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リーダーシップの定義

以前も何度かリーダーというものについて記述したことがありますが、どうしてもリーダーというと「牽引」するものと思い込みがちな人を見かけます。

牽引するならするで、そうするからにはそれにふさわしい力量が求められるのですが、その力量を正しく身につけないままリーダーになってしまった人は後付けでも力量を身につける努力をすればまだなんとかなるのですが、残念なことにその努力が見受けられないままただただリーダーシップを発揮しようと猛進(妄信)する人が後を絶ちません。

特にリーダーは「チームを適切に、かつ効率よく機能させるためのメンバーに対して働きかける力」が求められます。働きかけ方にも色々ありますが、やはり一番使われているのは会話などによるコミュニケーションでしょう。

だからこそ「伝え方」ならぬ「伝わり方」にこだわれるリーダーがとても重要になってくるのです。

まず、リーダーシップにある3つの常識、

  • リーダーシップは組織においてトップのものである

  • リーダーシップはパーソナリティ(人間の持つ力)である

  • リーダーシップは対人影響力である

について自らを点検しなおしてみましょう。

リーダーシップとは、組織上のトップに限らず構成員すべてが「いま自分が何かをしなければならない」と考えたときに、みずからの旗を掲げ、周囲に働きかけていくことでなくてはなりません。

その旗がトップを含めた構成員に共有化され、組織全体を動かしたときに初めてその旗は「個人の旗」から「組織の旗」になります。

けしてリーダーシップにふさわしい地位や立場、肩書きがあるわけではありません。ましてやリーダーシップにふさわしいパーソナリティがあるわけではないのです。

でなければ持って生まれた才能のようなものでもない限り、だれも人を動かせません。

 「このままではいけない」
 「何とかしなくてはならない」

という思いが自分だけのものではないと確信し、それが組織全体のものとなりさえすれば「それこそがリーダーシップである」と考えるところからリーダーシップを詰めて行かなくては意味がありません。

そこに必要なのは確信です。

それはまず自分を動かすものでなくてはなりません。
そしてそれが周囲の人を動かすことにつながります。

リーダーシップは他人への影響力である前に、自分への影響力がなくてはなりません。「お前がやらなくて誰がやるのか」「自分がやるしかない」と自らを活動の当事者として動かせるものが自らの中になければ、他人も動きません。

自分1人すら動かせない程度の説得力しかないわけですから当然です。その証拠に、自分は一切動く気がないのに他人に口だけ指摘や指示する人には誰もついていこうとしません。

それが旗の意味であり、旗の実現効果であり、そこにイメージを共有できるということです。そのため、リーダーシップには新たな3つの常識が必要となります。

1. 周囲を巻き込める夢・理想の旗を掲げられること
2. 夢を実現できるプランニングを設計できること
3. 現実と夢とを秤にかけるクリティカルさがあること

ふわっと「こうすべきだ」といってるだけでは人はついてきません。
それが空想や単なる夢物語でも人はやはり乗ってきません。

夢と現実味をかね合わせて、絶えず実現性を点検していける精神こそが本当の意味で求められるリーダーシップです。そしてそれはパーソナリティでも地位でも権力でもなく、誰でも実装可能で、誰でも再現できるような"スキル"であることを意味しています。

だから、リーダーとリーダーシップは区別しなくてはなりません。

ある問題や課題、タスクを解決するために必要なスキルと考えた場合、リーダーという存在はあくまでも「役割」でしかなく、リーダーシップは自らが買って出るあるいは誰かの委託を受けてその解決に必要な周囲の人々を巻き込み、引っ張っていく「姿勢や行動」のことを指します。

しかし、残念ながら多くの人が"リーダー""リーダーシップ"に因果関係があるものと考えてしまいがちです。

 「リーダーシップを発揮できる人がリーダーだ」
 「リーダーなのだから、リーダーシップを発揮してもらわないと困る」

確かに理想はそうなのですが、"リーダーシップ"と言うスキルを持ち合わせていない人が"リーダー"という役割を任されることは決して珍しくないことも知っておかなくてはなりません。

リーダーシップが、企業のトップや役職の上位者にのみ求められているというのは勘違いです。職位が上のほうに行けば行くほどリーダーシップがない場合はそれが目立ち、下へ行けば行くほどリーダーシップがあればそれが目立つというだけです。

しかしそれは上に行けば行くほどリーダーシップを発揮しやすい条件と裁量を与えられているから、発揮できないことが目立っているだけです。

企業のトップにはトップの、組織の長には組織の長の、プロジェクトのリーダーにはリーダーに求められたリーダーシップが求められているのです。

リーダーシップはその人の役割遂行に応じて、必要な手段なのです。

裏を返せば、プロジェクトのリーダーでリーダーシップを発揮できない人が組織の長になってもリーダーシップを発揮できるわけがありませんし、組織の長となってリーダーシップを発揮できない人が企業のトップになってリーダーシップを発揮できるわけがありませんよね。

一般的に妄信されている常識とは異なり、リーダーシップはその人の役割遂行に必要な手段…道具に過ぎません。リーダーになれば勝手に身につくものではないのです。

そもそもリーダーシップには、

 役割としてのリーダーシップ(リーダーのリーダーシップ)
 個人としてのリーダーシップ(メンバーのリーダーシップ)

の二つがあって、立場が異ろうともいずれにも共通して言えることは、
その人が自分の役割を責任を持って達成しようとするとき、

 「自分の裁量内でやっている限り、その仕事は完結しない」

ということです。自分の裁量を超えて人に働きかけ、巻き込んででもそれを達成しなくてはならないときがどこかで必ずやってきます。

そのとき、実現した過程を『リーダーシップ』と呼んでいるに過ぎません。

必要なのは、

 自分は何をするためにそこにいるのか
 そのために何をしなくてはならないのか

を、自分の頭で考えられるかどうかです。

これを"仕事の旗"と呼びます。
 
このことは、リーダーやリーダーシップを発揮しなくてはならない立場になってから身につけようと思っても非常に困難です。

メンバーの立場のときから自ら考え続けていなくては、いざ「リーダーシップがあって当然」という立場になったとき、急に身につくことは決してありません。そうなってから自らにはリーダーシップがないことが目立つようになるだけです。


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