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失敗は成功のもと?

前回、少し触れましたが、

「失敗は成功のもと」あるいは「失敗は成功の母」と言う言葉がありますが、本当にそうでしょうか。

私は、これは「真理」ではないと思っています。

真理とは、命題と結論が常に一対になっているような状態だと仮定する…すなわち

 A=Bが"真"である時、B=Aもまた"真"である

とでなければならないものだと思うんです。ですが、この「失敗は成功のもと」という言葉は、言い換えれば

 「失敗すれば必ず成功に近づく」
 「失敗は必ず成功のための栄養分となる」

と言っているようにも読めます。本当でしょうか。

「失敗は成功のもと」の意味

ことわざの意味は上記のとおり。

なぜ失敗したのか原因を把握し、何が悪かったかを考え、改善することで成功に近づきます。逆に言えば、これを"しない"と失敗はただの失敗に終わり、成功のもとにはならず、なんの意味もなくなるということでもあるはずです。

「失敗は成功のもと」「失敗は成功の母」の同義語・類義語はたくさんあります。

• しくじるは稽古のため
• 七転び八起き
• 失敗は成功の母
• 失敗は成功を教える
• 禍を転じて福と為す

こんなにも多くの言葉があるのです。それほどに日本人は失敗するということを前向きに捉えているのです。いるはずなのです。います…よね?


常に失敗が成功のもととなるとは限らない

どんな失敗でも成功のもととなるわけではありません。

たとえば、次のような場合は、失敗はただの失敗となるか、よくても少しの経験しか得られず、成功するための重要な要素になることはないでしょう。

■失敗ありきで考える

「たぶん失敗するだろうけど、まあとりあえずやってみようか。」
この考え方自体は間違ってはいないと思います。無理難題に挑戦する際、"敢行"はとても必要なことですから。何かを始める時に、こういった考えを持って挑戦するということは非常に大事です。

しかし、始めた以降もこの考え方を持ち続けてしまってはいけません。

実際に失敗しても、「まあしょうがない」と済ましてしまっては意味がありません。そして反省もせず、何が悪かったかもわからないままで先に進んでしまいます。振り返りを行っていないからです。

これでは、失敗は成功のもとになりません。

■「失敗は成功のもと」を言い訳に使う

使いやすい言葉です。
失敗した時の、自分自身への言い訳に最適ですよね。

ただ、これを言い訳に使い、慰めに使うことができたとしても、次の成功につながることは絶対にありません。

「失敗は成功のもと」とは、成功した時に改めて振り返った時、失敗した経験がしっかり活きていたことを再認識する言葉です。失敗した時に、失敗したことの責任から逃れるために使っていい言葉ではありません。

 「大丈夫大丈夫、失敗は成功のもとっていうじゃない」

みたいな励まし方もあまり推奨できません。失敗した重みを実量として認識しないとそこから適切な反省を促し、成功へ導くことができないからです。

■運が悪かったと考える

失敗が、「偶然の出来事が起こってしまった」「運が悪かった」と片付けてしまってはダメです。そう考えてしまった時点で、もう絶対「成功のもと」になることはありません。

もちろん、本当にただただ運が悪かったためかもしれません。99%成功するはずなのに、たまたま1%が来てしまったのかもしれません。しかしたいていの場合、偶然"以外"の原因…因果関係があります。

もし、99%大丈夫な取り組みで、残りの1%を引き当ててしまったとしても、それはその可能性に対して、何も対策を講じなかったことが問題なのです。「たった1%なのに!?」と思うかもしれませんが、その1%を軽んじたからこそ、

と言った「可能性は低かったけど、実際に起こってしまえば致命的」な事故になってしまうのです。その1%が絶対に起きない保証なんてありませんよね?

起きる可能性が高いか低いかではなく、起きた時のインパクトが致命的になるかならないかで考えないと、真のリスク対策はできません。

可能性があるならば、そのリスクに対する対策をする必要があります。それを怠ったことが真因であって、運が悪かったことが原因となることはありません。仮に運がとてつもなく悪かったとしても、きちんと対策を取っていれば、「失敗は成功のもと」となりえるのです。

リスクに対する考え方が欠落している時点で、運などの外的要素に対する対抗手段を何も考えていなかったということです。それでは確度の高い成功をおさめることはできません。ただ、「運が悪かった」と考えていては何も得ることができません。


「失敗自体を、必ず成功のもと」とするには

ではどうすれば「失敗そのものを、成功のもととして活用」できるのでしょうか。原因を知り、反省するということは当然のことですが、もう少し具体的に考えてみましょう。

■成功を目標にして目指す

当然のことですが、どんな難しいことでも、どんなに無謀なことでも成功することを目指してください。そのために、しっかり計画をたて、成功への道筋を立て、方策を練ります。目標(ゴール)を定め、具体的に計画を立てると言うのは、言い換えれば学校の先生が、テスト問題を作ると同時に

 テストの答案用紙をあらかじめ作っておく

のと同じことです。実活動のなかでは、その答え通りになるように課題や問題を解いていきます。そうして初めて、最後の最後に『答え合わせ』ができるようになるのです。そうした中で活動するからこそ、失敗した時に、初めて何が足りなかったか、何が悪かったかということを知ることができます。

するべきことをしないで失敗した場合、何が悪かったのか具体的に反省できません。まずは、するべきことをして、そのうえで失敗するしかないのです。

■失敗は偶然ではない、偶然にしない

なぜ失敗したかという理由を考える際、「運が悪かった」、「偶然」、「相手のせい」といった、自分の力量ではどうしようもないような外的要因に原因があるものと考えるのはやめましょう。

どんな原因であっても、そうなる可能性があったのであれば、

「その可能性をゼロにする」(回避)
「その可能性をゼロに近づける」(低減)
「仮に起きたとしても、被害が最小限になるようにする」(低減)
「仮に起きたとしても、自分たちで対策しなくていいようにする」(移転)
「起きても速やかに対策できるよう準備しておく」(保有)

(ISO 31000 リスクマネジメント)

と言った手段は、自ら取っておくことができるはずです。そのための行動として何が足りなかったかを考えてください。

仏教には"因果応報"と言うコトバがあるように、結果には原因が常について回ります。

 何かが欠けていたせいで、起こってしまっただとか。
 リスクを考え、他の方法も準備しておかなければならなかっただとか。

次回やらなくてはならないことが必ずわかるはずです。仮に、本当に運が悪かったとしても、その運の悪いケースを想定した対策や準備を怠らなければ、次からは同じ問題が再発することはないわけです。

■失敗を恐れない

一度失敗したことについて、もう一回挑戦するという行為は、なかなか大変なことです。

たとえ、前回の失敗について、原因を把握し、しっかり反省したとしても、また失敗するかもしれないという考えがあなたの行動にブレーキをかけてしまうことでしょう。その中で勇気を持ち、挑戦することができるかは自分次第、勇気次第です。

一つ知っておいてもらいたいことは、しっかり原因追求/反省をすれば成功することはとても容易になっているということです。

本来は、勇気のあるなしではなく、しっかりと「過去からの反省」を準備に組み込んでおけば、少なくともまったく同じ失敗をしなくなることだけは保証されるわけですから、同じ失敗を恐れる必要性なんて、これっぽっちも存在しないはずです。

仮に未経験の取組みだとしても、しっかりとリスクを見つめなおして「事前準備」をしておけば、「リスクが顕在化しない」「顕在化する確率が圧倒的に減る」「顕在化しても被害が小さい」「顕在化しても早々に対処できる」と言った心構えになっているはずなので、こちらもさほど恐れる必要性がありません。

すなわち、ちゃんと次に活かす取り組みさえしていれば「失敗は成功のもと」になっているのです。

そもそも、まずは失敗してみないことには、「失敗は成功のもと」と言う言葉を口にすることもできません。まずは勇気をもって取り組むことが重要です。


効果的な「失敗」の使い道

私は、あえて失敗を効果的に使っています。

つまり、与えられた期限の中で、最短で"まず失敗してみる"ところから始めるということです。

世の中の多くは、失敗を嫌がり、恐れ、忌避して、与えられた時間をフル活用して、最大限の成功となるよう努力されますよね。そう、学生時代のテストとまったく同じ取り組み方法を選択されるかと思います。

ですが、以前も言いましたように、学生と社会人は違います。

何が違うか?

それは、

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ということです。意外とその事実に気付かないまま、学生時代と同じ進め方で仕事に従事されている方が多いように思います。

私は、与えられた期限…たとえばあるタスクを「1週間でやってくれ」と言われたとします。そうしたら、最初の30分くらいで、とりあえず頭の中で整理出来た分だけ、ササッと進めてしまって、あるいはササッと整理した図を描いて、依頼者のところに

「こうやって進めようと思っているんですけど、
 イメージあってるか確認してもらっていいですか?」

と聞きに行きます。私はこれを、個人的に「ゼロレビュー」と呼んでいます。

設計書や仕様書なら、「タイトル」「改訂履歴」「目次」「本文(1ページ分)」くらい作ったら持っていきます。

そして、早々にダメなところ等の指摘をもらい、後々の仕事に全て反映します。これは、依頼者の頭の中にあるイメージを『答え』として先に貰ってしまう、カンニングと同じです。

ですが、仕事では「期日までに満足できる成果を出す」ことが目的であって、「だれにも頼らず、手探りで個人能力を示す」ことが目的ではないため、どんなにカンニングをしても怒られません。むしろ、それで品質の高いアウトプットを短時間で済ませることができれば、褒めてもらうこともしばしばです(まぁ、やってることはカンニングなので、こんなことで「できる奴」「やるなぁ」「すげーなぁ」と言われても、素直に受け取りづらいのですが)。

ですから、私は依頼者や指示者が脳内で保管している『答え』をさっさとカンニングすることに最大限注力します。それが一番手戻りが少なく、一番早く結果を出せ、一番品質のいい成果となるからです。そのためにどれだけ指摘され、どれだけ失敗量が増えても、最終的な成功に結び付くのであれば、何も恐れはしません。

計画的に自ら得に行く"失敗"は、最終的な成功のための"意味ある過程(プロセス)"であるとわかっているからです。成功のもとにすると言うことは、そう言うことなのだと私は解釈しています。

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