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良い失敗と悪い失敗

まわりに与える影響の大小などを考慮するとひとつの失敗の原因はいくつもの要因が重なっており、それらの要因にはレイヤ(階層性)があります。

失敗の現れ方の階層性と同時に失敗原因にも同じような階層性があることを表しています。

ピラミッドの一番底辺にあるのは、日常的に繰り返されているごく小さな失敗の原因です。

「無知」
「不注意」
「不遵守」
「誤判断」
「検討不足」

という言葉がならんでいますが、手順ミスや思いちがいなどといった失敗者個人に責任があるものです。実際の失敗はひとつの要因だけで起こることはほとんどなく、いくつかの要因が複雑に絡みあって望ましくない形で現れることが大半です。

ほとんどの失敗は個人のミスをきっかけにして起こるものの、その背景にはもっと重大な問題が潜んでいることはめずらしくありません。

ピラミツドを上がるほど失敗は深刻になる

図の中間から上に向かって存在する失敗原因には、

「組織運営不良」
「企業経営不良」
「行政・政治の怠慢」

「社会システム不適合」
「未知への遭遇」

などがあります。

「未知への遭遇」が離れて置かれるのは、その現象に至る原因を誰も知らないために起こるものなので例外的に考える必要があるからです。

ピラミッドの底辺は個人の責任に帰すべきものですが、上へ行けば行くほど失敗原因は社会性を帯びたものになり、同時に失敗の規模/与える影響も大きくなります。

ここで注意するべきことは、

 レイヤの上にいる者は自分に責任が及ぶことを恐れて、
 失敗の責任を下の者に転嫁しがちだ

ということです。
責任者とはいかに名ばかりなのかよくわかります。だからこそ私は、責任者となった際にはその責任をまっとうすることに全力を注ぎたくなるわけですが(まぁそもそも与えられる役割・責任・権限のバランスが崩れていれば受けませんけどね)。

 

失敗を大きく分類すると「よい失敗」「悪い失敗」に分けることができます。

そして私たちが経験すべきはこのうちのよい失敗、別の言葉に言い換えるのであれば「必要な失敗」です。


よい失敗

よい失敗というのは、個人が成長する過程で必ず通らなければならない、あるいは体験しておいたほうが後々のためになるという失敗です。

人は失敗すると必ず「痛み」「悔しさ」「苦しさ」を感じます。

じつはこれが非常に大切なことで、これによって人は新しい知識を受け入れる素地を自分の中につくることができるのです。

たとえば勉強

みなさんは学生時代、問題集を解いたりしたことがありますか?

その時、一回も間違えることなく常に正解ばかりだったでしょうか。そんなことないですよね。本番のテストでは正答率が高くなっていたとしても、日々の勉強では何度も間違いを繰り返し、何度も解き方を反復して覚えていったり理解していったりしたはずです。

あの勉学の一つひとつの間違いもミニマムな失敗と考えてみてください。何度も何度もそうやって繰り返した結果、成功に結び付いたはずですよね。あれらは自らが成長するために必ず通らなければならなかったものではなかったでしょうか。

よい失敗は「個人にとっての未知」への遭遇。
すなわち失敗の初体験です。

人間の成長は、失敗なしには語ることはできません。

成長の影には必ず小さな失敗経験があり、これを繰り返しながら一つひとつの経験を知識として自分のものにしていきます。さらに小さな失敗が次の大きな失敗を起こさないための軌道修正の働きをし、さらには次の成功へと転化していきます。

もちろん「よい失敗」でも、失敗が人を巻き込む事故などの形で現れた場合、多くの人が、人生が、ひどい場合には会社が犠牲になります。

それでもあえて「よい失敗」に数えるのは、起こってしまった失敗から人々が学び、その経験を生かすことで「未知」なる知識の発掘に成功したからです。間違いなく次に活かせる失敗で、より体質を強化することができるからです。


悪い失敗

悪い失敗は、不注意や誤判断などの単純ミスが原因で何度も繰り返される失敗です。

よい失敗から何も学ばず、繰り返し同じような失敗を繰り返します。そこには既に得られる価値は何もありません。得られる時に得ようとしなかったのです。得られる時に得ようとしなかったその決断すら悪い失敗と言っていいでしょう。失敗に失敗を重ねてしまっているのです。

結果として、無意味に被害を大きくして自分やまわりに多大な迷惑をかけるのが常です。そのようなことを繰り返しているうちに、いたずらに失敗を重ねる悪癖を身につけることにもなりかねません。

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