ポイントは「知りながら害をなすな」なんですよ
この言葉は20年近く前、私が初めて「上司」となったときに一番初めに自分に課した誓約です。もちろんプロジェクトマネージャーとしても意識的になりました。
誰もそんなこと教えてはくれませんでしたし、どの上司を見てもそこまで真摯に取り組んでいる人というのは見たことがありません。いえ、実際にはそうしていたのかもしれませんが、部下として体感したことはありませんでした。
以降、私の中で具体的にどのように取り組むか考えた結果、次のような姿勢を常に貫くようにしたんです。それが
自分の可能な範囲のなかで最大限取り組む
です。仮に依頼者やお客さまから求められた要求が私の最大限より下回っていても、私はパフォーマンスを最大限まで引き上げようとします。そのうえで、レビューなどの際に「不要だ」と言われた部分は削除するだけです。
不足して追加するのではなく、過剰だから削除するようにします。
もちろんそうすることで余計に時間をかけることはしません。時間的にも相手の要求よりも少しでも短くします。
とするのは日常茶飯事です。
当然、業務の優先度なども勘案しますが、できるだけ「最善を尽くす」姿勢はゆるめません。できるのに「やらない」という選択肢を極力持たないようにします。だってできるんですから。
そうした努力に相手が報いてくれるかどうかは関係ありません。
それがプロ意識(の1つ)だと私自身が考えているだけです。
この言葉にもあるように、他人と比較するなら相対的に相手よりほんのちょっと優れていればいいだけですから、ひょっとすると7~8割の力で上回ることはできるかもしれません。まぁ相手次第ですけど。
ですが、自分を相手にする場合、昨日までの自分が全力であったのならその全力を上回る力を発揮しなければなりません。そして、日々昨日までの自分を超えるつもりで努力しないと成長できるわけがないんです。だって、昨日と同じ力しか使わなかったら昨日と同じでいいわけですからそれより成長することないですもんね。
「最善を尽くす」
というのは他人がどうこうというのは一切関係なく、過去の自分を超えるための努力でもあるわけです。停滞しないことを覚悟する姿勢といってもいいでしょう。
ただ、そうした努力が常態化すると、なかには「アイツはそれが当たり前」だと勘違いしてしまって、そういう努力を継続する人に甘えるような考え方をする人が出てきます。対等の関係性を目指そうともせず、ただ甘い汁だけ吸いにくるだけの人のために延々と最善を尽くす義理は徐々に感じなくなってしまうので、気持ちが離れるのと同時に関係性も離れていくことになります。
ただただ一方的に吸い取り、ただただ一方的に奪うだけの存在ですから、関わるだけどんどん不幸になっていきます。「自分は不幸になってもいい」という人はそれでいいかもしれませんが、そのせいで家族や周囲まで不幸になることも覚悟しておきましょう。
とにもかくにも
「常に最善を尽くす」
という意識さえ日ごろから徹底していればそもそも逆のことを考える余地がありませんので、結果的に「知りながら害をなす」ような発想になりません。また、常に安定して同じ方針で進めておくというのは習慣化されていて、都度変更しなければならないストレスもないので気分的にも楽です。
そんな私ですので、居心地がいいと感じる職場環境は
①最善を尽くすことが非難されない風土
②そうした他人の努力に甘えない風土
③最善を尽くすための足枷を作らない努力
④最善を尽くす相手に敬意を払いあう文化
⑤努力の結果にはきちんと報いる環境
などが整っている職場…と言えるかもしれません。
残念ながら共感していただける「人」というのは少なく、ついてこれる上司や企業というものはまだ見たことがありませんが。
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