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成功して評価されるべき人とされるべきではない人、失敗して評価される人とされない人

世の中のみんながみんな、評価されたがっているわけではないかもしれませんが、多くの人には必ず「承認欲求」というものがあり、他人から認められたいという気持ちがあると言われています。

私は、私自身の考え方…というよりは考えをひねり出す方法が気に入っていて、普段から他人とは異なる価値観となっていても気にしないので、比較的そういった「他人から認められたい」と言う感情は薄い方ですが、やはりゼロではないと思います。

最近では自分が今まで培ってきた知識体系を、誰かに継承してしまいたいと言う想いも強くなりましたしね。

 成功すると評価は上がり、
 失敗すると評価は下がる

そんな一次元的なモノの見方でしか評価できない社会であれば、社会として、あるいは国として正しい成長は期待できません。確かに世の中の評価基準の一部にそういうものは必要です。しかし、それだけで世の中が成立してしまってはいけません。

成功の位置づけ

まずは成功の評価から見ていきましょう。
成功には大別して2種類あります。

1つは、「成功するべくして成功したもの」
もう1つは、「運よく成功したもの」です。

前者は、「実力」×「段取り」=「成功」となったものです。その実力の中に多少の運的な要素や、周囲の協力などが含まれてもいいでしょう。しかし本当に重要なのは、あらかじめ成功する図面が描けていて、その通りに成功させるだけの段取り(プロセス)があったからこそ、後付けで

 (口にしたことを、確かに実現できる)実力がある

と、その背景に実力があることを認められる点にあります。PMBOK的に言えば、

 先に計画によって結果を宣言して、
 計画通りに事を運び、計画通りに結果を出す人
 (状況にあわせて計画を変更したうえで、計画通りにすることも含みます)

こそが最も「実力のある人」と言うことになります。
上場企業に対して、投資家が何を最も信頼するか?と言うと、それは結果ではありません。結果だけしか見てなければ、実際に結果が出た頃には既に「買い」の機を逃しています。

株を「買う」時には、結果が出る前の企業の動向を知る必要があります。そしてそれは、結局のところ、その企業に対して影響力のある人間の行動です。影響力のある人間…すなわち、その人の言や行動から未来が予測できるということです。

それは、奇しくもきっかけが思い付きであったとしても、その後の行動から結果までが計画的である可能性が高い、と信頼されている証拠でもあります。

後者の人は、成果として評価はできても、実力としては評価できません。

 「運も実力のうち」

なんて言葉がありますが、あれは真実ではありません。なぜなら、毎回安定して運が助けてくれることはないからです。将来的に、安定した成功を約束するものではないからです。芸人で言えば、ただの一発屋です。能力の有無や高低ではなく、やる気や根性と言った精神面に依存しているかもしれません。ひとことで言えば「論理的根拠が提示できない」と言うことなのでしょう。


やらなければ一生できない

頭でっかちで、言ってることは正しいけれども、成功比率が低かったり、成功したりしなかったりを繰り返す人というのは、必ずこう言われています。

 「アイツ、やればできるんだけど」
 「本気出せばできるはずなんだけど」

とても残念な評価ですね。
評している人に悪気はないのでしょうが、

 「やればできる」=「やらなければ一生できない」
 「本気出せばできる」=「報酬に見合う分はさっさと出せよ」

と言っている…と言うことを、評した本人も自覚していないことでしょう。
すなわち一発屋で満足せず、継続して成果を出し続ける気概がなければ、その人は評価するに値しない…と言っているのです。期待値だけ込めても、その結果が伴わなければ、どんどん組織は劣化していくことになります。

一般的に、成功の前者(成功するべくして成功したもの)は昇格等によって、より大きな活躍の場を与え、

 ・より大きな成功を納めてもらう
 ・より広く成功のメソッドを組織に浸透してもらう

と言った効果を期待するのが良いのでしょう。

逆に後者(運よく成功したもの)の場合は、一時金…たとえば賞与などで一時的な成功に対する正当な報酬を与え、次回以降の成功に期待すると言った手段がとられます。

この時、誤って後者の成功者に対して昇格等を行ってしまうと、組織運営がただのギャンブルに成り下がってしまいます。次も安定して成功の賽が出るか、それとも失敗の賽が出るか、運に委ねるしかなくななるからです。

 「気を付けるように」
 「期待しています」

とは激励できますが、どれも今一つ具体性に欠ける激励しかかけられません。当然、その応答も

 「頑張ります」
 「努力します」

と言った根性論しか返ってこないことでしょう。


失敗の位置づけ

では失敗はと言うと、失敗にも大別すると2つの失敗があります。

1つは「検証するために失敗させるもの」
もう1つは「想定しない失敗をするもの」です。

要するに失敗を誰が(何が)誘導するのか、ということです。

プロジェクトとはその"独自性"のために、必ず不確定要素が伴います。ですから、研究職同様、失敗することまで想定して、極小の被害に留めて検証できるよう、計画的に失敗を積み重ねることが必要になります。

たとえば、みなさんの仕事に当てはめて1つ例を出しましょう。

「1つの文書(設計書等)を作成する」と言う仕事を与えられたとき、みなさんは、最後のページまで書き終えてから提出、またはチェックしますか?それとも、ほんの少し書いてみて、進め方に誤りがないことを確認しますか?

実は、たったこれだけのことで、中長期に見ると1人当たり数千万の工数に影響が出ます。おそらく20年分も計上すれば、1人当たりで2~3億くらい差が出るのではないでしょうか。

1ページ作成するのに0.5日かかったとして、20ページのチェックリストを作成しなければならないとします。当然、10人日(=0.5人月)かかるということです。

20ページ作ってレビューをお願いしたら、1割の2ページ分くらいの修正指摘が来たとしましょう。1ページで0.5日ですから、およそ1人日…つまり+10%の工数を追加で支払わなければなりません。単価60万の人であれば、それだけで3万円の損失です。

では皆さんは、毎回プロジェクトでどのくらいのページのドキュメントを書いていますか?「ドキュメントは面倒だからあまり作成しない」と言う人は、同じ感覚でプログラム作成に当てはめて考えてみてください。

1プロジェクトあたり、10%の修正工数を積み上げると、皆さんの単価で言えば、いったいいくらを費やしていることになるのでしょう。

平均単価を主任よりやや低めの80万前後と仮定した場合、約200営業日…10人月はたらくとして、それが500人近くいるとすると…?

およそ4.0億/年が無駄な失敗をしてかかる修正工数として消費されているという計算になります。

私なら、0.5ページあるいは1ページ作った時点で、真っ先にレビューしてくれそうな人に持っていきます。もちろん、今でもそうしています。そこで指摘、全部ではないでしょうが一見してわかるレベルの指摘はいただけるので、その後の19~19.5ページ分への反映が可能となり、修正工数も、1ページ分の工数の10%と言うのであれば、0.05人日以上支払わずに、残りの作業を進めることが理論上は可能となるわけです。

どうでしょう。新人からベテランまで、なにか1点でも技術的に困難な手法はありましたでしょうか?

こうして、小さいうちに失敗を検知して摘み取ると、大局的に見たプロジェクト運営に影響がない範囲で是正でき、結果として、大きな失敗に至らずに済む取組みとなるわけです。

もし、500人のエンジニア全員が同じ取り組みを進め、将来的に本当に品質を維持したまま修正工数を低減できていれば、修正のために費やした

 過剰残業を1/10に低減できて、
 年間4.0億のうち、およそ3.6億を利益還元できる

かも知れません。
これを私は "ための失敗" と呼んでいます。「予定通りの失敗」「計画的失敗」「させる失敗」と言ってもいいでしょう。

こうした失敗は、結果的に積み上げれば積み上げるほど、改善のために繰り返せば繰り返すほど、組織・信頼・実績は太く、大きなものとなり、結果的に企業に多大な利益"しか"生み出さない構造となっていきます。こうした失敗は、むしろ称賛され、評価されなければなりません。

逆に、後者の予定しない、予期しない失敗というものは、そもそも予定していないわけですから、現存するリソースを払い出して解決するしかありません。

その支払うべき資産が、「時間」であったり、「人」であったりすると、その分、他に転用できたはずの売上や利益に影響が出るため、大抵の場合、大問題と化します。プロジェクトレベルで言えば、トラブルの誕生です。

組織的大問題でなかったとしても、個人レベルでも

 ・上司や顧客に大目玉を食らう
 ・しょぼくれるくらい落ち込む

と言う事態に陥ります。そもそも、上司や顧客が起こるのは、「計画に無かったから」「予定通りに進まないから」です。計画的な失敗ではなかったから、計画的な失敗のうちに摘み取ろうとしなかったから怒っているのです。

大きな失敗にさせないための、計画的努力が無かったことに対して怒られているのだ、と言うことを、怒られる側は理解しておく必要があります。信賞必罰的な観点から見ても、こうした失敗は、怒られなければなりませんし、評価も落とされなければならなくなるでしょう。


計画的(狙ったよう)に成功/失敗できますか?

このように、成功も失敗も、本来は「計画的」でなければなりません。すなわち、マネジメントした結果としての成功や失敗でなければならない、と言うわけです。

計画的な行動であるからこそ信頼され、計画的な成功をおさめるからこそ信用されるのです。

私自身、このように色々書いていますし、他の人もたくさん教えてくださっている方はいると思います。しかし、何を言っても、無条件に「信用」も「信頼」もしてはいけません。絶対にです。参考程度にとどめてください。

その参考を引用するのであれば、計画的失敗を想定して改善活動に取り込んでください。

 「言われたからやる」

ではなく、

 「なんか言ってるけど、頭ごなしに否定するのもアレだから、
  ちょっと影響の少なそうなところで、試しにやってみるかな…
  上手くいかなければ、すぐに元に戻せるし」

 「上手くいくようなら、他にも反映させていこう」

くらいの構え方で十分です。そもそも、そうした取り組みこそがスモールスタートの神髄です。大きな失敗につなげないための、計画的手法の中で最も楽で、最も安易で、最もリスクが少ない手法かも知れません。

もちろん、私に対しても、私自身が実力を示さない限りは疑ってくれて構いません。結果を示していないうちから評価してもらおうとも思っていません。本当に評価されるべきは、

 計画的に成功することを目標とする人であり、
 計画的に成功するためにあえて計画的に小さな失敗を繰り返し、
 計画的に大きな成功に結び付ける人

でなければならないからです。

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