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平穏のリズム

雨の多い日々。

水遣りは当分中止。

早朝に起きてもざあざあと土砂降りの事が多いので、
なかなか畑に出られないでいた。

植物に触れていないと鬱々として来る魂。

何をするのも億劫に思えて体が重い。

山小屋の階段を昇って降りるだけではあはあと息が切れた。

圧倒的運動不足。

筋肉量の減少と精神的張り合いの欠如。

それが肉体的、精神的にかくの如く仇なすとは。

我ながら情けなく、ベッドに伏して歔欷の声を上げた。

否、泣く前に何とかせい。

それで今日は久々の快晴にやや胸を撫で下ろしたのである。

久方ぶりの畑は想像より整然としている。

雑草の伸び放題という事態に陥っていない。

寧ろここ数日の降雨でトマトの挿し木などは大きく育っていた。

ピーマンは相変わらず小ぶりながら元気を取り戻しつつある。

そこで、植物にとっては快適な気候であったのだと気づく。

何も自分に都合の良い事が万物の都合の良い事であると限らない、
寧ろその逆が多いと、数日間の己の憂いを反省する。

灼熱の午後はたった独りの思惑で。

小屋のウッドデッキには少ないがハーブの鉢が並ぶ。

その中の一つ、ローズマリーを四片手折る。

捏ねて寝かせた小麦粉の生地に乗せ、
こんがりと焼き上げたのはフォカッチャ。

イタリア生まれの素朴な彼女は、これから数日の朝食のお伴。

どんな料理、ソースと合わせようかと夢想しているだけで、
幸せな気持ちになる。

不図我に返ると、数日間の憂鬱も綺麗さっぱり霧散していた。

採れたての茄子と
ファーマーズマーケットのズッキーニ
(我が畑のズッキーニは虫にやられて瀕死である)、
アンチョビ、ニンニク、鷹の爪、塩にお好みのハーブ。

僕はタイムとオレガノが好きだ。

ウッドデッキの鉢から少しばかり頂戴して、
アヒージョのようにオリーブオイル仕立てにする。

それにくぐらすフォカッチャは最高である。

「にゃああおん」

アンチョビの匂いにつられたのか、

気が付くとメメがダイニングテーブルへ座り込んでいる。

メメと言うのは僕の猫で、半分家、半分野で暮らしている。

人顔負けの人間力を持ち(そんなものが存在するのか知らないが)、
僕の一言一句を如才なく解する。

そんな彼女は自らを人間と同一化しているので、
僕の作る料理は当然己にも振舞われると信じて疑わない。

万が一、僕が彼女へ皿を出しそびれたりしたら、
躊躇なく左ストレートが飛んで来る。

「はいはい、メメの分もちゃんとあるから。」

そう言って僕は、アンチョビでなくかつおの猫缶を開けてやる。

彼女は刹那アンチョビに視線を投げかけたが、
眼前に差し出された皿をふいと引き寄せると、
「うま、うま」
と言って食べ始めた。

嗜好の幅が広くて有難いと、こういう時に感じる。

彼女の選り好みしそうでしない、
時々するこの穏やかな性格のお陰で、
僕たちは平穏に暮らせていた。

そう、僕の生活は平穏と言うリズムを刻む音楽だった。

幸せな事である、時折忘れてしまうのだけれど。

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