メンタルは強くするのではなく、ブレなくする
あー、台風嫌です。
パっと目を閉じて、パパっと目を見開いたらもう台風過ぎてた。
…なーんてならないですかね。
そう思って今日4~5回やってみましたけど、ダメでした。
ラノベやマンガにありそうな軌跡は起きませんでした。
さて、自分にとって都合の悪いことが起きるとネガティブな感情が生まれ、都合のいいことが起きるとポジティブな感情が生まれる…と言うのは大抵誰でも同じだと思います。
しかし、喜怒哀楽も落差が激しすぎると時にそのブレ幅の大きさに心や体が耐えられず、だから精神疾患が起きているのではないかな?と私は考えるわけです。
もちろん、専門的に学んだわけでも、そういうサイトを調べたわけでもないのでただの持論ですが。
「メンタルが強い、または弱い」
と言うのは、それこそ人が生まれ、そして生活してきた中で構築されたモノであり、「三つ子の魂、百まで」という言葉にもあるように、一度確立されてしまった精神性を一朝一夕で変化させることは困難です(できるとしたら相当なショック療法くらいでしょうか?)。…ですよね?
しかし、「身体」と「心」と「頭」は常に互いに影響を与え合い、依存しあっています。
「病は気から」
と言う言葉にもあるように、心の持ち方ひとつで体調にも変化が現れ、考え方ひとつ、行動ひとつで心に思わぬ影響を与えることも可能ではないでしょうか。
たとえば、ここまでの説明だけを聞いて
「そんな簡単に出来たら苦労はしない」
「いや、そんなの無理だから」
と頭で考えた時点で心が動くことを止めてしまうため、重い腰は重いままで動くことを拒み、行動に変換することもなく結果何も変わらなくなるのもまた、頭(考え)が心(気持ち)や身体(行動)に影響を与えることの証左でもあると思います。
けれどもそれがわかったからと言って、ただ漫然と日々を過ごしているといざ感情が大きく揺さぶられるような、しかもマイナス方向に大きく揺さぶられるような事象があった場合にそのまま心が耐えきれず、体にも多くの支障をきたしてしまうことにもなりかねません。
以前書いたように私は、現在であれば10回や20回は自殺か過労死しててもおかしくない環境で仕事をしていた時代がありました。
病院で「1ヶ月入院!」と診断されてもなんとか説得して自宅療養にさせてもらう…と言うことにして、現場で半徹夜状態で仕事していたと言うこともあります。
でも、不思議とうつ病になるとか、統合失調症になるとかそういうことは全くありません。いや、厳密には「そんなことない、はず」と思って診察を受けたことがないのでたまたま気づかなかっただけかもしれません。
日頃から、ネガティブ?慎重?に考えすぎる性格でとても楽観的とは程遠いはずなのに、それでも心が折れてしまうようなことは一度も無く、良くも悪くも未だに普通っぽい人生は送れています。
ここからは推論ですが、自分自身を分析するにあたって、いくつか分かったことがあります。そこから導き出した答えは
と言うものです。
実は、色々調べてみて論理的に解き明かすと非常に理にかなったことではあるのですが、そのことが精神医学上正しいことなのかどうかは知りません。私はたまたまそういう性質だったのでしょう。
たとえば、「成功したとき」「幸せを感じたとき」「褒められたとき」「アガってるとき」等、一般的にプラスの感情に紐づきそうな結果を出したとき、みなさんの心の状態はどうなっていますでしょうか。
具体的にはネガティブになっていますか?
おそらくは、十中八九なっていないことでしょう。
しかし、もともとそういったプラスの結果になるまでの過程はまだその段階にないため、褒められるために、成功するために、幸せをかみしめたいがために、慎重に、失敗しないように、実にネガティブに行動することが多いと思います。楽観的なままだと様々な見落としによって失敗する可能性が高くなるからです。
ですが、目的を達成し、成功や幸福を感じた後はどうでしょう。
潜在的にはその状態がずっと維持できればいいなと思っておきながらもネガティブな慎重さを放棄してしまっていたら、短い幸せで終わってしまわないでしょうか。
そのことを一言で表した言葉が
「勝って兜の緒を締めよ」
です。
残心とも言いますが、自分にとって都合のいい状況の時ほど油断します。そうすると幸せをかみしめていられる時間は儚くなる可能性がある、あるいは可能性が出てくると言うことです。
ですから私は、本当の意味で成功や幸福を"継続"したいのであれば、成功や幸福になった時こそ現状の気が緩んだ自分を否定的に、且つ疑ってかかり、常にその状態を維持するために気を抜かない慎重さが求められるのだと考えています。
逆に失敗したり、怒られたりした際に、自信を喪失したり、自身を卑下したりと、ネガティブになってしまうとどうでしょう。ネガティブにも色々ありますが、過度な自責をしてしまってとことん自分を追い詰めるようでは元も子もありません。
ネガティブも行き過ぎると、建設的な反省をすることにはつながりません。
状況や環境、または他人や自身を一方的に責めるだけに終始します。当然、最もメンタルが低空飛行となっているその状況から抜け出すことができません。
怒りなどのストレスによって鬱や統合失調になってしまうケースはともかく、自信喪失などによって発症する鬱や統合失調は、この負のスパイラルにつかまったまま継続し、心の変化が体調の変化とリンクして起こるのではないかと考えています。
であれば、まずは空元気でかまいませんので、
「人間なんて完璧な生き物じゃないんだから、
失敗なんてしょうがない!次、次!」
と声を大にして、できるだけ勢いよく口にしてみましょう。
つまり、逆にポジティブに考えると言うことです。
そもそも、時間は決して巻き戻せないのですから、過去のことを無かったことにはできません。グチグチ悩んでたって、前には進めないのです。できることは、反省し、次に活かすことだけです。それだけしかないのです。
事実、私は多くの炎上したシステム開発現場を渡り歩いて、怒髪天のユーザーを相手に誰かの起こしたミスや問題を持って説明しに行くとき、考えることは「いかにして速やかに解決してしまうか」だけでした。
それがいち早くユーザーの怒りを鎮めることを知っているからです。いちいち、巻き戻せない過去のことをネチネチとほじくり返すようなことはしません。時間の無駄だからです。
そうした経験からか、「落ち込む」「悩む」と言った行動や精神状態が、非生産的で一歩も前進しない状態と言うことを嫌と言うほど理解しています。
だからこそ、その状態を作り出したり、維持したりするような、時間的に勿体ないことはしません。ゆえに、空元気なのです。
人間って意外と面白いもので、言葉にしてみるとどことなく胸のつかえがとれたりするものです。暗示かもしれません。
もちろん、怒っている上司やユーザーの目の前でいうと火に油を注ぐだけなので、家族や友達など、笑って済ませる人たちの前で言葉にしてみましょう。
「言葉にする」
と言うのは不思議なもので、負のスパイラルに落ちたメンタルも、よほどこじらせていなければ大抵が本当にそんな気になってくるものです。
一度でダメなら、何度か試してみてください。
同僚や仲間の前で演じてみるのもいいでしょう。頭の中で「やっちゃったものはしょうがない。時間は巻き戻らない。落ち込むな。次だ、次。次はどうする?次も同じだと耐えられない。次は失敗したくない。何が原因だった?それさえなければ成功したか?」と言ったことをぐるぐると考えてみてください。
反省…つまり振り返りは「たら・れば」で十分です。そうすれば成功したのであれば、次からそうするだけです。できるだけ具体的に成功するイメージを固めてください。次に成功する準備にもなります。
「心」がつらくても、まずはコントロールしやすい「頭」を動かすのです。
一週間も同じように繰り返していると、自分自身すら騙せるくらい思い込むようになります。
そうして、一旦浮上してきたメンタルを自覚出来たら、すぐに建設的な反省につなげましょう。
この間隔が短くなるほど慣れてきたら、自己改善や自己改革(セルフ・イノベーション)等にも応用できるようになります。
成功した時ほど、用心してネガティブに。
失敗した時ほど、切り替えて次に活かすためにポジティブに。
技術的には何も難しいことではありません。
重い腰をあげることができれば、小学生だってできる簡単なことです。
たったそれだけで、メンタルの浮き沈みが激しくブレることのない安定した精神力を身につけ、且つどんな時でも慎重さを忘れない姿勢は、上司やユーザー等の信頼をつかみやすくなるでしょう。
気持ちが落ち込みそうなときは、無理やり±0の状態に持っていくイメージで、気持ちが浮かれそうなときは、気を引き締めて±0の状態に持っていくイメージでやってみるといいかもしれません。
常にフラットを維持するのです。
デメリットとしては、
くらいでしょうか。ですが、確実に成功を維持できますし、失敗は次に活かせますし、さらにはメンタルタフネスにもなれると思いますよ。
いただいたサポートは、全額本noteへの執筆…記載活動、およびそのための情報収集活動に使わせていただきます。