事業の定義の陳腐化は進行性の病である。しかも命にかかわる病である。
「組織」というとすぐに思い浮かぶのは「=企業」ですが、実際には企業だけでなく部であっても課であっても、もちろんチームであっても、あらゆる組織が成功するためには自らの事業や活動に対して、明確で具体的な定義を持たなければなりません。
「頑張る」
「しっかり働く」
「お客さまのために」
といった抽象的な定義も大事でしょうが、それだけでは事業や活動として安定した質を維持することはできません。結局のところ、一人ひとりの行動の積みかさねや組み合わせが事業を成していくのですから当然といえば当然です。
これはその組織をあずかるトップマネジメントの最大の責任と言ってもいいでしょう。
部なら"部長"、課なら"課長"、プロジェクトなら"プロジェクトマネージャー"がその組織のトップマネジメントになります。必ずしも経営者だけの役割ではありません。
事業の定義は3つの部分から成ります。
それは、
環境、使命、強み
です。自らを取り巻く市場、顧客、技術などの経営環境であり、自らが使命とするものであり、自らが強みとすべきものとなります。
いかなる環境のもとに、いかなる使命を、いかなる強みのもとに追求するか。
ドラッカーによれば、この事業の定義が有効であるためには条件が4つあります。
さて、みなさんの周りではどうでしょうか。
事業の定義のなかには、時として長く生き続けるきわめて強力なもの、未来永劫不変であるかのようなものがあります。たとえば、企業レベルだとなかなか変わりにくいのは「行動指針」「企業方針」「経営理念」でしょうか。
時代や市場の変化が起きているにもかかわらず、企業のあり方が全く変化しようとしていない…という例はよくあると思います。もちろん時代や市場が変化しても困らない程度のあたりさわりのない行動指針や企業方針にしている…ということもあるのかもしれませんが、そうなっている場合は企業としてのカラー(特性)がないということでもあり、そもそも実効性を持たないものとなっているのではないでしょうか。
たとえば「社員に信頼される誠実な企業」を理念に掲げているとしましょう。
では、その企業では全社員が企業のあり方や方針に対して全幅の信頼を置いているでしょうか。どんな企業であっても毎年何名かは離職者が出ると思いますが、そういった離職者は皆ポジティブな理由で離職しているのでしょうか。まだオーナー社長が在籍していて目端の行き届く小さな企業であればそういった企業もあるかもしれませんが、さすがに100人を超えはじめ、複数拠点なんて持つようになってしまった企業では難しいのではないでしょうか。
人のつくるものに永遠のものというのは原則ありません。
いかなる事業の定義といってもやがては必ず陳腐化(=形骸化)していきます。
たとえば何年か前に自動車業界が「100年に1度の大変革」と言っていたのも既存技術や既存のビジネスモデルが陳腐化した結果です。
特にIT業界はその陳腐化のスピードが他の業界よりも早いと言われています。
AIやIoTの波が押し寄せているのもその1つでしょう。私たちエンジニアの目線から言えばローコード開発やノーコード開発だけで事業が成り立つ領域が増え始めているのも既存技術の陳腐化が始まっていることの証左です。
私の周りにも陳腐化しているものはたくさんあって、日々辟易しています。
前職の時はQMSやISMSなどの運営や改訂なども行っていましたが、既存のルールや手順があまりにもダメダメすぎるうえに、トップマネジメントを含むマネジメント上位層の理解があまりに乏しくてほぼ100%形骸化しているというような状況でした。ただただ審査をクリアして資格取得さえしていればいい…といった姿勢だったんですね。
結局、形骸化や陳腐化を引き起こすのは「人」ということです。
人にそうさせてしまう「判断の自由」を与えてしまうことで、自らの使命を軽視した一部の人たちによって形骸化や陳腐化することを許容してしまっているわけで、しかもそうした人たちが上層部だったりすると誰も指摘や叱責をすることもかないませんから、防ぐ方法もなかなか講じることができません。
しかし、予防策はあります。
一つは、あらゆる製品、方法、チャネルについて、今行っていなければ「あらためて手をつけるか」を常時自問していくことです。もう一つは、顧客ならざる者、すなわちノンカスタマーを常時モニタリングしていくことです。変化は知らないところで始まるからです。
本来、企業はその組織の自浄作用を機能させるために内部監査という仕組みを持っています。
健全な組織足らんとする企業では、そもそも現場を100%信用しません。人のすることですからごまかしたり、ズルをすることだってあります。すべての人が聖人君子のように生きているわけではありません。常に未熟な存在です。
ですが「人」はそうであっても「法人」までが同じであっては困ります。
社会や投資家などは「法人」に対して常に健全であり、全幅の信頼を寄せられる存在であることを求めています。そのために、組織内における自浄機能を有しているかいないかはとても重要な意味を持ってきます。
ただ内部監査組織は会計や組織ごとの役割に対してチェックするくらいが精一杯で、たとえばプロジェクトやタスク単位では確認することができませんから、各組織ごとに文化を醸成させていく必要があることを忘れないようにしましょう。
しかし、幸い陳腐化にも時節があり類型があります。
まず、はっきりわかっているのは
使命を達したとき
です。たとえば、電話事業者にとっての事業の定義は「固定電話が全国に普及したとき」に陳腐化しました。
次に、
短期間に2倍、3倍へと急速に成長したとき
です。そんな場合には事業の定義を超えて大きくなっているはずです。拡大前の事業の定義をそのまま設定しようとしても、市場も、組織も、弊害や軋轢があってまともに機能できません。
そして最後に、
予期せぬ成功が起こるとき
と
予期せぬ失敗に見舞われるようになったとき
です。成功した時も注意が必要になる点は、おそらく経営層にはわかりづらいかもしれません。成功し、収益に貢献できさえすればOKと考えがちだからです。
ついつい失敗にばかり目を奪われがちですが、しかし実際には「計画的に進められない」ということそのものが問題なのです。計画的に進められない…つまり綿密な計画が立てられるほどに方法論や手順が確立されている場合、その既存の方法論や手順通りに進めることを想定して計画を立てると計画的に進められない状況が訪れやすいことが証明されているということです。つまり、既存の方法論や手順が陳腐化されているということにほかなりません。
自分たちを監視する仕組みや組織というものを心理的にも忌避したくなる気持ちはよくわかります。しかし、人間は楽をしたがる生き物ですし、必ずしも性善説だけで成立するほど社会は成熟していません。こうした陳腐化、形骸化を放置しておくということは、本当に取り返しがつかないほどの致命的な問題に発展しかねないということを忘れないようにしましょう。
実は、一時期に世間を賑わせた「不正データ」「品質不正」なども、そうした陳腐化の先に起きています。
不正が起きるのは
不正が許容されるほど業務の仕組みがザルである
ザルなままで良しとするほど組織が陳腐化している不正をチェックする仕組みや自浄作用が陳腐化している
不正を許容しない文化を醸成しようとしない経営層が陳腐化している
ことが原因です。
このことからもわかるように、
「保守的」であること
「革新的」であることを放棄すること
は、組織を死へと進行させかねません。
先ほど言いましたように、特にIT事業とは歴史の浅い技術やスキルを多用します。
刻一刻と時代の移り変わりとともに技術もビジネスモデルも変化していくにも関わらず、事業の定義がいつまで経っても進歩しないのは大きなリスクを伴います。
これは個人でも同様のことが言えます。
30歳を超え、40歳を過ぎるとだんだんと新しい習熟を避け、安定志向に移る人が少なくありません。今までの「やり方」を変えたくなくなってしまって、イノベーションを起こす気概を失う人も増えることでしょう。
しかし、そう言った年配者がエスカレーター式に組織の中核を担ってしまうと、組織そのものを革新することが非常に困難になってしまいます。一時は一世を風靡した大企業であっても、ある時代を境に衰退していく裏にはこうした背景があるためです。
収益以外の点に目端を配れないトップマネジメントで組織を満たしてしまえばこうなる…ということは心の片隅にとどめておくといいかもしれません。
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