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本当はとても嫌いだった親友の話


本当はとても嫌いだったよ。


そう言ってしまいたい。
かつては親友と呼び合っていた友人がいた。

でも、いつの間にかわたし達はお互いのことを「親友」とは言わなくなった。
代わりに「友人」と表現するようになった。
きっかけはわたしのほうだった。
彼女のことをテキストで表現するとき、誰かと差別化する「親友」という言葉は不特定多数が読むものには相応しくないと考え、フラットに「友人」と表記したことが始まりだった。
それがいつしか便宜上の表現としてではなく、認識としても「友人」に変わった。

今回は移りゆく関係についての話を。

***
人はどうして努力なしには、好きな気持ちを保持したままに関係を続けることができないのだろうか。

18歳の頃に美大受験予備校で出会った数名の友達がいる。
同じ志望校に入ったから少なくとも5年間は友達だった。
彼女とはその時に出会った。

本人は気づいていたのかわからないけれど、友人は人気者だった。
可愛くて趣味が良くて性格も良かったから、いつも誰かしら友人と仲良くなりたがっていた。

しかし友人は現状に満足しているわけではなくて、いま自分が在籍している場所ではなく、「神様学校」の彫刻科で学びたいと言っていた。
友人は、入試の時点で卓越した技術が無いと入学することが難しい現実の大学を神格化してそう呼んでいた。

何年か後に、わたしはその神様学校の院に進学して博士号を取った。
その頃から、わたしたち2人の間に流れていた忌憚のなさが無くなってしまったように思う。友人がわたしを見る眼差しの中に、羨望のようなものを感じるようになった。
それは自分が行動に移さなかったことを移した人間に対する暗い劣等感の様相にも似ていた。

何かを手に入れるための挑戦を避ける人間に人を羨む資格はないし、
人を羨むだけの人間にはなりたくない。
失恋という決定的な敗北を経験して以来、わたしはそう思うようになった。
だから友人の美点でもある保守性をあまり役に立たないもののように感じる時期があった。

失恋を通して自分の臆病さを思慮深さと誤魔化していたことに気づいたわたしは、
その後に歩んだ道のりも相まって、世界に対して以前よりも穿った見方をするようになった。
きっかけはなんであれ、世界からつまはじきにされたと感じてしまった経験があると、人はその後の世界の捉え方に、良くも悪くも変調をきたす。


わたしの世界を捉えるモードにどんな変調があったかというと、以前よりも執拗さが増した。
執拗な部分を隠す意味が見出せなくなったと言おうか。

友人は、誰かを執拗に許さないままでいるわたしを見て
「わたしの知っているスーじゃない」と悲しそうに言った。
許せない気持ちを軟化させると「それでこそわたしのスー」と言った。

どうやら彼女の中には依然として、昔のわたしを基準とした望ましいわたしの型があるらしい。
その型は、悪い言葉は拙い発音でしか言えない臆病な震える子猫ちゃんのままなのだろうか。
そうであれば、友人は安心なのだろうか。


***
友人に送ったLINEはいつまでも未読か、ものすごく時が経ってから既読がついているのが常だった。
返信はあるほうが珍しかった。
だから日常的なコミュニケーションは取れなかった。

その割に、彼女はわたしの個展や博士審査会などのときは、飛行機に乗る距離なのにも関わらず駆けつけた。

ゆっくりと会話も出来ない無理なスケジュールを組んで来ることになんの意味があるのだろうか。
束の間に作品を見るだけで、何かを感じ取れるのだろうか。

***
審査会を終えた後、しばらくしてからわたしの元に友人から一通の手紙が届いた。

「あなたのプレゼンを見た。
あなたはもう子猫ちゃんではなく、立派な大人の女性になった。」

そう書かれていた。

その後、新卒で入社した会社の初出勤の日。
朝の混雑した山手線に揺られている最中に
「社会人デビューおめでとう」とLINEがきた。

友人の中に、わたしに対する愛が保たれている。
充分すぎるほどに。

それなのに、どうして素直に受け止めることが難しいのだろう。

***
学部卒業後、当時の教官と二人で話す機会があった。
教官は友人のことを、わたしたち同期の中で上位3名に入るうちの1人だったと言った。
(その3名はわたしが予想していた人物とすべて一致していた。ちなみにわたしはその中には入っていない。)

思い返せば、友人は名実ともに素晴らしい染色家のアトリエにも秘密裏に呼ばれて訪問していた。
教官が見込みのある学生を何人か見繕い、連れて行った事実を、後になって友人の口から聞いた。

それなのに友人はいつまでも所在なげで自信がないようだった。
何年か経った後に思い出したから教官との話をした。
友人が自分の才能を信じられる根拠になるかと思った。

すると友人は
「もっと早くにそのことを言ってくれたらよかったのに」と呟いた。

もっと早くに、教官やわたしがそのことを伝えていたら、友人の人生は何か変わっていたのだろうか。

友人の中にある、他人の承認がなければ踏み出せない弱さが嫌いだった。

わたしはもう、友人からの承認は必要としていないということがわかった。


***
わたしは友人に対して、
助けてくれなかった。という気持ちが拭い去れない。


友人は、わたしに対していつも申し訳なさそうだった。
同性に恋したときも失恋したときも、「気持ちがわからなくてごめん」と謝られた。


友人はいつも困った顔をして慎重に言葉を選び、わたしの隣にいただけだった。
友達というのは、そばにいてくれるだけで、それだけでいいもののはずなのに、どうしてわたしは友人に対して「助けてくれなかった」「わたしのところまで降りてきてはくれなかった。」などと今更になっても思うのだろう。

自分を救済することができるのは自分だけということを理解する前段階から、わたしの世界に存在した人だから甘えがあるのだろうか。










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