メンバーを怖がらせるリーダーシップはかっこ悪い
─────そんな上司や上の立場の人の下で働いたことがある人も多いと思います。私自身は記憶にありませんが、しかしそういう人を傍から見る機会は幾度かあったように思います。
たとえば顧客先で常駐する際に、お客さま側の担当者がそんな人だった…私も経験があります。まぁ論理的に跳ね除けましたけど。
では、自分自身はそうなっていないでしょうか。
部下やメンバーあるいは外注で来られている方々に過度なプレッシャーを与えるとやる気を削ぎ、成果が上がるどころか生産性の低下につながることがあります。叱る時はしっかり叱る必要がありますが、無駄に威圧的だったり感情的にふるまったりするのは正しい上司のあり方ではありません。
「部下に対しては威圧的なのに、立場が上の人や顧客には愛想を振りまく」そんな上司の下で働き、悲惨な経験をしたことがある…と言うのはよくあるパワハラやセクハラなどハラスメント系の話の中ではテッパンです。
ですが、自分自身も同じようなことをしていないか、を客観的に認識するのは難しいものです。
自分では仕事振りに満足し、部下にコンフォートゾーン(快適な空間)を超えてプレッシャーを与えることで成果を上げていると思っているのかもしれませんが、部下があなたを恐れて仕事をしているとしたら、どうでしょう。
なにかしら問題が起きると
「そんなつもりはなかった」
「このくらいはやってくれると信じていた」
といった非常に主観的で、第三者が聞いても何も共感できない言い訳をする人が後を絶ちません。被害を受ける当人の状況も気持ちも、考え方さえも無視して勝手に上司の思い込みだけで部下を追い詰めている可能性さえあるのです。
こうした"思い込み"によってメンバーを怖がらせている人は、意外と世の中『多い』と言うことがわかっています。
そもそも上司…と言う立場になると、上司自身が稼いでくると言うのは稀です。
課長職あたりは、直前までの立場が忘れられずプレイングマネージャーとして割り切っている方がいらっしゃるかもしれませんが、そういう組織ではまともなサポートを受けられずに疲弊してしまっているメンバーもいるかもしれませんね。
また、それ以外の管理職の方々は間接的に受注・売上・利益に貢献していても、直接稼いでくるわけではありません。直接稼ぐのはいつの時代も非管理職の部下の方々です。
ですから、部下が上司のマネジメントをどう感じているかは、業績に影響を及ぼすのは言うまでもありません。
2018年のある調査によれば、プレッシャーを与えるマネジメントの場合に従業員が離職する割合は予想値を90%超上回ったことがわかっています。一方、士気を鼓舞するマネジメントの場合には予想された離職率を約68%下回っていました。
また、別の研究によれば、有害な上司を持つ従業員は同僚やリーダーに対する報復といった非生産的な行為に携わることが多いということも統計的に判っています。
こういう事態にならなくていいようにするためには、そもそもプレッシャブル(プレッシャーをかけたがる)な上司を任命しないことが重要ですが、それと同時に部下が不要な恐怖を経験せずに済むための努力も欠かしてはならないことがおのずとわかることでしょう。
「部下が自分を恐れている」と考える
部下に「自分のせいで神経質になっていないか」と尋ねたとしても、人事権を含む権力の差を考えればおそらく本音は出てこないでしょう。
よほど普段から腹を割って話せる関係性が無ければ、まず無理です。
自分がさまざまな状況で、どのように振舞っているかを考えてみてください。
顧客に対するのと同じように、丁寧に部下と接しているでしょうか。
それとも部下を軽んじていないでしょうか。
不満を表すときに、自分の口調や決まり文句を出しすぎていないでしょうか。
自分の行為に目を向けるだけでなく、部下の行為も観察してみましょう。
近くにいても目を合わせるのを避けたり、目が合っても逸らしたりしないでしょうか。
部下が何かを我慢し、自ら反対意見を出さないようにしている様子はないでしょうか。
もしそんな空気を作っているようだとしたら、黄信号を超えてすでに赤信号です。
カルチャーについて自由回答式の質問を投げかける
部下が自分のチームや所属する組織をどのように見なし、仕事についてどのように感じているかについて、幅広く意見を募ってみましょう。
過去半年から1年間で、
「自分の考えを表明できないと感じたとき」
「逆に表明できると感じられたとき」
のことを教えてほしいと部下に頼んでみてください。
部下がそのように
感じた「かどうか」
ではなく、
感じた「とき」
を尋ねることで彼らが「感じたことはない」と答えて経験を分かち合う機会を諦めてしまうのではなく、記憶を遡って自分が経験したことを思い出すように促すことができます。
自分の恐れを他の人に投影していないか確認する
多くのリーダーが失敗を恐れるみずからの気持ちに対処するために自分自身と周囲を追い込み、同じ恐れをチームにも植えつけているものです。
あるグローバルなフォーチュン100企業では、働くスタッフはミスをしないよう神経を尖らせていました。部下の仕事を事細かに矯正する彼は自分を完璧主義者と見なし、それを誇りとしていました。
しかし、そういった上司やそういった上司を活用してきた経営者の多くは後に後悔することになります。自分の時間を戦略面の検討に割り当てたり、部下に権限を与えて戦術面での対応を任せたりするのではなく、ただただ完璧を目指そうとするあまりにマイクロマネジメントを続けるからです。
マイクロマネジメントは得てして視野を狭め、管理職としての見渡す領域を狭めます。
10の仕事を見なければならないのに2~3の仕事しか見れず、その2~3の仕事だけ完璧に仕上げ、多くの売上/利益に貢献したところで7~8の仕事で多くの失敗をしていては求められた命題を達成したとは言いません。
自分の「つながり」と「矯正」の比率を変える
「矯正する(correct)」のではなく「つながる(connect)」エグゼクティブは、職場にある恐れの気持ちを取り除くとても有効な手段です。
なんでもかんでも自分流に"矯正する"のは組織ではありません。それは軍隊です。大筋のフレームワーク(ルールや手順等)は統一する必要がありますが、細かい進め方は個々人ごとの最もやりやすい方法で構わないはずです。
代わりに"つながる"ことを優先するによって有意義な対話を持ち込み、成功の定義をともにつくり出し、共有する手助けをしてくれます。
「人の仕事を矯正する」と言う悪いを癖持っている人は、そのことを改善するのに長い時間はかかりません。部下を矯正したい気持ちに駆られるたびに、「部下とつながろう」とするための課題管理を行ってください。みずから判断を下すのを止めて、今後のやり方の話し合いに部下を招き入れることで多くの解決が促されることに気付くはずです。
たとえば、
と建設的に解決できる場を作り上げることも可能になります。
自分の弱さを見せる
安心できる雰囲気をつくり出すマネージャーは、部下の意見との相違や自らの至らない点に対する指摘を歓迎し、チームのコミットメントを高めるために時として自分の力を抑制するものです。
上司と部下と言う関係において、上司が何かしら部下よりも優れていたり、実績をあげていたりするのは当然です。上司が部下よりも能力が低く、判断力や決断力がなく、しかも実績が少ないというのでは既に組織マネジメントとして破綻している状況です。よほど後ろ暗いことでもない限りはそうなることはないでしょう。
ですから上司が常にトップスピードで部下を引きずり回そうとすると、必ず組織に弊害が発生します。上司は部下のスペックを正確に把握し、部下のついてこれるスピードにある程度あわせてギアをコントロールしなくてはなりません。
しかし、そのためには「強さ」ではなく「弱さ」が必要です。
「間違っている」と部下から指摘されることを、陳腐なプライドにまかせて、苛立ちや自己防衛の姿勢を見せずに認めたことがあったかどうか考えてみましょう。
これまでに認めようとしてこなかったのであれば、それ自体が上司としての能力の限界であり、部下の指摘を認める改善を検討すべきです。
上司と言えども、完璧な存在ではありません。
多くの失敗の上に、今の座があるはずです。
全ての技量において、部下よりも優れている上司…と言うのは殆どいないはずです。
そのことを認め、部下からの意見を客観視し、必要に応じて取り入れる姿勢を持たなければ、「上司と部下」の関係において確固たる信頼を構築することは難しいと言えます。
とは言え、それが自分を弱く見せるのではないかと心配しすぎる必要はありません。
「しくじり効果」を思い起こしてみてください。
一般に有能な人ほどミスをするとより魅力的に見えるという効果のことです。研究によれば、好ましさは成功を収めるリーダーとして見られるための必須条件だといわれています。
上司の中にはアグレッシブでいることが成果を上げるための唯一の方法だと信じている人もいるでしょうし、そのようなアプローチが奏功する場合もあるのは確かです(たとえばトラブルが発生した場合の対処等)。
ですが、基本的に部下の"気持ち"を認識しないままマネジメントしていれば、マネージャーは重要な人材を失って職場にさらなる機能不全を招きかねず、ひいては生産性を低下させることにつながりかねません。
部下があなたのマネジメントをどうとらえているか理解を深めれば、部下をプレッシャーで追い込んだ結果、離職にまで追い込むような行動をせずに済むわけです。
私は、
納得を引き出すために、過去の経験に則った成功体験や自慢話をし、
理解と同意を引き出すために、過去の経験に則った失敗談を話す
と言うことを昔からよくやります。
成功事例や自慢話と言うのはやりすぎると鼻につきますが、「確かに成功した」と言うのであれば、話の内容に信憑性が出てくるものです。逆に、恐怖感や焦燥感を持ってもらい失敗するとどのくらい大変な目に合うのかは、過去の失敗談や失敗事例に巻き込まれた際の実体験が効果的です。
私自身も今でこそ大きな失敗をしないようになりましたが、若い頃は数え切れないほど失敗をしたものです。個人的に『大きな失敗』と言えるものに、リーダーとして自らの判断と行動によってプロジェクトにマイナスをだしてしまったことが挙げられます。
25歳で1回、30歳で1回。
それぞれ異なる会社に所属していた際に起こしたものですが、少なくとも私の中では「自分のせいで」引き起こした一生拭えない失敗であり、トラウマです。思い出すだけでもいまだにちょっと嫌な気分になるほどです。
当時の失敗を今思い返すと、「ちょっとした判断の誤り」や「事前調査不足」「情報連携の狭さ」「記録保持の不備」などが原因でしたが、以来何をするにしても
「大きな失敗をする前に、小さな"試作"/"叩き台"等を作り、
あらかじめ合意形成を図って、小さな失敗のうちに改善できるように立ち回る」
「できるだけステークホルダーの輪が広く持って、情報の共有・連携を行い
一部の人しか知らない…といった状況を回避する」
という癖がつくようになりました。
これは、しっかりと反省し、次に活かした証とも言えます。プロトタイピングモデルのような進め方とも言えますし、昨今の言い方で言えば、「スモールスタート」と言う表現でもいいでしょう。
もちろんこれらの進め方にはデメリットもあって、わざわざ本作だけでなく試作も作るため、その分工数もかかりますから、
"スケジュールが間延びする"
"コスト高になりやすい"
という課題にもなりかねないため、あわせて「一つひとつの作業を効率化する」こともあわせて訓練しました。2倍のスピードにすれば、2回作ってもスケジュールは守れると言うことです。
そのために「習得するべきこと」「記憶するべきこと」「身体に馴染ませるべきこと」色々試しました。環境は刻一刻と変わるので、そういった努力は今でも欠かしません。
今では判断にしても、作業にしても、ニーズを含む必要な情報さえそろっていれば、たいていの活動において、誰よりも早く仕上げる自信があります。70点狙いで始め、期限までに100点に持っていく進め方は今や私の中でデファクトスタンダードです。
こうして"ほぼ失敗しない自分"を作り上げはしましたが、私自身、企業や組織からまともに教育を受けたことは一度もありませんし、誰か優秀な方に師事したこともありませんでしたので、すべてが独学だった分、それができるようになったのは30代中盤になってからでした。
みなさんはどうですか。
過去の思い出したくもない失敗を鮮明に思い出せますか?
そしてそれをつぶさに他人に説明してあげられますか?
そうやって振り返ることで初心を忘れず、努力が継続できるものですので、定期的に思い起こす癖をつけておくと良いでしょう。それが今の自分を育んだと言うプライド(誇り)を持てるようになります。
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