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人生の使い方

二度寝後の六時三分。

勢い良くがばりと起き上がる。

「やばい、水遣り!」

しかし、窓の外はしっとりと濡れた曇天。

ウッドデッキに放置されたサンダルは水溜まりになっている。

雨が降ったのは早朝のようだ。

ほっとするのも束の間、
中途になっている草刈りを思い出しバックガーデンへ。

地面より湧き上がる濃い草花の香り。

むっとするような湿度。

鎌片手にサトイモの傍らへやって来ると、
今にも畑へ侵食せんとする強大な蔦植物を根こそぎ断ち切る。

素手では太刀打ち出来たものでは無いので、
手鎌をあてがって引き切る。

バックガーデンのミズキには、
この山小屋へ移り住む以前より蔦が絡み付いて寄生している。

それはミズキに沿って巨木となり、
今や縦横無尽にその枝葉を伸展させている。

雨の上がるごと、
僕はその蔦を切って回るのだが、
完全にいたちごっこだ。

徐々に日は昇って行く。

フロントガーデンへは手を付ける事無く、
朝の畑時間は終わってしまった。

今日はまた夕方に用事を有するので、
残りの草刈りは明日以降になりそうだ。

そう思うと不図溜め息が零れてはっとする。

今、僕は何を思ったか。

残念だ、と思うより寧ろ安堵したのでは無いか。

今日は最早すべき作業が無いと分かって。

それに気が付くと暗澹たる心持になった。

この日常が負担になってしまえば、
僕は最早生きる道を失う。

それは死よりも恐ろしい事に思える。

それで、少し趣向を変えようと心を落ち着ける。

つまり、九月以降の冬に向けたガーデン改造計画を練るのだ。

実は、少し野菜の割合を減らし、
代わりにハーブや花の割合を増やそうと考えているのだ。

手の入れにくい場所へ花を配置する。

庭に可愛らしさがあればもう少し心も和むものだと思う。

それに、
手の入れにくい場所は時間ばかりかかり、
野菜も大きくならないので、
非効率である。

庭仕事は時間を要する。

人間活動は時間を要する。

人生はいかに生きた時間を確保するか。

ただの時間では無い、
生きた時間である必要がある。

そのお陰で充実した活動を遂行出来るのだから。

今日はまた雨がパラついて屋内活動がメインとなるので、
少しでも明日の、
一分先の、
自らの為となる時間を積み上げよう。

人生は有限である。

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