたくない。
そんじょそこらの女性陣の平均よりこの願望は強いと自負している。相手はわたしが化粧していようがしてなかろうが気にしていない、わたしの体についている女のパーツに用があるのは承知だが…

お願いだから、手出すなら元の顔に戻る前に。
まだ比較的マシな顔面であるわたしに発情してくれ。
朝、寝起きでそういう展開になるのも嫌いじゃないのだけれど、ふと「ああ今の自分の顔は…」と思い出すと嫌で泣きそうになる。

女故の面倒臭さだろうが、わたしは今から男として人生を歩むことになったとしても化粧は絶対にする。外見に至っては、本来の醜さより偽った美しさを愛でられたいものだろう?

だからわたしより遥かにずっと整った顔面をお持ちの方が死にたいだのパキッただのぬかして病み散らかしてるの見ると
「うるせ~~~~~~~~おれがお前の顔面持ってたら世界征服しとるわボケカス」としか思えなくて…
すんません…

おい貴様、自殺するのなら、その整った顔面と余命と有り金ぜんぶ俺に渡してから死にやがれ
俺は滅茶苦茶に生きたいのだ


大槻ケンヂ曰く、コンプレックスを舞台に上げたら、それはロックになるそうじゃないですか。
だから、わたしは僕はおれは、ラブホテルという舞台でロックスターの真似事をするんです。
だから人前で思い切り歌うのが好きなんです。


顔面の良さだけで宗教を作れるくらいになりたかったな。

首からの下のことも書こうかと思ったが、上ほど嫌ってるわけではないので、やめた。まだ綺麗な方じゃろ、ウチのbodyは。。。もうちょい毛が生えてこなければいいよね(色んな部位)。

首から上のことだけでも、こんなに不満が絶えない。
けれど、矢張り、自分の人生のことはめちゃくちゃに好きだ。
ニートになって、自分は心から旅人気質だと痛感させられた。社会人のときろくに必要なかった化粧を時間かけてやって外に出かけるのはいつも気持ちが良かった。
そして先日、4年ぶりに神・リアムギャラガーをサマソニで拝んで1万人以上もの人間たちと彼の歌をシンガロングして、ズビズビに泣きじゃくって、リアムのステージが終わった頃にはアイライン全落ちしてるのとか、そういうのも久しぶりでめちゃくちゃ楽しかったんだ。なんか、これがやっぱりウチの人生やんな?


さて、まもなく待ちに待った渡英だ。3年待ちわびた。ビジネスクラスで行く、という夢は円安ポンド高のおかげで見事に砕けたが、まあよし。

3年耐えたご褒美に、3週間たっぷりイングランド・スコットランド・ウェールズを満喫してやる。
相変わらず英語力は中学英語止まりだけど。

見たいものを総て見なくては。わたしの瞼が醜く下がり切る前に。わたしはもっと旅をしなくてはならない。


結局、自分の顔ちょ~~~~嫌いだけど、自分という人間チャーミングすぎてちょ~~~~好き!って話でした


それではこの曲でお別れです。
ここ半年のあたいをアニメ化するなら、OPはぜったいコレがいいのだ。

ハロー・ピープル! カモン・ピープル!
なんだ 最近どうもつまんねえぞ
神がなんだ? 地球(ほし)がなんだ?
あのコ泣かすな 俺が許さねえぞ

こういうとき、歌詞の【あのこ】とは誰だろう?とたまに考え込んだりするのですが、たまにそれは自分なんじゃないかとすら思う。
【俺】も自分で、【あのこ】も自分。
昔の泣き虫な小さき自分を抱き締めに行きたい昨今であります。今も泣き虫なんだけどさ。また帰国したら自分大好き記事の続きでも書くかあ

Peace



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