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データを仕事に活かす人材であれ

以前、ソフトバンクの孫社長がAI後進国日本に対して様々な懸念をお話されていましたね。

そのことに火が付いたのか、

なんて話もあったり、上を下への大騒ぎとなっていたのは記憶に新しいかと思います。各企業のなかでもここ数年で大きく予算を投じ、DX人材やらデータエンジニアやらを採用し始めたところもあったかと思います。

しかし、

 「AIに強いプログラム言語を修得すればAI人材になれるか?」

と言うとそれは残念ながらNOと言わざるを得ません。いかにpythonを修得したからといってAI人材にはなれません。私も、pythonは基礎的なものはプログラミングできますが決してAI人材にはなれていません。

同様に

 「オブジェクト指向言語を利用しているエンジニアが、
  オブジェクト指向を正しく理解しているか?」

というとこれもまたNOということができます。
というか世の中の大半がオブジェクト指向に即したプログラミングはできていません。

なので、現在なんとなーく「AI人材」「データ人材」なんて形で採用した人も、実際にはデータを活用してビジネスに大きく貢献している…というケースは案外少ないのではないでしょうか。

"そもそも"『AI人材』が何なのかを理解していなければなるになれません。

蓄積されたビックデータからAI(人工知能)のディープラーニングを活用して、多様な業界・シーンで社会実装事業を展開するABEJAでは上記のような人材をAI人材と定義しているようです。

DeNAやメルカリなどでも似たような定義が行われていました。

しかし、そのどれもに言えることが、

 データドリブンで仕事ができるかどうか

という定義があるように思えます。経験則、感覚、勘、思うか思わないかではなく、客観的な『事実』や『データ』を中心に判断し、行動できる人材であることが重要とされているのです。

「(俺は)こうだと思う」
「(私は)そうは思わない」

という話し方しかできない人はデータドリブンな仕事はできません。

もちろん、データドリブンを身につけただけでAI人材になれるわけではありません。下地として必要と言うだけです。常に事実情報やデータに基づいて意識決定や業務ができる人材になることはAI人材になるための第一歩であり、必要最低限のボーダーラインでしかありません。

ですが必ずしもAI人材でなければデータをもとにIntelligenceが磨けないわけではありません。その気になれば明日から誰でも活用することは可能です。そもそも仕事においてデータを活用するのはさほど難しいことではないからです。

データを活用してIntelligenceを磨きたいのであれば、まずは

 すべて見える化する

これだけに注力してください。
できればリアルタイムに見たい情報を見える化できる仕組みを構築できれば、おのずとフットワークの軽い判断が行えるようになることでしょう。

たとえば、社内ポータルなどの予約管理などやOutlookなどによって、一人ひとりの活動や会議体の予約などを公開するだけでも『見える化』です。

最低でも、この見える化によって、

 ・連絡を取りたい人の予定や状況が把握できるようになった。
 ・電話の取次ぎがしやすくなった。
 ・定期的に不在となる時期が想定できるようになった
 ・どの時間帯なら空いているかが検討つくようになった

ことによって自分自身の予定や行動規範ができる人もいることでしょう。無駄な作業等が減ることだってあるはずです。具体的に数字をカウントしていなくても、感覚的にデータの過多傾向を察して業務が遂行できるようになっている人もいるはずです。

見える化すると、見えたデータ量が多いほどに傾向が見て取れて、その傾向から次の判断や行動につなげることができるようになります。誰に言われるでもなく、正しく『知識労働者』足り得る活動ができるようになるのです。

逆に、『見えない』人の行動は予測がつきにくいでしょう。

 ・どこに行っているのか
 ・今何しているのか
 ・忙しいのか、余裕があるのか
 ・そもそも社内にいるのか、いないのか

何もわからない人もいます。
たったそれだけで、ステークホルダーの判断や行動が一歩も二歩も遅れることになります。それだけで無駄な経費が生まれます。理由は簡単。『見える化』されていないからです。

AIが人工知能と言われ、人を模した考え方をするプログラムである以上、人がどういう状況や状態であれば判断し、行動できるのかを考えれば自ずと、普段からどうあるべきなのかわかります。

AIがそうであるように、データ(アノテーションデータ)を必要十分なだけ提供することです。

それだけでデータドリブンな仕事はできるようになりますし、データドリブンで仕事ができると言うことはAIがそうであるように『データ』さえあれば主体的に動けると言うことですので、主体性の高い人材を育成することにもつながるでしょう。

 『見える化』をするかしないか
 『見える化』する気があるかないか

それだけで、人材の成長率、経費の無駄遣いの量は大きく変わってきます。

しかし、

 「これは見せる必要がない」
 「別に見せなくてもいいんじゃないの」

と言う人も出てくることでしょう。必要最低限しか見せない、必要最低限の人にしか見せたくないと言う人もいるかもしれません。けれども、そうやって情報を隠蔽すればするほど"知らない(知る機会が与えられない)"人は決してIntelligenceを磨けませんし、自発的に判断する機会も奪われますし、結果として最も理想的な行動に還元できないということを肝に銘じておきましょう。

これまであちこちの教育などでも説明してきましたが、人は

 "判断するためには、必ずその判断の基となる情報が必要で
  行動するためには、必ずその行動のものととなる情報と、判断が必要になる"

ことは誰であっても変わることはありません。

論理的であっても、感覚的であっても、この原理は全く同じです。

 「知らされていないのに理想的な活動ができる」
 「何一つ知らされていないけど適切に判断する」

そんなことは絶対にありえません。

そんなことができるなら天災で被害にあう人は皆無になるでしょうし、事故も事件も一切起きるわけがありません。事前にそうなることを知らなかったから、そうなるまで誰も動かなかったのです。そして被害に遭うのです。

世の中の多くの成功も失敗も、そのすべては「データ」を開示、共有しているかどうかによって引き起こされているだけなのかもしれませんよ。

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