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質問の仕方でわかること

「考える力」を養うことで重要となるのは「知識教」と「正解病」から脱却することです。

知識教とは、知識さえあれば、説明さえ上手ければ、学歴さえよければ、イコール「自分はすごい」「アイツはできる奴」と妄信してしまう人のことを言います。

正解病とは、とにかく誰かに意見を求める際に自分にとって都合のいい形で意見される…すなわち、努力も苦労もいらず短絡的に正解を欲しがる人のことを言います。

実際に「正解病」がどんな場面で出てくるのか具体的に考えてみましょう。

その一つが答えやアドバイスではなく「意見」を聞く姿勢を持つことです。
みなさんは普段の仕事の中で先輩や上司の話を聞く際、「アドバイス」ではなく「意見」を聞くのが「自分で考える」ための第一歩となります。

ここでいう「アドバイス」と「意見」という言葉の定義とともに簡単におさらいしておくと、アドバイスというのは「あなたはこうした方が良いですよ」という相手の行動にまで踏み込んだ具体的な発言で、意見というのは「自分はこう思いますよ」という個人の見解を述べたもので「相手はどうすべきか」は含んでいないものです。

ちなみに私の場合はこの「アドバイス」と「意見」の中間をイメージして発言するように普段から意識しています。

具体的な判断、行動、その結果までを仮定して話の筋を作りますが、それはあくまでも自分や架空の人物を例に当てはめたものであって、相手がどうすべきか、どうしたいかは、相手の判断に任せます。

「自分の頭で考える」というのは、意見を聞いた上でそこから自分がどうするかは自ら考えて具体化するということです。

それができない人が、昨今若手のみならずシニア層に至るまで徐々に広がっているようにも見受けられます。そして、そのような違いがビジネスなどの場面での「質問の仕方」に現れるということです。

「自分で考えていない」人の典型的な質問

質問の仕方や表現方法を観察しているとその人が「考えている人」か「考えていない人」かを簡単に見抜くことができます。

たとえば、皆さんは就活時代に以下のような質問をしたことがないでしょうか?

 「学生時代にはどんな本を読めば良いですか?」
 「どの会社がお勧めですか?」

これらが典型的な「アドバイスを求める」タイプの質問です。そのままマネしてしまえるような具体的な内容を求める質問になっています。これらの質問の背景には誰にもあてはまる会社という「正解」があるという前提があり、考える必要も、自分なりの答えを模索する必要もなく、ただ「正解を教えてください」という姿勢が根底にあります。

このような質問の仕方をする人はほぼ間違いなく"自分で考える姿勢がない人"と言って良いでしょう。

どんな本(や映画)が面白いかなんて「個人の判断基準によって変わる」に決まっています。その人の個人的な「意見」として聞く分には参考となることはあっても、自分が読むべき本かどうかは分かるわけがありません。

またどの会社が良いかも当然、「人によって異なる」に決まっています。ところが「正解病」に毒された人はとにかく「正解を教えてください」となるわけです。自分で答えを見出さず、相手に答えを求めるのは

 ・とにかく自分で考えなくていいから楽
 ・失敗しても他責にできる

ので居心地は良いかもしれません。ですが、そうやっておんぶに抱っこでもたれ掛かられる方は辟易しているかもしれません。

では「自分で考える人」はどのように質問するのでしょう。

たとえば先の2つの質問を「意見を聞く」型の質問に置き換えるとしたらどのように尋ねたら良いか、考えてみてください。

私ならば、以下のような聞き方をするでしょうか。

「◯◯さんが学生時代に読んで良かったと思う本は何ですか?
 またそれはどんなところが良かったですか?」

「△△さんがいま転職するとしたらどの会社を選びますか?
 またその理由は何ですか?」

こちらの方がより「意見を聞く」という聞き方になるのではないでしょうか。端的に言えば

 「(私は)どうすればいいでしょうか」がアドバイスを求める質問
 「(あなたは)どうでしたか」が意見を求める質問

ということです。
主語がどちらを向いているかが重要なポイントになります。


自分のアタマで考える練習をしよう

少し練習してみましょう。

次の「アドバイスをください」型の質問を、「意見をください」型の質問にするとしたらどのように表現を変えますか?

「仮想通貨は買っておいた方が良いですか?」
「将来どの資格が役に立ちますか?」
「何歳ぐらいで結婚するのが良いですか?」

このような質問をする場面は日常的に発生するものではないかと思いますので、日頃から意識してみてください。

以上から、「アドバイスはもらわずに意見をもらうようにしよう」という意味が理解できたのではないかと思います。日常生活において、このような2通りのどちらの人が多いか、いますぐにでも周りの人の人間観察に使ってみると面白いと思います。

人によって、あるいは場面によってはっきりと判別が可能なはずです。

そして、後者(意見)を聞こうとする人の方が、同期や同世代、同階層の人より、少し高く評価されているということはありませんか?

このような人間観察は「アドバイス(意見)される側」だけでなく「アドバイス(意見)する側」にも適用できますから、今後先輩(社員)や上司と話をするときにも観察してみてください。

実は上の世代の方がこのような思考停止型の人が多いことにも気づくことができると思います。あたかも答えが1つしか用意されていないかのように、やたら「アドバイスしたがる人」は思考停止型です。
たった1つの答えだけを軸にしてきたのでしょう。

それ以外に

 「もっといい方法があるかも知れない」
 「次代の変遷によって、現在はミスマッチかも知れない」

と言ったことなんて考えもつかないのかもしれません。そして、そんな人の言うことが常に正解であると思って「そのまま」行動すると長い目で見ると痛い目に遭うことになります。

逆に言うと、自分が「正解型」の思考回路の場合、「意見を述べる」型の先輩は少し頼りなく見えるかも知れません。「オレ(私)はこう思うよ」だけ言われても「では私はどうすれば良いんでしょうか?」と思ったら、そこがまさに思考回路の起動しどころと考えましょう。そこで「自分はどうすべきか?」と考えることが格好の思考力のトレーニングになるからです。

では、「アドバイス型」の先輩からのアドバイスにはどのように対処すれば良いのでしょう。

せっかくしてくれるアドバイスを(ある意味で「大きなお世話」なわけですが)、無碍に「私は私で考えますから」などと言って聞く耳を持たなければ、人間関係が壊れるだけでなく、貴重な成長の機会を失ってしまいます。

「アドバイス」されたときには、それを「文字通り」受け取る(What型思考)のではなく、その人の言っている「背景や理由」(Why)をくみ取った上で自分なりのアクションに「翻訳する」ことが重要なのです。

これをWhy型思考と言います。

ここでいう「翻訳」というのが「自ら考える」ことを意味しています。


Why 型思考になる

「1年間に100冊は本を読め」と言われたら単に「100冊読む」ことを目的にするのではなく、「なぜ?」多くの本を読む必要があるのかを考えて(たとえば、仕事の領域以外の知識の方が先の読めない時代には役に立つとか)、
それならさらに「年に一度は未知の国を訪問してみよう」といったような自分なりのアクションを追加してみることが、真の意図をくみ取る「Why型思考」で重要なことです。

このようなことを頭に入れて、何気ない質問をする時の「2通りの聞き方」を常に意識してみれば、これまでとは違った世界が見えてくるのではないかと思います。

常に「自分ならどうするか?」を考えること、そのためには安易にアドバイスを求めず、意見(とその理由)を聞いてからそれを自分なりにかみ砕くことが思考の習慣をつけていくことになるでしょう。

仮に求められたとしても、自分の正解を相手に押し付けないようにすること、そのためにはアドバイスとならないようにあくまでも参考事例やたとえ話にとどめ、まずは自分の意見を述べてから、それが相手の状況や抱える課題にマッチしているかどうか吟味することが自分にとっても相手にとっても思考を習慣化するために必要となるのではないでしょうか。

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